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『鎌倉殿の13人』はどう描くか。見直される平家と評価を下げる義経

三谷幸喜氏の冴えた脚本が人気の『鎌倉殿の13人』でも描かれる、源氏と平氏の戦い。かつては源義経の活躍が源氏に勝利をもたらしたと語られましたが、近年の歴史的評価はずいぶんと異なるものになっているようです。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』では早見さんが、そんな義経を巡る真実を紹介するとともに、信長と義経の共通点を解説。さらに歴史時代作家ならではの、源平合戦についての新たな解釈を披露しています。

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平家の祟りか 文治地震と改元

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。婆羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」

ご存じ、平家物語の冒頭の一節です。日本全国の半分、三十余りの知行国を有し、高位高官に就き、「平家にあらずんば人にあらず」と公言した平家が一門の総帥清盛死後、僅か4年で滅んだ様を物語っています。

折しもNHK大河ドラマ、『鎌倉殿の13人』では源義経による平家討伐が描かれようとしています。どのように描かれるのか楽しみですね。以前は専ら天才武将源義経の軍略、意表をついた奇襲で平家に勝利した、と語られてきましたが、昨今では異論を含めた様々な説が発表されています。

清盛死後の平家に関しても貴族化した弱小武士団、という見方ではなく、日宋交易で培った水運によって西海を勢力下に置いた強大さが語られています。

見直される平家に対して義経の評価は下がっています。一ノ谷の戦いにおける鵯越えの逆落としは義経ではなく、摂津国を地盤とした武将多田行綱が行った、とか壇ノ浦の戦いは義経より範頼の働きが大きかった、とか。

「判官贔屓」という言葉が物語るように、平家討伐の大功を挙げながら兄頼朝に疎まれ、信頼した奥州藤原氏の裏切りで最期を遂げた悲劇のヒーローへの肩入れが義経の過大評価に繋がったのかもしれません。また、牛若丸の頃の紅顔の美少年ぶりも義経人気に寄与してきました。

評価が下がると残酷なもので、義経の能力、人柄はもとより容貌までも文句をつけられます。ジャニーズばりの美少年など虚構、実際は醜男だった、という説が流布しました。筆者は義経の武将としての能力、武功を批判するより先に義経醜男説が出てきたと記憶しています。

古今東西、歴史上の人物評価は時代と共に変化しますね。

筆者は義経が優れた武将だったのが愚将だったのかはわかりません。ただ、義経には義経と同じく軍略の天才性を謳われる織田信長と面白い共通点があります。壇ノ浦の戦いで義経は平家方の船を操る水夫を弓で射殺させました。当時、水夫を狙うのはタブーであったのですが義経は平然と破ったのです。

信長も長篠ノ戦いにおいて、鉄砲組に武田の騎馬武者の馬を狙わせています。馬を殺すのもタブーでした。タブーを平気で破った義経と信長、天才は常識に囚われない、ということでしょうか。

ちなみに、「平家にあらずんば人にあらず」という平家の奢りを象徴する言葉を残したのは、清盛ではなく平時忠でした。時忠は清盛の妻時子の弟、つまり清盛の義弟です。平家一門の傲慢を代表した時忠は世渡り上手でした。壇ノ浦の戦いの後、平家一門が入水自殺を遂げたり、捕えられて処刑されたのを横目に臆面もなくサバイバルを図りました。

義経に取り入る為に娘を嫁がせようとします。しかし、義経が頼朝と不仲になると、能登に配流され同地で死去しました。一門の滅びを目の当たりにし、自身も配流の境遇となった時忠は、「平家にあらずんば人にあらず」と豪語したことを悔いたでしょうか。

筆者は後悔していなかったと思います。栄耀栄華を極め、時忠は、「平大納言(へいだいなごん)」とか、「平関白」と称されました。彼は権大納言には任官していますが、関白には成っていません。清盛の威光により、それほどの権勢を誇ったということです。

一時とはいえ、得意の絶頂を味わったのですから、「平家にあらずんば人にあらず」は本音であり、思い上がりではなく事実と認識していたでしょう。配流地でもかつての栄光を自慢していたのかもしれません。それくらい面の皮が厚くなくては、あんな台詞を言えませんし、我が身の保身の為に娘を差し出しませんよね。

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源平合戦について筆者の勝手な解釈を記します。

歴史好きな読者ならご存じでしょう。源頼朝を担いで挙兵した関東の武士団の多くは、源氏ではなく平氏の流れを汲む者たちでした。頼朝、頼家、実朝と源氏将軍が三代で絶えた後、鎌倉幕府の実権を握った北条氏も平氏です。この為、日本史には源平交代思想、つまり、源氏と平氏は交代で天下を治める、という考えができました。

神輿は頼朝という源氏の嫡流ですが担ぎ手は平氏ですから、源平合戦は平氏同士の戦いともとれます。

では、どうして平氏同士が戦ったのでしょうか。

以下は筆者の妄想です。

頼朝を担いだ武士団の多くは良文流平氏(よしふみりゅうへいし)でした。平良文の末裔たちです。平良文は平将門の叔父で、将門が鎮圧された時は鎮守府将軍の任にあって陸奥国にいました。将門滅亡後、彼を討伐した平貞盛や俵藤太こと藤原秀郷は残党狩りをしましたが良文は匿い、将門の娘を長男の嫁に迎えました。

長男と将門の娘との間にできた子供たちが千葉氏、上総氏、江戸氏となります。また、他にも良文の子孫には梶原氏、三浦氏など、頼朝を担いで源平合戦を戦った者たちがいました。

一方、都で権勢を誇った清盛の平家一門は将門を討った貞盛の子孫です。更に言えば、源平合戦後に頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏は藤原秀郷の後裔です。

こうした観点からしますと、源平合戦、奥州藤原氏滅亡は将門の子孫による復讐、将門の怨霊が平家と奥州藤原氏を祟り滅ぼした、と言えるのではないでしょうか。

なんて、伝記小説になりそうですね。

筆者は古典の、『平家物語』ではなく、吉川英治の、『新平家物語』で平家一門の隆盛を読みました。吉川作品は、前編は清盛、中編が木曽義仲、そして後編は源義経を主人公に据えて壮大な歴史絵巻が展開されます。若き日の平清盛の凛々しさ、義仲の純真さ、もちろん義経は悲劇のヒーローとして描かれ、全編を通じて阿部麻鳥という架空人物が登場して英雄たちの栄枯盛衰を見届けます。

長大な作品ですがご一読されてはいかがでしょう。全巻を読むのは大変だと思われる読者は、平家の都落ちの場面、弁慶が熊野別当湛増を味方につけるべく乗り込む場面だけでもお読みになることを勧めます。

(メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』2022年4月22日号より一部抜粋。この続きはご登録の上、お楽しみください)

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image by: yu_photo / Shutterstock.com

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1961年岐阜県岐阜市に生まれる。法政大学経営学部卒。会社員の頃から小説を執筆、2007年より文筆業に専念し時代小説を中心に著作は二百冊を超える。歴史時代家集団、「操觚の会」に所属。「居眠り同心影御用」(二見時代小説文庫)「佃島用心棒日誌」(角川文庫)で第六回歴史時代作家クラブシリーズ賞受賞、「うつけ世に立つ 岐阜信長譜」(徳間書店)が第23回中山義秀文学賞の最終候補となる。現代物にも活動の幅を広げ、「覆面刑事貫太郎」(実業之日本社文庫)「労働Gメン草薙満」(徳間文庫)「D6犯罪予防捜査チーム」(光文社文庫)を上梓。ビジネス本も手がけ、「人生!逆転図鑑」(秀和システム)を2020年11月に刊行。 日本文藝家協会評議員、歴史時代作家集団 操弧の会 副長、三浦誠衛流居合道四段。 「このミステリーがすごい」(宝島社)に、ミステリー中毒の時代小説家と名乗って投票している。

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