一方、日本語という障壁に守られている日本のメディアが鎖国状態にあることに無自覚だ。小さく、将来性のないパイを奪い合っているにすぎず、その象徴的な利権が、放映権である。
五輪利権もスポーツ利権も電通の腐敗もすべてこの放映権ビジネスに原因がある。放映権はいまや日本最大の利権となっている。政治的にもビジネス的にも圧倒的な影響力を持ち、なによりフェアであるべき言論空間の健全性を歪めている。
五輪組織委員会に各新聞社の幹部が名を連ね、各局のアナウンサーが委員となっているのはなぜか?サッカーワールドカップの解説に、かつてのサッカー選手ではなく、テレビタレントが登場するのはなぜか?一業種一社であったはずのオリンピックのオフィシャルスポンサーに、新聞各紙(クロスオーナシップで放送局も結ばれている)が名を連ねているのはなぜか?
すべては、テレビ(マスコミ)が放映権ビジネスに群がっていることに起因している。五輪やスポーツイベントの疑惑報道に、日本のテレビ(メディア)が消極的なのは、自らの不正を直視したくないという意識の現れに他ならない。
結局、彼らは金なのだ。立派なことを述べながら、放映権の解説を一秒たりともしないではないか。理事や電通というスケープゴートに責任を押し付けているにすぎない。
統一教会問題は信者だけの問題だ。そこに目を背けさせているのは誰だ。賢明な読者ならば気づいただろう。
真の問題は、何兆円もの国民の税金を使った放映権の問題である。いくらリテラシーの低い日本人でもそろそろ気づくころではないか。
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