68歳で子供を作って「若気の至り」と照れる。50人の子をもうけた新1万円札の顔・渋沢栄一の子沢山秘話

 

もう一人の子沢山偉人は松方正義です。

松方正義は明治維新の元勲、内閣総理大臣や大蔵大臣を歴任し、特に蔵相として金本位制の確立や日本銀行の設立に業績を残しました。

明治初年はインフレ状態でした。明治政府がインフレを克服し財政再建を果たしたのは松方の功績だと言われています。そんな優れた政治家であった反面、彼は稀に見る女好きでした。

明治天皇から女遊びを慎むよう注意されるくらい好色漢だった伊藤博文が一目置いた程です。

妻満佐子との間には四男一女をもうけています。当時としては子沢山とは言えません。ところが愛妾との間にも大勢の子供を作り、妻との子供も含め、十五男、十一女を持ったのでした。満佐子は愛妾の子も分け隔てなく育てたそうです。

ただ、晩年にできた子供は恥ずかしいと思い、孫として役所に届け出ました。男から見れば出来た妻ですね。松方も満佐子も薩摩出身です。男尊女卑の風潮の土地柄とあって、妻は亭主に尽くすべし、と育てられたのかもしれません。

実際、満佐子は松方がどれだけ外で愛妾を作ろうが平然としていたそうです。松方が那須の別荘に愛妾を連れて来ると、満佐子は気を遣い、帰っていったとか。

この気遣いを、旦那様は国事に奔走なさっています、私は御役御免なので代わりに若い女の子が御役目を果たすのですと、満佐子は語っていたとか。松方の好色は妻満佐子に支えられていたわけです。今日からすると、浮気し放題の松方、それを許していた妻満佐子の夫婦は異常に見えるかもしれません。ただ、松方は決して満佐子をないがしろにはしませんでした。気に入った女とのセックスを楽しみながらも、満佐子ともしっかりと枕を共にしていたのです。

セックスレス夫婦ではなかったのですね。

松方の子沢山については面白いエピソードがあります。ある日、明治天皇から、「おまえは子沢山だそうだが、子供は何人いるのか」と問われ、松方は即答できず、「後日調査の上、ご報告申し上げます」と答えたとか。

大蔵大臣として辣腕を振るい、数字に滅法強かった松方が子供の人数を把握していなかったのでした。

image by: パブリックドメイン(WikimediaCommons)

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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