2021年2月28日付
厚労省は自治体に対し、扶養照会を弾力的に運用するよう求める通知を行った。その中身は、20年間音信不通の親族には照会不要としていたのを「10年程度」に改め、また「生活保護制度で定められた額より高い家賃の住居に住んでいる人でも、「自営業の収入が今後回復する見込みがある」などの要件を満たせば、転居せず保護を受けられるようにする」とも。
さらに、「厚労省はこれまで(1)親族が高齢や未成年(2)家庭内暴力(DV)があった、などの事情がある場合は照会しないと例示していた。今回、新たに(1)本人が親族に借金をしている(2)相続を巡り対立している(3)縁が切られていて関係が著しく悪い、などの場合も照会不要と例示し、対応を明確化した。直接当てはまらなくても、個々の事情に応じて判断するよう求めた」
●uttiiの眼
安倍政権の政策がいかに“イデオロギッシュ”なものだったか、ハッキリと分かる話になっている。「扶養照会」は、家族や親戚であれば、そのなかの困窮者を救援する道徳的な義務を負っており、法はその義務が履行されることを担保しなければならないとでも言うかのように制度化されていた。
保守主義的な家族観から抜け出してきたようなこの手順は、大勢の困窮者に申請への躊躇いを生み、生活保護制度を根底から崩しかねないこととなった。さらに、自治体の福祉事務所が手を尽くして「扶養照会」を行っても、実際に援助が得られるケースはごく僅かであり、現場から「意味がない」と見なされていたとなれば、もうそんな手順を維持する意味はどこにもなくなっていたということだろう。
菅氏は、それでも「扶養照会の撤廃を拒否」している。これは安倍政権下で社会保障切り捨ての先頭を走っていた自分を否定できないからであり、いまだに伝統的な家族観にしがみつこうとしているようにも見える。思い出されるのは、自民党総裁選で「私が掲げる社会像」として提示され、その後所信表明演説にも採用された菅義偉氏のモットー。あの、「自助・共助・公助」という変梃なスローガンのことだ。今も、この考えは正しいと思っているのか。是非、訊いてみたいことの1つだ。
今回「運用弾力化」に至ったきっかけは、飽くまで「コロナ禍」が原因で、一時的に経済的な苦境に陥った人々を想定し、その人々が申請を躊躇わないようにするという政策意図だったのだろう。イメージされているのは、コロナさえ収束すれば短時日のうちに事業の業績を回復させることができ、瞬く間に生活保護が必要なくなる人たちだった。しかし、以前から苦境に置かれ、「扶養照会」に生活保護費受給を阻まれてきた人はたくさんいた。
その意味で、今日の記事が指し示す「弾力化」は「コロナ対応」より、もう少し先を行っているように思える。「申請者の意向を尊重せよ」という通知は、少なくとも申請者の意向に反したり無視したりして「扶養照会」することを事実上禁じているわけで、遙かに包括的な意味を持つことだろう。
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