ナポレオンと日本はまったくの無関係ではなかった「意外な事実」

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映画『ナポレオン』が話題となっていますが、実は無関係のような日本もナポレオンに関係した事件があったことをご存じですか? メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』著者の早見俊さんは、その事件と、その後、親交を結んだナポレオン三世について詳しく紹介しています。

ナポレオンと日本

巨匠リドリー・スコット監督の最新作、「ナポレオン」がロードショー公開されています。「ジョーカー」で強烈なキャラクターを演じたホアキン・フェニックスがナポレオン役ですね。

ナポレオンはヨーロッパ中を巻き込む戦争を起こしました。ヨーロッパですので、日本とは無関係のような気がしますが、ナポレオンの意図ではなく、関係した事件がありました。

1808年に長崎で起きたフェートン号事件です。

ナポレオンと交戦中であったイギリスの軍艦フェートン号がオランダ船を追って長崎に入港したのです。当時、オランダはナポレオンの支配化にあり、イギリスの敵だったのです。

フェートン号はオランダ国旗を掲げて長崎湾に入り、オランダ商館の人間を人質に取って、イギリス船であることを明かしました。仰天する長崎奉行に食料と水を要求します。

長崎奉行はフェートン号を撃退しようとしました。長崎には佐賀藩鍋島家が警護として三百人の家臣を常駐させる義務がありました。ところが、泰平が続き、警護費用を削減しようと少人数しか駐在させていませんでした。

鍋島家は慌てて家臣団を整え、長崎に向かいましたが、フェートン号は長崎湾を悠々と引き揚げてゆきました。この不祥事の責任を取り、長崎奉行は切腹、鍋島家は藩主が隠居、家老が何人か切腹しました。

この事件の後、鍋島家は藩政改革に着手、財政を改善し、殖産、技術向上、家臣教育に努めます。その結果、幕末には最新式の大砲、アームストロング砲を所持し、上野彰義隊討伐に貢献、優れた人材を明治政府に参画させることができました。

ナポレオン戦争の思わぬ果実です。

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