また、そのようなことを把握したとしても、「看板」を立てる程度であって、物理的に観光客を制御できるような状況を作ることが出来ないのです。
今回の富士河口湖町の事例でわかるように、「外国人観光客」に対して「日本人の同じ文化を持った観光客に、法律やルールを守るという性善説で接している」ということにしかならないのです。
しかし、そもそも英語でしか看板を作らなかったり、単純に「道路に出ないように」としか書いていないようでは、ごみのポイ捨てはなくならないし、外国人観光客がマナーを守る可能性はないのです。
「旅の恥は掻き捨て」と言いますが、まさにそのことで普段の生活、つまり本国に帰ってからの生活やキャリアに何の問題もないようであれば、そのような看板のことなど守るはずがないのです。
しかし、そのことが全くわかっていないということになるのではないでしょうか。
第三には、「そのようなことに気づいても、そこに対処する人員がいない」ということになります。
観光地は、東京ではありません。
日本の場合は、東京に人口が一極集中してしまい、若者の多くは東京に入ってきてしまっています。
大学なども東京や大阪などの大都市圏にしかなく、そのことによって大学生のアルバイトを富士河口湖町で雇うなどということはかなり難しいということになるでしょう。
その人口集中ということは、観光客相手に外国語を使って制御するような人員を確保することもできないということになるのです。
極端な例を言えば、農業などの一次産業しかない場所で、観光客を誘致してしまい、その観光客を制御するための人員を集めても、老人ばかりになってしまうということになるのです。
そのうえ「観光客を集める」ということしか考えていない観光課は、観光客を逮捕したり、注意するなど「嫌われる可能性がある」ことは一切しないということになるのです。
これでは、ルールなどが守られるはずがありません。
そのうえ、そこで交通事故が起きても、自己責任というようなことにはならないいのが日本の法律です。
これでは観光客を制御できるはずがありません。
単純に、人口集中と過疎化、それがオーバーツーリズム問題をより悪化させているということになります――(メルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』2024年5月20日号より一部抜粋。続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)
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