なぜ1996年ごろをピークに日本の賃金が下がったのか
理論的にも、現実的にも、それは証明されているのです。
下の表は、90年代から2000年代の平均賃金の推移です。
90年代から2000年代の平均賃金
平成3 (1991)年 447万円
平成4 (1992)年 455万円
平成5 (1993)年 452万円
平成6 (1994)年 456万円
平成7 (1995)年 457万円
平成8 (1996)年 461万円
平成9 (1997)年 467万円(最高値)
平成10(1998)年 465万円
平成11(1999)年 461万円
平成12(2000)年 461万円
平成13(2001)年 454万円
平成14(2002)年 448万円
平成15(2003)年 444万円
平成16(2004)年 439万円
平成17(2005)年 437万円
平成18(2006)年 435万円
平成19(2007)年 437万円
平成20(2008)年 430万円
平成21(2009)年 406万円
平成22(2010)年 412万円国税庁の統計発表から著者が抜粋
これを見ると、日本の賃金が下がり始めたときから一人当たりのGDPの国際順位も下がり始めたということがわかるはずです。
では、1996年ごろをピークになぜ日本の賃金が下がったのでしょうか?
企業業績が急に悪くなったのでしょうか?
違います。
1996年前後には、別に何も経済的なダメージを蒙るようなことはありませんでした。
ではこのころ何が起きたかと言うと、「人為的な賃金引き下げ運動」が始まったのです。
1995年、日本の大企業経営者の集まりである経団連は「新時代の“日本的経営”」として、「不景気を乗り切るために雇用の流動化」を提言しました。
「雇用の流動化」というと聞こえはいいですが、要は「いつでも正社員の首を切れて、賃金も安い非正規社員を増やせるような雇用ルールにして、人件費を抑制させてくれ」ということです。
それまでの日本経済では、賃金や雇用というのは、絶対に守らなくてはならない聖域のようなものでした。
日本経済はこの聖域を守ることで、高度成長期からバブル期にかけて繁栄してきたのです。
しかし財界では、バブル崩壊の痛手から立ち直る手段としてこともあろうに、この聖域に手をつけようとしたのです。
これに対し政府は、財界の動きを抑えるどころか逆に後押しをしました。
そのため、このころから日本の賃金が下がり始めたのです。
国内経済の収縮も招いた賃金の低下
そしてこの賃下げと連動するようにして、一人当たりのGDPの国際順位も下がっていったのです。
日本の一人あたりGDPのOECD順位は、1997年には7位につけていました。
が、1998年から13位に転落し、その後は下降の一途をたどるのです。
まさに「賃金が下げられるようになってから日本の労働生産性の国際順位が急落した」のです。
また日本の賃金が下がり始めたときから、日本の国内経済が収縮しはじめたことは、物価の推移からもわかります。
下の表は、90年代から2000年代の物価の推移です。
賃金が下がり始めた翌年から物価も下がり始めています。
賃金が減っているのだから消費が減るのは当たり前で、消費が減れば物の値段も安くせざるを得ないのです。
理論的にも、現実的にも、当然の現象が起きているのです。
年代から年代の物価指数(2010年を100とした場合)
平成3 (1991)年 97.6
平成4 (1992)年 99.3
平成5 (1993)年 100.6
平成6 (1994)年 101.2
平成7 (1995)年 101.1
平成8 (1996)年 101.2
平成9 (1997)年 103.1
平成10(1998)年 103.7(最高値)
平成11(1999)年 103.4
平成12(2000)年 102.7
平成13(2001)年 101.9
平成14(2002)年 101.0
平成15(2003)年 100.7
平成16(2004)年 100.7
平成17(2005)年 100.4
平成18(2006)年 100.6
平成19(2007)年 100.7
平成20(2008)年 102.1
平成21(2009)年 100.7
平成22(2010)年 100.0
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