大奥の醜聞の代表格・絵島生島事件とは
大奥と言えば醜聞、そして醜聞の代表として語らえるのが、「絵島生島事件」です。大奥の女中たちを束ねる御年寄絵島が山村座の歌舞伎役者生島新伍郎との逢瀬を楽しむ余り、江戸城の門限に間に合わずに立ち往生して一大醜聞事件に発展しました。
事件は評定所で裁かれることになり、関係者の吟味が進むにつれ大奥の規律の緩みが明らかとなります。絵島は信濃高遠藩にお預け、絵島の兄白井勝昌は打ち首、弟の豊島常慶は重追放となりました。生島新伍郎は三宅島に遠島、山村座の座元山村長太夫は伊豆大島へ遠島、そして山村座は廃されました。
また、芝居小屋の夕刻営業は禁止となり、絵島の取り巻きとして利権をむさぼっていた商人たちも遠島に処され、結局50人ほどが処罰されました。事件は大奥の綱紀粛清となったのです。
事件の背景には大奥での派閥争いがあったとされます。前将軍家宣の正室天英院と側室月光院の争いです。月光院は家宣の子鍋松を産み、家宣の死後鍋松が七代将軍家継となったことで大奥に隠然たる勢力を築きました。天英院にも将軍御台所の面子があります。意地で月光院と対立しました。
絵島は月光院に仕えていましたから、絵島の処罰をすることで天英院は月光院派に大きな打撃を与えたとも考えられます。とすれば、絵島は正室対側室という大奥にありがちな権力闘争の犠牲となった悲劇のヒロインと見なすことができます。
以上は至極まっとうな説ですが他にエロチックな噂があります―― (無料メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』2023年3月22日号より一部抜粋)
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