気象庁は15日、宮崎県の震度6弱をうけて8日に発表した「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」の「呼びかけ」を終了した。気象警報の「解除」とは性質が異なるため今後も各自で地震に備える必要があるが、そこで気になるのがマスコミが報じる被害想定だ。なぜ南海トラフ巨大地震の想定死者数は10年前から「32万3000人」のままなのか。元全国紙社会部記者の新 恭氏が詳しく解説する。(メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:想定死者数32万人。南海トラフ地震の防災対策は進んでいないのか
南海トラフ巨大地震「被害想定」なぜ10年前のまま?
8月8日夕方、宮崎県の日向灘で発生した最大震度6弱、マグニチュード7.1の地震は、気象庁が「巨大地震注意」を発表する初のケースとなった。
駿河湾から日向灘にかけて想定される最大マグニチュード9.0の南海トラフ巨大地震。いつ起きても不思議はないと言われながら、あまりに想定被害が甚大なこともあって、筆者などは、どこか他人事として安心していたい気分がまさっていた。
ところが、「注意せよ」とお上に言われれば、とたんに非常用食料は、水は、防災グッズはとあわててチェックする始末である。あたりまえのことだが、東日本大震災級の地震と津波がより広範囲に、より早い到達速度で襲ってくるというのだから、想像を絶する怖さだ。
それにつけても、気になって仕方がない。10年ほど前に政府が発表した南海トラフ巨大地震の被害想定数字が、いまもそのままメディアに使われているのはなぜか。10年間に各自治体で行われてきた防災対策は、まだ効力が見込めるところまで達していないのだろうか。
死者32万人を「10年で8割減らす」政府目標の進捗は
想定死者数を見てみよう。2013年5月に内閣府が発表した南海トラフ地震の被害想定によると、最悪の場合の死者数は32万3000人とされている。
それを23年までの10年間で8割減らすというのが政府目標だった。
しかし、ほとんどのメディアが、32万3000人という数字を今もそのまま使っている。毎年のように数字を更新するシステムではないことを承知の上で、あえて言うなら、これだと、10年を費やしても防災・減災対策が一向に進捗していないことになってしまう。住民としては不安が募るばかりだ。
そこで、対策の進み具合をチェックするため、各自治体のホームページを訪ねてみると、想定死者数を独自に減らす発表を行ったケースもあることがわかった。
最も被害が大きいと見られている静岡県がそうだ。昨年6月13日、「平成25年度に最大約10万5千人と試算していたマグニチュード9級の地震による想定死者数が、今年3月末時点で約2万2千人になった」と発表した。それならまさに、8割減の目標を達成したことになる。
神戸市は2023年3月に津波対策を完了したと宣言している。その中身は、湾岸部の防潮堤を粘り強い構造に補強し、地震による沈下を見越してかさ上げする工事だ。現在はさらに水門・鉄扉をタブレットの遠隔操作で閉鎖できるようにする整備を進めているという。完璧とはいかないにせよ、津波の襲来をある程度抑えることができれば、死者数がかなり減少するのは間違いない。
各自治体の資料をざっと見る限りでは、対策の遅れはさほどないように感じる。10年間で想定死者数(32万3000人)を8割減、建物の全壊棟数(250万棟)を5割減にするという計画通りに対策が進んでいるなら、現時点で数字を更新した場合、想定死者数が6万4600人、全壊棟数は125万棟となっていてもおかしくない。
政府目標の「死者8割減」が達成困難なワケ
だが、現実はそう単純ではない。大阪府のように、もともと政府発表より被害を大きく想定していた自治体もあるのだ。
大阪府防災会議が13年10月30日に公表した被害想定では、津波などによる死者が、最悪の場合、内閣府の想定(最大9800人)の約13.7倍にあたる13万3891人となっている。
政府発表のうち、大阪府だけをこれに置き換えたら被害想定の数字は一気にはね上がり、他自治体との整合性がとれなくなってしまうだろう。
南海トラフ地震については、最新の知見により、地震動の推計や津波浸水範囲の計算などの手法を変更する必要性が生まれている。もちろん対策の進捗もあるため、政府は昨年来、被害想定の見直し作業に取り組んできた。
その成果としての改定基本計画を今年春にも発表する予定だったのだが、計画のとりまとめが大幅に遅れ、その間に今回の宮崎の地震が起こってしまった。
そんなこともあり、各メディアとしては、改定計画が出てくるまで、従来の数字を使わざるをえないのが現状なのだろう。
政府は防災対策の進展を反映させるため2019年、想定死者数を23万1000人とする再試算の結果を公表しているが、その数字さえほとんどのメディアで使われていない。
南海トラフ地震の防災対策を検討する政府作業部会の福和伸夫名古屋大名誉教授は昨年4月、想定死者数を8割減らす政府目標について「達成は難しい状況」と語った。要するに、対策が進んだといっても、まだまだ不十分ということらしい。
「想定死者数32万人」は変更されない可能性も?
よく知られたことだが、近いうちに南海トラフ地震が起きるという推定は、歴史的事実に基づいている。
日本列島は、海側のフィリピン海プレート、太平洋プレート、大陸側のユーラシアプレート、北米プレート、これら四つのプレートが押し合い、圧縮され、隆起して形成された。このため日常的にどこかで揺れが観測されている。
地球を卵に例えれば、プレートは表面の殻にあたる「硬い岩」だ。その下にマントルという1000℃以上のやわらかい岩があり、流動している。
南海トラフは、フィリピン海プレートが、陸側のユーラシアプレートの下に潜り込んでいる海溝で、4000mもの深い海底の凹地が、駿河湾から四国沖にかけて連なっている。
この海溝沿いに、東日本大震災と同様のプレート境界型地震が100年前後の間隔で繰り返し起きた。慶長地震(1605年)、宝永地震(1707年)、安政の東海、南海地震(1854年)、昭和の東南海地震(1944年)、南海地震(1946年)……。
そのため、南海トラフ地震の周期は「100年に一度」と定説のように言われてきた。ただし、昔の地震の規模については、明確な記録がないことや、マグニチュードの計算方法が考案されたのが1935年以降のことであるため、はっきりしない。
1707年の宝永地震はM8.4ないし8.7だったとされているが、遺跡の地震・津波の痕跡や古文書の記述からマグニチュードを推定しているにすぎない。
最大でM9.0クラスの地震を南海トラフに想定したのは、東日本大震災がきっかけだ。想定をはるかに超える巨大地震と津波が太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域で現実に発生したのだから、南海トラフでも起こりうる。東日本大震災の被害状況のデータを加味して「最大規模の地震・津波」を想定し、被害予想の推定値を算出する必要が生じたのだ。
そこから想定死者数32万3000人という数字がはじき出されたわけだが、「人心の安定」を重視するこれまでの政府の姿勢から見て、改定基本計画が出ても大きく変更されることはないかもしれない。大幅に減らしてしまうと、国民の危機感が薄れて備えがおろそかになる恐れがある。推計手法の見直しなどで増えることもありうるが、あまり増やすと不安をさらに煽ってしまう。
地震後の復興は望み薄か。高まる「自助と自己責任」の比重
いずれにせよ、前回の大規模な地震からすでに80年ほど経っているため、最大クラスかどうかは別として、近い将来、南海トラフで大地震が起きるのは間違いない。最悪の場合は、静岡県から宮崎県にかけて最大震度7の非常に強い揺れと、太平洋沿岸の広い範囲で10メートルを超える大津波に見舞われるのを覚悟しなければならないということだ。
各自治体が進めてきた防災・減災対策はいわば応急対策だが、復旧、復興に向けての長期的対策については「まだ十分な検討が行われておらず、具体化が進んでいない」(国土交通省)という。
たとえば、基幹産業が高度に集積している太平洋ベルト地帯が打撃を受けたら経済は大混乱に陥る。全国規模で機能を補完し合う体制を整えておかねばならない。
また、数百万人規模の人々が長期にわたる避難生活を余儀なくされる可能性があるが、その場合の対応をどのようにするのか。そして、復興まちづくりをどう進めるのかなど、早急に具体策を練るべき課題は数多い。
南海トラフ地震の防災対策は政府目標のように進まず、長期的な復興政策となるとまったく手がつけられていないといっていい。東日本大震災の経験があるとはいえ、首都圏から中部、関西の大都市部を含む日本列島の広範囲が破壊されるとしたら、その影響は計り知れない。警察、消防、自衛隊などの救助活動にも限界があるだろう。
つまるところ、自己責任で命を守るしかないということか。であるなら、そのためにどのような備えが必要なのかを、今のうちに本気で考えてみなければならない。
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