綱吉への憎悪の念を抱いたのは庶民ばかりではありません。武士、しかも幕臣の間にも悪政だと批判する者がいました。元禄宝永地震、更には、富士山大噴火は綱吉の悪政が招いた天罰だと批判する声が上がったのです。古来より、天変地異は時の為政者の失政、人徳のなさが招くと評されてきましたが、綱吉はひと際批判されたのです。
綱吉の暴君ぶりはホラー伝説も生みました。
綱吉は麻疹で亡くなったのですが江戸庶民の間で御台所に殺されたと噂されます。御台所とは将軍の正室、綱吉夫人です。御台所は五摂家鷹司家から輿入れした信子でした。五摂家とは藤原北家の主流で摂政、関白に成ることができる公家最高の家柄です。綱吉と信子は夫婦仲が円満ではなく、信子が綱吉の死後1カ月後に亡くなっていることから醜聞好きの江戸っ子は綱吉が信子に殺され、信子は自害した、と噂しました。
事実は信子も麻疹で亡くなったのですが、綱吉への反感からそんな醜聞が語られたのでした。
この醜聞が怪談に発展します。
綱吉は大奥の一室で信子に刺殺され、信子も喉を懐剣で突き自害します。その部屋は血の海となりました。以後、大奥では何人も立ち入ることが禁止されて開かずの間となります。禁を破って開かずの間に足を踏み入れた者は祟り殺される、と大奥で語り継がれ、庶民も怖がり、と言うより面白がるようになったのです。
妻に刺殺されたと噂された、そんな悲惨な最期を望まれたとは随分と嫌われた将軍ですね。
生き物を大切にせよという、「生類憐みの令」は捨子の保護、老人を厭え、と人々に慈悲の心を持たせる法令を発した徳川綱吉は皮肉にも人々の憎悪を買って亡くなったのでした。
では、徳川綱吉は天罰が下されるような悪い為政者でひどい政治を行い、民を苦しめたのでしょうか。
(メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』2022年3月4日号より一部抜粋。この続きはご登録の上、お楽しみください)
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