「父が安倍晋三と不仲」だった福田達夫が、安倍派解散を“進言”の茶番。自民の派閥解消など所詮は「権力闘争」に過ぎぬ訳

2024.02.06
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国民の誰もが納得出来ない裏金疑惑について、派閥の解消だけで幕引きを図ろうとする自民党。しかしその派閥ですら、時を置かずして「復活」してくるのは火を見るよりも明らかなようです。今回、毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは、「派閥解消ブーム」に湧く自民党の内情を冷静な目で解説。その上で、現在自民党内で行われていることは「政治改革に名を借りた権力闘争に過ぎない」と一刀両断しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

自民党の「派閥解散ブーム」と「施政方針演説」について思うこと

裏金事件に揺れる自民党に「派閥解散ブーム」が起きている。岸田文雄首相が1月18日、自身が会長を務めていた岸田派(宏池政策研究会)の解散を検討する考えを表明すると、翌19日には安倍派(清和政策研究会)と二階派(志帥会)も解散の方針を打ち出し、2月1日には最後の総会を開いた。25日には森山派(近未来政治研究会)も解散を決定。わずか1週間ほどの間に党内六つの派閥のうち、麻生派と茂木派を除く四つが「解散」の方針を打ち出した。

既視感しかない。自民党は30年以上も前、リクルート事件の反省を受けてまとめた政治改革大綱に「派閥の弊害除去と解消への決意」をうたったはずではなかったか。実際にすべての派閥が解散し、政策集団に移行したはずではなかったか。

それなのに、今回の裏金事件で自民党の政治刷新本部が打ち出した政治改革に関する中間とりまとめには、派閥について、またも「本来の政策集団へ移行」と、恥ずかしげもなく書かれている。

あれは単なる「生まれ変わったふり」でしかなかったのか。30年以上前に「派閥解消への決意」をうたって改革を誓った結果がこれなのに、同じことを平気で繰り返せる神経を疑う。

筆者は1994年、全国紙で政治部に配属されたが、当時の自民党はまさに「政治改革ブーム」だった。リクルート事件などの政治腐敗で国民の批判が高まり、自民党は結党以来初めての下野を経験。政界再編による「自社さ」村山政権の発足で、自民党は選挙を経ることなく政権に復帰したが、この頃にはまだ「改革しなければ信頼は取り戻せない」といった空気が、党内に残っていた。

やり玉に挙がったのは、やはり「派閥のあり方」だった。党の改革実行本部は

  1. 「派閥」の名称は使わない
  2. 派閥事務所は年内に閉鎖
  3. 派閥総会は開かない

という派閥解消策をまとめ、各派閥のトップも了承。すべての派閥が「解散」した。真っ先に派閥事務所を閉鎖したのが、当時の三塚派、すなわち現在の安倍派だった。

「清和会」と呼ばれたこの派閥は、しかしこの後、現在の「清和政策研究会」に名称を変更して存続。そして、第2次安倍政権の発足以降、最大派閥として好き勝手に権力を振るい、その間に裏金にまみれていたのだ。

筆者でさえリアルタイムの時代を覚えているのだから、永田町には当時を記憶している人など、いくらでもいるだろう。にもかかわらず、今回の派閥解散をまるで自民党の歴史的転換点のように考える声が少なからずあることが理解できない。

2月1日、安倍派の「最後の総会」が開かれたが、裏金事件の最大の舞台となった派閥であるにもかかわらず、派内の関心が向いているのは「裏金の全容解明」や「政治責任の取り方」ではない。派閥に残る資金などの残務処理である。毎日新聞の報道によれば、残務処理にあたる「清算管理委員会」が「今後の政策集団などの再結集に向けた核になるとの思惑があり、その主導権をめぐり派閥幹部と中堅・若手が対立している」という。

「再結集」。当然のようにこう書かれていることに、正直あ然とする。もっとも、30年前の経緯を思い起こせば、こんなことは政界全体で織り込み済みなのだろう。

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