最近はコロナ禍のせいで滅多に街に出ることもないが、時々女房のお供で、繁華街のスーパーなどに行くと、美人が増えたような気がする。テレビを見る習慣がない私は、街に出なければ、女の人を沢山見ることがないので、綺麗に見えるようになったのかしらとか、目だけしか見えないので、目元の化粧が上手い人は綺麗に見えるのかしらとか、思っていたのだが、暫くして、顔を隠しているので、むしろ美人に見えることに気が付いた。
マスクで素顔が見えないので、マスクを取ったら絶世の美人かもしれないと、想像をたくましくして見る。すべてを顕わにするよりも、適度に隠している方が神秘的なのだ。「夜目、遠目、傘の内」という言葉がある。暗かったり、遠かったり、傘に隠れてよく見えなかったりすると、美人に見えるという格言である。
「マスクしている女性を見るとそそられるね」と私の若い友人は言っていたが、新型コロナが流行り始めた頃、イギリスでは安全なセックスの方法として、「互いにマスクをして後背位」を政府系の機関が推奨していたよ、と話したらニヤニヤしていた。マスクには、確かに下着と同じような、ゾクッとするようなエロティックな側面がある。
私も名を連ねた、『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』(内田樹編)と題するアンソロジーがある。鷲田清一は「マスクについて」というここに収録されているエッセイの中で次のように述べている。
「マスクはたしかにそれを装着している人の存在を不明にする。けれどもそこには消失の不安と共に、人を魅入らせる妖しさもある」
コロナ禍が始まる前、マスクをして銀行に入ると、「お客様、恐れ入りますがマスクを外してください」と言われたものだ。顔という本人の認証の消失は、銀行にとってリスク要因と考えられていたのだ。そのままマスクを外さなかったら警察に通報されたかもしれないが、周囲の人にとってマスクは注目の的であり、怪しいと同時に多少の妖しさも感じたことだろう。