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「悪あがきはやめろ」米国が中国のスパイ気球を撃墜したウラ事情

未だ記憶に新しい、今年2月に発生したアメリカ軍による中国のスパイ気球撃墜事件。その裏側には、米中の激しい「成層圏を巡る闘い」が存在していたようです。今回のメルマガ『NEWSを疑え!(無料版)』では静岡県立大学特任教授で軍事アナリストの小川和久さんが、アメリカとの軍事的格差を縮めるべく成層圏を活用する、中国の戦略的な動きを解説。さらに米国がスパイ気球撃墜に込めた中国に対するメッセージを紹介しています。

気球にのぞく中国の狙い

2023年2月に米国とカナダ当局によって発見された中国気球事件について、中国の狙いが情報収集だけにあるかに語られている。

それは疑いのない事実だが、実際には成層圏を活用して米国との軍事的格差を縮めようとする中国の動きは、もっと高度で戦略的なものだと私はとらえている。

そして、米国がその動きを早くから察知し、有効な手を打ってきたことも知られていない。

今回、はからずもその一端が「気球」と「F-22」という形でわれわれの目の前に展開された。この機会に成層圏をめぐる米中の見えざる闘いの実相の一端を明らかにしておきたい。

まず、成層圏を活用しようとする中国の動きだが、米国に20年も立ち後れているとされる軍事インフラを整備し、軍事的格差を少しでも詰めようとする中国の戦略の大枠で括る必要がある。

当然ながら、中国は過去20年以上にわたって気球や飛行船を使って情報収集能力を向上させようとしてきた。

偵察衛星から目標を精密偵察しようとすれば、高度120キロほどの低軌道を周回させる必要が生じる。その場合、軌道変換に噴射するロケットの燃料が減るばかりか、薄いとはいえ大気の抵抗で衛星の寿命が短くなる問題がある。このようなリスクに高価な偵察衛星を頻繁にさらす訳にはいかない。衛星では電子・電波情報の収集にも限界がある。

それが気球や飛行船のような高度20キロ~30キロの成層圏に滞留できる飛行体であれば、精密偵察の能力は低軌道の偵察衛星に勝るとも劣らないし、衛星では拾えない電波に関するシギント(通信傍受や電子情報収集など)による情報収集も担わせることができる。日本上空などの気球にはその目的が感じられる。しかも衛星が1時間半に1回、同一地点を偵察するのに対して、気球などの飛行体を一定空域に滞留させれば、継続的な情報収集が可能になる。1個所あたり数十個単位の必要数を投入したとしても、コストは偵察衛星に比べてはるかに安上がりだ。

しかし、中国の狙いはそれだけではない。中国軍の致命的な弱点を気球などの飛行体で補おうとする方向が明らかになっているのだ。

その一端は2021年の中国国際宇宙博覧会で公開された飛行船が、ブロードバンド(高速大容量通信)によって1万平方キロの海域で無線通信を行う能力を備えていたことでもわかる。

これまで日本の専門家が注目することは少なかったのだが、中国軍はハイテクによる近代化を進めるほどに、中枢神経であり動脈でもあるデータ中継能力の不備に悩んできた。米国がデータ中継専用の衛星TDRS(Tracking and Data Relay Satellite)を15機、データ中継能力を持つほかの衛星を合わせると30機ほどを投入しているのに対し、中国のデータ中継衛星は天鏈1号(CTDRS-1)が8機だけ。能力の格差は歴然としており、ハイテク化を進めるほどに中国軍は機能不全の壁に直面することになっていた。

これを気球などの飛行体が埋める。一定空域に必要数を滞留させてデータ中継を行えば、その戦域でハイテク化された中国軍を機能させることが可能になる。これは衛星にばかり目を向けていた欧米諸国の盲点を突いた動きだった。

当然ながら、偵察衛星に匹敵する情報収集機能も中国軍の能力を飛躍的に向上させることになる。

そのひとつは空母キラーと呼ばれる対艦弾道ミサイルだ。中国の空母キラーの脅威は10年以上前から米国で叫ばれてきたが、その実、中国が海に向かって発射実験を行ったのは2020年8月のこと。それも空母並みの速力で移動する目標に対するものではなかった。それまでの10年以上、中国はゴビ砂漠に設置した米空母を模した同様の大きさのコンクリート製の標的に弾道ミサイルを撃ち込み、タクラマカン砂漠に敷設した線路上を移動する標的に照準する訓練を繰り返してきた。洋上を移動する目標に向けて発射できなかったのは偵察衛星の能力不足が原因だった。

洋上を航行する空母の速力は通常30ノット(約55キロ)以下だが、これを継続的に追尾しようとすれば地球を取り巻く3組の極軌道上に各25機ほどの偵察衛星を周回させる必要があるとされてきた。洋上の移動目標に発射できなかったのは、そのような能力が中国には備わっていなかったからだ。しかし、一定空域にこれまた必要数の気球などの飛行体を滞留させれば、その戦域で行動中の米空母を継続的に追尾できる訳で、空母キラーで攻撃することが可能になる。

新たな脅威として各国が対策に腐心している極超音速滑空体についても、日米が低軌道上に小型衛星をくまなく配置する衛星コンステレーションで監視・追尾しようとしているのに比して、必要な空域に飛行体を滞留させることによって低コストで同等の効果を得ることができる。

このように、気球などの飛行体を活用する中国の動きは、どこまでも戦略的だといってよいだろう。

私がこれまで指摘してきたように、中国が台湾本島占領に必要な兵力を輸送する3,000万トン~5,000万トンの船腹量を確保できないことは変わらない。しかし、狙い通り飛行船や気球が戦力化されるようになれば、中国は台湾周辺での軍事的能力を飛躍的に高めることは間違いない。

米国は、このような中国の軍事的動向をかなり正確に把握していたと考えてよい。

そしてタイミングを見計らうようにバーンズCIA長官は2月2日、習近平国家主席が2027年までに台湾侵攻能力を備えるよう軍に指示した、とジョンズ・ホプキンス大学での講演で暴露して見せた。根拠こそ明かされなかったが、それまでの海軍高官が議会証言で煽った台湾有事論とは異なるリアリティを感じさせるものだった。

それから2日後、米国はそれまで「泳がせ」ていた気球に世界の耳目が集まるよう仕向け、破壊してみせたのだった。

実を言えば、米国は2013年頃から「即応ラプター・パッケージ」と呼ばれる空母キラー対策を備えてきた。根拠地はアラスカのエルメンドルフ空軍基地。パッケージはF-22ラプター戦闘機4機とC-17輸送機1機。これに要員と資機材を載せ、中国の弾道ミサイル攻撃から生き残った離島などの飛行場に緊急展開し、空母キラーを支援する中国の中継機、無人機、気球・飛行船を撃破する構想である。

今回の気球事件で、アラスカとカナダ・ユーコン準州で活動したF-22からは、エルメンドルフに展開する即応ラプター・パッケージの姿が浮かび上がる。

そう考えると、米国が気球など飛行体の展開による中国の軍事的能力の向上を阻止する有効性を実証したという見方も可能になるのだ。中国がサイドワインダーなど空対空ミサイルに対抗するために気球などの高度を上げれば、さらに長射程の空対空ミサイルを発射して破壊するだろう。

今回の気球破壊劇は、軍に台湾侵攻準備を指示したとされる習主席への「悪あがきはやめろ」という強烈なメッセージの側面があることを忘れてはならない。

そして、日本国民が知っておくべきは中国の気球など飛行体の能力が期待されているのは台湾や尖閣諸島周辺の戦域であり、それを阻止するために米国も即応ラプター・パッケージを南西諸島などに展開する準備を整えているという現実である。成層圏をめぐる米中の見えざる闘いは日本列島上空でも展開されているのだ。

(静岡県立大学特任教授 軍事アナリスト 小川和久)

image by: Shutterstock.com 

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