全11人の受賞者うち、実に4名の女性受賞者を数えた2023年のノーベル賞。しかしかつては、女性が男性研究者と同じ条件を得ることすらできないのが現実でした。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、今年のノーベル賞の結果について「ガラスの天井の扉を開けるための努力がやっと実り始めた」として、そのきっかけとなった論文を紹介。さらに我が国における女性科学者育成の歴史を振り返りつつ、日本人初の女性ノーベル賞博士の誕生に期待を寄せています。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
コネと性差別とノーベル賞と
ノーベル経済学賞に米ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン博士が輝きました。すでに報道されているとおり、ゴールディン博士は、女性の労働市場への参加についてアメリカの200年以上にわたるデータを集め、男女間の格差の是正において何が重要なのか、そのカギとなる要因を分析したことで広く知られています。
経済学賞では女性の受賞者は3人目ということですが、今年のノーベル賞受賞者は、女性研究者が目立ちましたね。世界は動いてる!と実感しました。
- 生理学・医学賞では、新型コロナウイルスの「mRNAワクチン」の開発で大きな貢献をした、アメリカのペンシルベニア大学のカタリン・カリコ博士。
- 物理学賞では「アト秒」と呼ばれるきわめて短い時間だけ光を出す実験的な手法を開発し、物質を構成する細かな粒子の1つ「電子」の動きを観察する新たな研究を可能にしたスウェーデンのルンド大学のアンヌ・ルイエ博士。
- 平和賞では、イランの人権活動家、ナルゲス・モハンマディ氏。
- そして、経済学賞のクラウディア・ゴールディン博士です。
女性初のノーベル賞受賞者はキューリー婦人こと、マリ・キュリー博士です。1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞しています。
しかし一方で、ノーベル賞の1901年からの歴史の中で、女性受賞者は圧倒的に少なく、わずか5%程度でした。逆説的にいえば、今回、女性が目立ったのは、ガラスの天井の扉を開けるための努力がやっと、本当にやっと実り始めた、ということかもしれません。
そのきっかけとなった、一本の論文があります。タイトルは、“Nepotism and Sexism in Peer-Review”。
1997年にスウェーデンの医学者、WennerasとWoldによって書かれた「ガラスの天井」の存在を統計的な分析で明かした論文です。
論文では、スウェーデン医学研究評議会(Swedish Medical Research Council)による研究費補助金の審査過程で、男性は「男」というだけで高く評価され、女性は「女」というだけで低く評価されていたこと、および審査員となんらかのコネがあることも審査の評価に影響していたことを明らかにしました。
その上で、コネを持たない女性が科学業績だけで“ガラスの天井”を破るには、最高ランクの雑誌に男性より20本ほど多くの論文を発表する必要があるとし指摘。それは不可能に近いことを、意味しています。
この記事の著者・河合薫さんのメルマガ
それまでも1993年に科学史研究者マーガレット・ロシター氏が、「女性科学者による貢献が過小評価されるバイアス」を、“マチルダ効果(Matilda effect)”と名付けるなどムーブメントはありました。
しかし、先の論文が科学的根拠に基づき分析され、世界的な科学ジャーナルであるネイチャーに掲載されたことで、問題を指摘されたスウェーデン医学研究評議会は対策を迫られます。
翌年から、女性の審査員を増やし、審査過程の透明性に明確な基準を示し今後一切、研究助成金獲得の段階で、性差別と縁故主義を撲滅すると約束。これをきっかけに欧米諸国にも女性というだけで「機会」が失われないための取り組みが広がったのです。
日本も例外ではありません。2000年代に入ると多くの企業が女性研究者を対象とした研究費助成をスタート。リケジョという言葉が生まれたのも、「研究者を増やすには大学進学で理系を選択する女子学生を増やす必要がある」との認識からでした。しかし、想像以上の壁は高かった。日本では性役割が社会の隅々まで深く根付いてしまっているので、そもそも「女の子が理系にすすむなんて!」という保護者がかなりいたのです。
やっと最近、少しづつその壁にも「傷」がつく程度までにはなりましたが、道のりは長いといわざるをえない状況です
実は意外に思われるかもしれませんが、日本はかなり早い段階から、女性研究者育成に力をいれていたのですよね。
「科学者達の自由な楽園」と呼ばれていた理化学研究所が創設されたのは1917年、大正6年ですが、当時の理研は男女差別とは無縁な組織でした。
理研の女性科学者第1号は、有機物質の分光分析等に顕著な業績を残した加藤セチ先生です。当時は多くの大学で女性の入学を禁止していたので、加藤先生は大学を卒業していません。山形で小学校教師を務めていたのですが、研究者を志し、1922年に理研に入所。1953年に女性として初めて主任研究員となって自身の研究室を主宰しています。
続いて、辻村みちよ先生が入所しますが、辻村先生も大学を出ていませんでした。そして、3人目の黒田チカ先生です。黒田先生は1913年に東北帝大に入学した日本初の女子大学生の一人です。
その後は、さまざまな立場で女性科学者が加わるようになり、女性科学者の楽園として、実績が積み上げられ、多くの科学者が輩出されています。
残念ながら、日本ではこれまで28人のノーベル賞受賞者がいますが、女性は1人もいません。しかし、近い将来、日本人初の女性ノーベル賞博士が誕生する…かも。首をながーくして待ちたいです。
みなさまのご意見、お聞かせください。
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