シロビキの勝者ニコライ・パトルシェフとは?
プーチンの支持基盤は、主に
- 新興財閥(オリガルヒ)
- シロビキ(諜報、軍、警察など)
です。
プーチンは、大学を卒業し、KGBに入りました。東ドイツで1985年から1990年まで諜報員として働いていた。ソ連崩壊後は、KGBの後継機関FSBの長官にまでなった男です。だから、彼は、シロビキしか信用できないのです。
ところで、シロビキには、5人有力者がいます。
- ショイグ国防相
- ボルトニコフFSB長官
- ナルイシキン対外情報庁長官
- ゾロトフ・ロシア国家親衛隊隊長
- パトルシェフ安全保障会議書記
です。ところが、ウクライナ侵攻で、5人のうち4人に「傷」がつきました。
まずショイグ国防相。この方は、ウクライナ侵攻前まで、後継者最有力でした。ところが彼は、ウクライナ電撃戦に失敗した。戦争が長期化したことで、プーチンの信頼を失ったのです。
次にボルトニコフFSB長官。彼も、「電撃戦失敗」の責任を取らされる立場です。というのも、プーチンは、FSB第5局からの「楽観シナリオ」に基づいて、ウクライナ侵攻を決断した。FSB第5局の報告は、
- ロシア軍が来れば、ゼレンスキーは逃亡し、政権は短期間で崩壊する
- ウクライナ国民は、ゼレンスキーネオナチ政権にうんざりしており、ロシア軍がくれば、花束をもって大歓迎するだろう
といったものでした。ところが、ゼレンスキーは逃亡せず、ウクライナ国民は強い抵抗をつづけています。5局のベセダ局長は処分されましたが、ボスのボルトニコフも、ウクライナ戦争が終われば責任を問われるでしょう。いずれにしてもプーチンは、ボルトニコフへの信頼を失っています。
ナルイシキン対外情報庁長官。彼は2月21日、「ルガンスク人民共和国、ドネツク人民共和国独立承認」の是非を問われ、「西側に最後のチャンスを与えましょう」と発言しました。これで、忠誠心を疑われることになりました。
ゾロトフ・ロシア国家親衛隊隊長。ロシア国家親衛隊員の中で、「ウクライナの戦場に行きたくない!」と辞める人が続出しています。元々国家親衛隊は、「国内の治安維持」のために存在している。「なんで、外国にいって、戦わなければならないのだ!」と。それで、ゾロトフは、プーチンの信頼を失いました。
というわけで、ウクライナ侵攻後、シロビキ有力者5人のうち、4人がプーチンの信頼を失いました。
一人だけ、「傷がついていない」のが、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記なのです。彼が現在、ロシアの「実質ナンバー2」です(名目上のナンバー2は、ミシュスティン首相)。
ニコライ・パトルシェフとは、どんな男なのでしょうか?
1951年生まれで、プーチンより1歳年上。そして、プーチンと同じく、レニングラード生まれ。レニングラード造船大学を卒業後、KGBに勤務するようになりました。1999年8月、プーチンの後を継いで、FSB長官に。2008年から、安全保障会議書記を務めています。
ニコライ・パトルシェフは、プーチンと同じ市で生まれ、プーチンと同じくKGB、FSBで出世し、プーチンと同じ世界観を持っています。それで、プーチンが、「現状もっとも信頼している男」なのです。