被害者の立場が大事だという論理を展開していた文大統領だが、今回の宣告はそれを論駁するもの。もっとも、今年1月の文大統領の記者会見でも、それまでは被害者、被害者とばかり言っていた文氏が1月8日の判決(日本政府は賠償せよ)に対して、「困っている」とは発言していた。以前にも指摘しているが、東京五輪を北の金正恩といっしょに会う場として利用するため日本寄りの態度をとってのものなのか、アメリカから、「北の核問題よりも日韓関係のほうが深刻だ」と言われているものだから、日本寄りのものとなったのか。文氏の心の中に入ることができないためここのところはわからない。言えるのは、今後、再度文氏は、慰安婦、慰安婦と叫べなくなったということだろうか。
今回4月21日の判決に対して、原告である慰安婦側の代理人たちは、控訴するかどうかを検討するという。当分相反する下級審判決が共存することになり、「司法的混乱」は避けられなくなった。もし、ボールが大法院まで渡った場合、大法院が最終的にどんな判決を出すのか。注目せざるをえない。大法院は、2018年の強制徴用判決で、新日鉄住金(現日本製鉄)に強制徴用被害者への賠償を命じる判決を出している。大法院は、今回4月21日のソウル地方裁の判決を踏まえて、日本側寄りの判決を出すのか、はたまた慰安婦側寄りの判決を出すのか。
韓国司法部が変化してきているのは確かだ。ある部長判事出身の弁護士は、「これまで“内需向けの判決”をしてきたキム・ミョンス司法部が今になって本来の道に入ったと見ている」と評価している。この流れのまま、最後までいってほしいところだ。つまり、「まとも」な判決が続いてほしい。
最後に余談だけれど、韓国で慰安婦像や慰安婦がちやほやされてるせいで、「ママ、あたし大きくなったら慰安婦になりたい」という女の子がいるといったネットの書き込みもある。ホントーか、とも思うけれど、それくらい、今までの文政権は、慰安婦に擦り寄るような政策を取ってきたことは事実だ。あの詐欺劇のユン・ミヒャンも、まだ一審裁判も行われていない。
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