大阪ビル放火で渦巻く「憎悪」や「怒り」。メディアは未来を描けるのか

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25人もの命が奪われた大阪市北区の放火事件。心療内科のスタッフとリワークプログラムに通う人たちが被害者となり、我が事のように心を痛めるのは、「みんなの大学校」を運営するなど、生きづらさを抱えた人たちの支援に取り組む引地達也さんです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、事件後にメディアを介して伝えられる感情が、容疑者への「憎悪」や「怒り」に終止する状況への不安を表明。現実を踏まえ「どのような未来を描くのか」、“ケア”の行為や視点をメディア活動に取り入れていく必要があると訴えています。

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社会復帰に向かった人たちへの追悼を「憎悪」で踏みにじらぬように

大阪市北区のビルに入居する心療内科が放火され25人が亡くなった放火殺人事件の犠牲者は「心の病気」に立ち向かっていく人たち、そしてそれを支援する人たちだった。生きづらさを抱えながら生きようとした思いを想像すると無念という感情は行き場を失う。

この病院では仕事に復帰するためのリワークプログラムを行っており、心の病気やリワークなどのキーワードがそのまま私の仕事に直結し、犠牲者の方々や医師、支援者が私だけではなく私の関係者だったことも想像されて、胸が張り裂ける想いにもなる。

この感情をどのように処理すればよいのかと思いつつ、気になるのは「憎悪」の感情がメディアを通じて、そしてソーシャルメディアで渦巻いていることだ。容疑者への怒りと憎しみを発出する個人とマスメディアがひとつのうねりになる時、それは憎悪の連鎖となって、さらに「心の病」を引き起こす社会を作ってしまうのではないかと不安になる。

この現象に直面して、ケアの行為や視点をメディア活動に取り入れていくという「ケアメディア」(拙著)なる私の考えは、その存在を試されているように思う。

通院していた患者はおそらく「心の病」の中で辛い想いをしながら、リワークに向けた歩みを進めていたのであろう。そのリワークプログラムは私もいくつかの心療内科や精神科系医院で体験したり、見学したり、時には私がプログラムを提供してきたから、身近な存在だ。

私は社会や周囲とのコミュニケーションの改善をテーマにしたものをいくつか提供してきたが、そのリワークプログラムの多くは、職場をはじめとする周辺とのコミュニケーションのズレを認識しつつ、状況を客観的に捉え、自分という存在を肯定することを基本としてきた。その基本を確立するために他者との協調をコミュニケーションの仕方の中で学んでいくのだが、その学びで障害となるのが、過去のトラウマや自己肯定感の低さなどで、そこには社会の評価を気にする「自分」がつきまとう。

特に過去のトラウマやネガティブな思い込みには、人の怒りや憎悪がイメージされる。だから、私は、人が社会的存在であることから、そもそもが「ケアなる存在」だと伝え、憎悪とは態度のひとつであり、表面的なコミュニケーションに過ぎないという話をしてきた。だから、乗り越えられるし、やり過ごすことができるのだ、と。

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