私も民主主義を成熟させるために、ジャーナリズムは納税者の代表の中心に位置づけられるとの自覚のもとに、政府や与野党の言動に厳しく監視の目を注ぐべきだと主張してきました。特に軍事問題への知見が欠かせない外交と安全保障については、新聞などの報道に誤報も少なくありませんし、その誤報をもとに国会質問が行われたりすることもあり、特に新聞の誤報には目を光らせてきました。
そんなこともあり、2017年6月に日本で初めてファクトチェックを行う試みがFIJ(ファクトチェック・イニシアチブ・ジャパン、瀬川至朗理事長)という形でスタートし、事務局長の楊井人文弁護士と誤報のチェックで情報共有してきたこともあって、呼びかけ人・理事として参加した訳です。
やがて、ファクトチェックに関する試みは、本場の米国でも限界を抱えていることがわかりました。大統領の言説の食い違い(食言)などをチェックすることはできても、専門家の肩書きを持つ人たちの間でも知見のレベルに高低差がある軍事問題については、チェックする能力がなく、最初から取り組みを諦めている面が感じられたのです。
そういう局面を打開しようと、私はFIJの中でファクトチェックの重要な柱として安全保障問題を位置づけるべきだと主張してきました。しかし、残念なことにほかの理事さんたちにはそんな気持ちはないようで、重要ではあるけれども…、と語尾不明な返答しか戻ってこなかったのです。
そんなFIJの姿勢に対して、私も熱意を失う結果となり、理事を退任することにしたのですが、いま再びワシントン・ポストの報道や朝日新聞が1月30日に行ったオンラインイベント「通常国会ファクトチェック」(FIJの理事同士だった元NHK記者の立岩陽一郎FIJ副理事長が登場)などを目にして、思うのです。
ジャーナリズムはファクトチェックを「錦の御旗」にしてはならない。それでジャーナリズムの使命を果たすことができているなどと思い上がるな。政府と与野党の言動について可能なところでチェックする活動を強める一方、安全保障、特に軍事問題については無力に近いことを認め、ジャーナリズムを挙げてその弱点の克服に取り組む営みを始めるべきではないか。
朝日新聞をはじめ、私から誤報を指摘されて、訂正記事を出すことなく逃げてしまった日本のマスコミについては、全社について、いくつもの例を挙げることができます。誤報の指摘を「うちの会社に喧嘩を売っている」「小川は社会部と喧嘩している」とチンピラやくざのようなことを言う記者も存在します。しかし私はジャーナリズムの向上を目指す立場です。各社の中にいる同志がもっともっと増えることを願っています。(小川和久)
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