68歳で子供を作って「若気の至り」と照れる。50人の子をもうけた新1万円札の顔・渋沢栄一の子沢山秘話

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今年7月3日に発行開始が予定されている新紙幣の1万円札の新たな顔となる渋沢栄一。生涯で500を超える会社を興したことで知られる実業家ですが、「日本資本主義の父」と称される渋沢が生涯で50人を超える子供をもうけていたことをご存知でしょうか。今回の『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』では時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが、そんな渋沢と明治維新の元勲のひとりで総理大臣も務めた松方正義の「子沢山列伝」を紹介。さらに彼らの妻のエピソードも取り上げています。

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:明治の子沢山偉人

明治の子沢山偉人

明治時代に活躍した二人の子沢山偉人を紹介します。

まずは、渋沢栄一です。

新1万円札の顔となる渋沢栄一は日本資本主義の父と称される大実業家です。

明治、大正、昭和に亘って精力的に活動し、第一国立銀行、王子製紙など500に余る会社や東京株式取引所の開設に尽力しました。生涯の愛読書、『論語』の精神で経営にあたり、「私利を追わず公益を図る」というモットーを貫ぬいた実業家人生でした。

そのため、巨大財閥を作ることはなく、昭和6年91歳で大往生を遂げるまで現役で活動を続けました。

現役だったのは仕事だけではなく、性生活もであったのかもしれません。というのは、渋沢は68歳で子供を作っているからです。この時、「いやあ若気の至りで」と照れたとか。

仕事、性生活、共にエネルギッシュな渋沢栄一の最初の結婚は18歳の時、妻千代は14歳でした。渋沢は千代との間に二男三女をもうけます。千代は42歳で病死、翌年兼子と再婚します。兼子とは二男二女をもうけました。

二人の妻だけで渋沢の性欲が満たされるはずもなく、複数のお妾さんを持ち、嫡子、庶子合わせて20人の子供に恵まれました。すごいことに、妻、妾、子供たち全員と一緒に暮らしていたそうです。また、非嫡子を入れると50人を超す子供がいたとも噂されています。

そんな性豪ぶりを兼子は、「論語とはうまいものを見つけなさった。聖書だったらてんで守れっこないものね」と言ったとか。聖書は姦淫を禁じていますが、論語に性についての戒めは書かれていないことを皮肉ったのですね。

渋沢は己が艶福ぶりを反省したのか、家訓として女遊びを戒め、芸者に近づくなと定めています。自身は花柳界で五本の指に入る遊び人と評判を取ったのにです。

渋沢の女好きの血は長男に受け継がれ、家訓を破って新橋の芸者にのめり込んでしまいました。渋沢は自分のことを棚に上げて長男を叱りましたが長男は聞く耳を持たず、妻を追い出して芸者を家に入れようとしました。渋沢は激怒して長男を廃嫡します。長男にしたら親父には言われたくないと思ったことでしょう。

道徳と経営は合一すべしと語っていた渋沢栄一は、生涯、500を超える会社と50人を超える子供を産んだ偉大な父だったのです。

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