『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』といった作品で誰もが知る漫画家の松本零士さんが2月13日、急性心不全のためになくなりました。85歳でした。松本さんに憧れ、何とかお会いできないかとさまざまな企画を立てたことがあると明かすのは、ジャーナリストで作家の宇田川敬介さん。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』では、松本さんの宇宙描写の素晴らしさやアニメやSFの世界に与えた影響の大きさについて、思い入れたっぷりに語っています。
松本零士さんの逝去について
松本零士さんとは、会ったことがない。私は会いたいと切望し何度も企画を作ったのです。例えば国会新聞社時代に、宇宙戦艦大和が好きという石破茂氏に、松本零士さんとの対談をするという企画を作ったのですが、ちょうどタイミングが合わなくてうまくゆかなかったということがありました。
宇宙戦艦ヤマトに関して、結局石破茂氏と話をするのですが、かなり詳しい話をお互いにしていたことを覚えております。
それ以外にも、日本の地酒を各都道府県から選び、その酒に松本零士さんがキャラクターをつけるというような企画もあったかと思います。この話に関しても、かなり前向きに進めたのですが、その途中でイタリアで松本零士さんが倒れられてうまく合わなかったということになります。
ある意味で、宇宙戦艦ヤマトが出てくるまで、宇宙に行くものというのは、円盤かロケットということになっていました。また、その宇宙人に関しても完全に人間と同じ形の宇宙人が出てくるというのは、なかなか少なかったのではないかという気がします。
もともと、宇宙ということに関しては、「地球を侵略する者」という感覚がありキリスト教的なかちかんから足がたくさんあるものが悪魔の使いであるというような、考え方から「火星人」などは、すべてタコ型の宇宙人(生命体?)になっているという話を聞いたことがありますが、まさにそのような観点から言えば、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999は、かなり画期的な内容であったと考えます。
そもそも「船が空を飛ぶ」「鉄道が宇宙を走る」という感覚は、世界で松本零士さんが初めてであり、その思想がしっかりと存在することが、日本のアニメーションでは高く評価されているだけでなく、その後のSFの世界では、かなり大きな飛躍を持ったのではないでしょうか。そしてそのことから出てくるのが、そののちの日本のアニメではないかという気がします。
ある意味で、そのような自由な発想は、先に「キリスト教的価値観では、悪魔の使いは足がたくさんある」などの話があり、そのような価値観があるのですが、日本では「宗教的価値観」や「政治的価値観」に縛られることはないということがあり、そのことから、自由に様々な発想があるということではないかと思います。
天才とは「何か他の価値観からの束縛がないこと」であり「様々な要素を自由につなぎ合わせて考えることができる事」ではないかと思います。その意味では松本零士さんはすごい人ではなかったかという気がするのです。
その後の日本のアニメーションでも様々な凄い人がいると思います。しかし、そのような人々の原点ではなかったかと思います。改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。
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