芥川賞作家で政治家でもあり、運輸大臣や東京都知事を歴任した石原慎太郎氏が2月1日、都内の自宅で亡くなりました。89歳でした。今回のメルマガ『NEWSを疑え!』では、『それでも「NO」と言える日本』の共著者である軍事アナリストの小川和久さんが、同書刊行に至る経緯を振り返ります。小川さんは、前作で示された石原氏の軍事知識がお粗末であると指摘したのが縁で、初めて会った石原氏とのやりとりを紹介。その時の話が本になり、時給換算で250万円にもなる印税を得たことで、「いまでも石原さんの褌で相撲を取った気分」と独特の言い回しで故人を偲んでいます。
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石原慎太郎の褌で相撲をとった
石原慎太郎さんが亡くなりました。1955年に小説『太陽の季節』で芥川賞に輝き、作家デビュー。以来、70年ちかくにわたって作家、政治家としてスターダムで活動してきた方ですから、発するオーラも尋常ではありません。人脈も限りなく広い。だから、私などが語ることができるのはほんのわずかな関わりについてですが、石原慎太郎という人物の人となりを知るうえで、参考になればと思います。
私が石原さんと最初に会ったのは1990年1月30日。場所は羽田空港内の羽田東急ホテルでした。石原さんは2月に控えた総選挙のため、選挙区の東京2区内にある伊豆七島の八丈島に遊説に行く途中、私との会合に3時間ほど予定を空けて待っていました。
きっかけは、前年の1989年に石原さんがソニーの盛田昭夫会長と出した共著『「NO」と言える日本─新日米関係の方策─』(光文社)がミリオンセラーとなり、米国でも話題となったことです。私のところにもウォールストリートジャーナル(WSJ)のアーバン・レイナー東京支局長が取材にやってきて、そのときの私のコメントがWSJに掲載され、それが石原さんの耳に入ったのです。
私は本に出てくる石原さんの軍事知識があまりにも幼稚で、しかも間違っていることを挙げ、そんなレベルではいくら米国からの自立を叫んでも単なるデマゴーグとしかみなされず、日本の国益にとっては逆効果でしかないという趣旨でコメントしました。
当然、石原さんは激怒したそうです。しかし、『NOと言える日本』の担当編集者のMさんが私と旧知の間柄ということもあり、私の話を聞いてみるべきだというMさんの勧めで、羽田東急での会合となった次第です。
用意された部屋に入ると、少し緊張した表情の石原さんは「なにか食いながら喋らない?」と言い、私の希望でカレーライスを頬張りながらの3時間となりました。カレーを所望した私に石原さんは「遠慮深いんだなぁ。出版社が払うんだから、もっと高いものを食べたら」と勧め、私は「今日のメインディッシュは日米同盟ですから」と返して話しに入りました。
私は、イデオロギー的な立場にかかわらず客観的な事実を踏まえなければ、目が曇って戦略的な見方ができなくなると、在日米軍基地のフィールドワークの結果をもとに話し、石原さんはときおり質問を挟みながらメモをとり、あっという間に3時間は終わってしまいました。
この会合の結果は渡部昇一上智大学教授を加えた3人の共著『それでも「NO」と言える日本─日米間の根本問題─』(光文社)として出版され、初版5万部からスタートし、これまたベストセラーになりました。私のところに入ってきた印税は数年間の合計が700万円あまり。時給にして250万円!3時間喋っただけの収入としては空前のものとなりました。石原慎太郎、恐るべし!いまでも石原さんの褌で相撲を取った気分を拭えずにいます。
石原さんについては、他にもいろいろなエピソードがありますが、それはおいおい。(小川和久)
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