もし、高橋氏が指摘するとおり「この程度の『さざ波』」ならば、医療崩壊など起こらないはず。というか、「この程度の『さざ波』」でなんで医療が逼迫しているのか?
なぜ、6,000人もの人たちが、コロナで働けなくなったり命を奪われてしまうのか?
なぜ、10,000人以上の人たちが、コロナで亡くなっているのか?
日本より多くの感染者が出ている欧米で医療崩壊が起こらない理由を、多くのメディア、多くの人たちが、「命の選別を行ってるからだ」としてきました。日本は「命に公平な国」。だから医療が逼迫するのだ、と。
では、今は?命は公平なのでしょうか。
「数字」というのは実に厄介な代物です。連日、コロナ感染者数、死亡者数、などに加え、コロナによる失業者数が伝えられます。
しかし、そこで示された「数字」だけでは決して知り得ないストーリーがある。だって、そこにいるのは「人」。人なのです。
私は大学院のときに「量的な調査(アンケートなどを実施し統計的に分析する手法)だけに頼ると実態に合わないことがある」と何度も教育されまました。臨床でドクターを経験したのち大学院に戻った先生は、「質的調査(インタビューなどから分析する手法)は、個人的な意見で汎用性がないと非難する人が多いけれど、現場でホントに生かされるのは、生の個人の声だ」と教えてくれた。
その真意は「それぞれの人生があり、それぞれの事情がある」という、実にシンプルで当たり前のことだと改めて思うのです。
数字だけを見て「この程度の『さざ波』」という人が、「国民の命を守る」と豪語する首相に、アドバイスを送る立場にいるとは、お粗末というか、しょーもない、というか、怒りしかわいてきません。
しかも、この「さざ波」発言に同意する人も、決して少なくないのです。
どうにもこうにも腑に落ちないことばかりです。
ちなみに、加藤勝信官房長官は記者会見で「参与は非常勤。コメントは差し控えたい」と述べました。…内閣官房参与の給与は、日当3万円前後。内閣府や官邸では、執務室が与えられるとのことです。
…1日3万。これも税金です。
みなさんのご意見、お聞かせください。
image by: 首相官邸