ChatGPTがビジネスにも変革をもたらしつつある現代ですが、いまだに使ったことのないビジネスマンも半数程度いるよう。Google、マッキンゼー、リクルート、楽天の執行役員などを経て、現在はIT批評家として活躍されているメルマガ『尾原のアフターデジタル時代の成長論』の著者・尾原和啓さんは今回、その一歩を踏み出せない原因と、それによって生まれる差を語っています。
ChatGPT/AIの激変で成長の一歩を踏める人とできない人の差は〇〇
今日は「ChatGPT、AI変革の時代に成長の一歩目を踏める人と踏めない人の差」という話をしていきたいと思います。
ChatGPTなどが雑誌で取り上げられてバブルのような感じになっていますが、調査の結果を見ると、使っている方は50パーセントくらいで、使ったことのない方がいまだに多いんですよね。
その差は何なのでしょうか?
もし使っていたとしても、使い続けていくことが大事です。また、使い続けるだけではなく、AIで世の中のゲームがガラリと変わってしまう中で、自分の成長にプラスしていけるようどう変わっていくかが大事だと思います。
やっぱり世の中にとって大事なことは、二歩目、三歩目を歩き続けることよりも、最初の一歩目を踏めるのかということです。一歩目を踏んだ時に、「こういう二歩目、三歩目を歩んでいけばいいんだな」と自信を持てる一歩目が、めちゃくちゃ大事なんですよね。
なので、まずは「一歩目を踏むことがどういう理論でなされてるか」という、コンフォートゾーンの話をします。そして、「実はそのコンフォートゾーンの手前に0歩目の壁があるんだよ」という話と、「コンフォートゾーンや0歩目の壁を超えるためには何をすればいいのか? 実はその一歩目が、ChatGPTによってめちゃくちゃ踏みやすくなっている」という話をしていきたいと思います。
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私たちがコンフォートゾーンに居続ける理由
コンフォートゾーンというのは、いわゆる「快適な空間」という意味です。例えば、冷たいプールや熱いお風呂に入っても、動かずにじっとしていると、自分の体温で体に膜のようなものができて少し温度が下がって過ごしやすくなります。また、水風呂に入っても、動かなければ自分の体温でけっこう快適に過ごせることがありますよね。
それと同じで、変化って、わからないことが多いから不安なので、今の慣れた環境でじっとしていると、現状維持のぬるま湯が続くから気持ちがいいわけですよ。何か新しいことをする時に、人間は予測できないことが増えるから不安になります。さらに言うと、新しいことには今までの成功体験が使えないので、自分が無能に思えてしまうんですよ。
試したことがないならできなくて当たり前なんだけど、「自分は無能だ」と思う痛みが伴うんですよね。なので多くの人は、不安なために一歩目が踏めない。不安を乗り超えたとしても、この無能な痛みから、「やっぱりやめよう」となってしまう。というのが、コンフォートゾーンに居続けてしまう理由です。
コンフォートゾーンの手前にある「0歩目の壁」
そのわかりやすい話が、『すっぱい葡萄』という童話です。高いところに葡萄がなっていて、キツネが「これ、おいしそうだな」と思って、取るためにジャンプするんです。
だけど、ギリギリ取れないんですよ。
キツネは何回も何回もジャンプするけど取れない。すると、先ほどお話ししたように「取れないということは僕にジャンプ力がないからだ」と、自分が無能に思えてくる。無能だと思うと自分が傷つくじゃないですか。
だから、「自分は悪くない。あの葡萄が悪いんだ。あの葡萄はすっぱいに違いないから、僕はいらないよ」と言って、見向きもせずに去ってしまうんですね。
何回もジャンプしていたら、ジャンプ力が鍛えられておいしい葡萄が取れたかもしれない。また、そうやって苦労していたら、他のキツネや動物が現れて「これ取りたいの?肩車しようか。取れたら半分こしようよ」となるかもしれない。
そうすれば、葡萄を取るためには肩車をすればいいとわかって、そのあと何回でも葡萄が取れたかもしれない。だけどキツネは、自分を無能に思ったり不安に思ったりすることがイヤだから、「あんな葡萄はすっぱいに違いない」と言って、相手を否定する。ゴールそのものを否定することで動かない理由を作ってしまうんです。
つまり、「あなたは0歩目のすっぱい葡萄を作っていませんか?」ということです。この状態になってしまうと、新しいものを見ても、「YouTubeで見れば大丈夫でしょ?そういう新しいゲームが流行ってるの?でも、コメント欄を見たら『つまらない』って書いてあったよ」と言って、すっぱい理由を探してしまいます。そこでイヤになってしまうんですよね。
ChatGPTや生成AIは、みなさんにとっての「すっぱい葡萄」になっていませんか?あるいは、これから起きていく変化に対して、「すっぱい葡萄」になっていませんか?
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一歩目を踏むためには?
例えば、自分にとって海外旅行に行くことがすっぱい葡萄になっているとすれば、ChatGPTに「海外旅行に行った時の自分の成長に対するプラスとリスクにはどういうことがありますか?」と聞くと、予測できないことを分解して返してくれます。そうするとメリットがよりはっきりするし、分解できると予測可能になって不安が減るから、一歩目が踏みやすくなりますよね
次に「無能の痛み」も予測ができていれば、「自分は無能なんだ」ということを、むしろ楽しめる。例えばゲームも同じです。『ゼルダ』にしても『スーパーマリオブラザーズ』にしても、できなかったものができるようになっていくことが楽しいわけですよね。むしろゲームとして捉えられると、無能が楽しいことになる。
今まではめちゃくちゃ高い階段で、進んでもジャンプできなかったから、「しんどい。あれはすっぱい葡萄だ」となっていたけど、ChatGPTに「大学生にわかるように教えてください」「ここの部分がわからないので分解して教えてください」と聞くと、自分で階段が登れるように、理解できるように分解されていくわけですね。そうすると、無能な痛みが一歩一歩自分が成長していく喜びに変わって、気づくと「俺こんなに成長してんじゃん」という成功体験ができる。
なので、むしろChatGPTと一緒に、ある程度予測可能にして、無能の痛みに階段をつけていく。そのトンネルをくぐれば痛みもゲームになって、振り返ると「こんなに成長できているんだ」という冒険に変わるわけですね。
というわけで
みなさんも、自分の中で勝手に「すっぱい葡萄だ」と思っていることはありませんか?ChatGPTに「それをやった時にどういういいことがあるのか。
どういうことに注意すればいいのか」を箇条書きにして入力してみるといいです。また、一歩目を踏む時にわからないことがあれば、調べたあとで「これを大学生でもわかるように説明して」「この部分をもっとわかりやすく説明して」「カタカナや英語を使わずに説明して」とすると、階段が小さくなって成長することができるというお話です。
というわけで、つながる時代の未来を楽しみましょう。じゃあね
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