8月6日にロシアへの越境攻撃を開始し、敵軍が補給路として使用していた複数の橋の破壊に成功したウクライナ軍。この他にも数々の戦果が伝えられていますが、何が彼らの快進撃を可能にしているのでしょうか。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、フランスに亡命中の元KGBの諜報員が明かした「ロシア軍がわざと動かなかった理由」を紹介。さらにプーチン政権が置かれている「現在地」を解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:越境ウクライナ軍快進撃の理由はロシア軍と〇〇〇の対立が原因?!
ロシア軍の「意趣返し」か。越境ウクライナ軍快進撃の理由
皆さんご存知だと思いますが、ウクライナ軍がロシア領クルスク州に進軍し、急速に支配領域を広げています。「CNN.co.jp」8月16日。
ウクライナ軍はクルスク市の南西105キロメートルに位置するスジャに7日から部隊を展開しているが、ゼレンスキー氏は初めてスジャ制圧を認めた。
ウクライナ軍トップのシルスキー司令官が明らかにしたところによると、同軍は奇襲となった越境攻撃を開始してから、ロシア軍の防衛を破って35キロメートル前進し、82集落を制圧。面積にして1150平方キロメートルの地域を支配下に置いたという。スジャに軍司令部を設置したことも明らかにした。
- 82集落を制圧
- 1150平方キロメートルを支配下においた(東京都の約半分の面積)
- スジャに軍司令部を設置
だそうです。10日間で東京都の約半分の面積を支配下においたというのは、すごいことです。問題は、「なぜウクライナ軍は、ロシア領で快進撃できているのか?」です。もちろん、「ロシア軍の主戦力がウクライナ領で戦っているから」というのが主な理由でしょうが。
今回は、もっと「ロシアの内部事情」に関するお話です。ネタ元は、日本のメディアにも時々登場しているセルゲイ・ジルノフさん。彼は、元KGBの諜報員でしたが、フランスに亡命しています。
「無能さ」がバレて国防相を解任されたショイグ
ウクライナ侵攻がはじまった2022年2月24日まで、大部分の日本国民は、ロシアのことをほとんど知らなかったでしょう。「知ってるロシア人は?」と聞けば、「プーチン!」。「そのほかに?」と聞けば、「シャラポワ」「ザギトワ」など、美人のロシア人アスリートを思い出すぐらい。
もちろん、ロシア通のRPE読者さんのことをいっているのではありません。あくまで普通の、ロシアに全然関心がない人たちの話です。
しかし、ウクライナ侵攻がはじまると、ロシアに注目が集まり、何人かが日本でも知られるようになりました。民間軍事会社ワグネルの創設者、故プリゴジン。プーチン最大の敵、故ナワリヌイ。ショイグ国防相。ゲラシモフ参謀総長などなど。
ショイグさん。この方は、2012年から2024年5月まで、12年間国防相を務めました。今は、安全保障会議書記になっています。
このショイグさん。長年国防相を務めましたが、元々軍人ではないのです。専攻は、建築学でした。1994年、エリツィン大統領の時代に、非常事態相に就任。非常事態省というのは、自然災害とか大きな事故があったときに、救助を行うのです。ショイグは、ロシアで何か災害があると、現場に行って救助活動を指揮していた。それで、「困ったときにはショイグが助けに来てくれる!」と、彼の人気が上がっていったのです。
「政治的野心のない男」と思われていたため、ショイグはプーチンが2000年に大統領になった後も、生き残りました。2012年、ショイグは国防相に就任します。彼は軍人ではないので、ロシア軍内での彼の評判はよくありませんでした。しかし、大きな戦闘がなかったので、国防相としての彼の無能さが目立つことはなく、時は流れていったのです。
ところが2022年2月、ウクライナ戦争がはじまった。3日で終わるはずの、「ウクライナ特別軍事作戦」は、長引くことになりました。
2023年6月には、いわゆる「プリゴジンの乱」が起こった。プリゴジンの要求は、「無能なショイグとゲラシモフ(参謀総長)を首にしろ!」でした。そう、「ロシア軍が苦戦しているのは、無能な国防相と参謀総長のせいだ!」と思われていたのです。
もちろん、根本原因はプーチンなのですが、彼は「責任転嫁の達人」。常に、プーチン自身が非難される状況を回避することに成功してきました。2024年5月、プーチンが5期目に入ったタイミングで、ショイグは国防相を解任されました。そして、彼は安全保障会議書記に就任したのです。
国防省の巨大な汚職ピラミッドの頂点にあったショイ
ショイグ、見た目は非常に実直そうに見えます。しかし彼は、国防省の巨大な汚職ピラミッドの頂点にありました。
彼は、エリツィン時代からずっと非常事態相、国防相。地位は高いですが、大成功した起業家、経営者、投資家などと比べると、大金持ちにはなり得ません。ところがショイグの家は、巨大で、値段は1800万ドル(約27億円)だといいます。
● Где живет министр обороны Сергей Шойгу: фото дома на Рублевке
(@1分40秒ぐらいから家の写真がでてきます)
値段に関する出所→ ФБК нашел у Шойгу дом на Рублевке за $18 миллионов
彼は、どうやってこのような豪邸を建てる金を貯めたのでしょうか?
一般的には、「国防予算を横領した」と言われています。プーチンは、そのことを知らなかったのでしょうか?もちろん知っていたでしょう。
ところが、興味深いことに、プーチンは側近の汚職を「悪いこと」とは思っていないのです。なぜでしょうか?二つ理由があります。
一つは、汚職している側近を「いつでも逮捕できる状態にしている」こと。つまり、側近が逆らえば、即座に逮捕できる。
もう一つ、側近は、プーチンを裏切らない限り、死ぬまで汚職を続けることができる。つまり、「自分と家族がリッチな生活をつづけるため」に、プーチンに従順でありつづけるのです。
プーチンが側近たちに求めるのは、「清廉潔癖さ」「有能さ」「能力」などではありません。ただ一つ、「プーチンへの忠誠心」です。
ショイグは、汚職まみれの無能な国防相でしたが、逮捕されておらず、さらに今は安全保障会議書記という要職についています。彼は、戦争に失敗したので解任はされましたが、忠誠心は保っているのでしょう。
しかし、ここにきて、「国防省・ロシア軍 = 汚職天国」という状況が変わってきました。まず、ショイグの右腕イワノフ国防次官が汚職の容疑で逮捕された。「NHK NEWS WEB」4月24日。
ロシアでは、ショイグ国防相の側近でもある国防次官が収賄の疑いで逮捕されました。プーチン政権は、ウクライナ侵攻が長期化する中、国防省の綱紀粛正を図ろうとしているとみられます。
ロシアで重大事件を扱う連邦捜査委員会は23日夜、ロシア国防省のイワノフ国防次官を収賄の疑いで拘束したと発表し、モスクワの裁判所は24日、イワノフ氏は逮捕されたと明らかにしました。
ロシアのメディアによりますと、イワノフ氏は、ショイグ国防相の側近として知られ、2016年から国防次官に任命されて軍事施設の建設などを担当しました。
ウクライナへの軍事侵攻では、ロシア軍が占拠したウクライナ東部マリウポリで建設作業などの責任者を務めていたということです。
また、ロシアのメディアは「イワノフ氏は巨額の資産を保有し、最も裕福な官僚の一人」と伝えています。
ロシア大統領府のペスコフ報道官は、記者団に対し「プーチン大統領にも報告され、ショイグ国防相には事前に知らされていた」と説明しました。
ロシアがウクライナへの侵攻を進める中、ロシア国防省の幹部が汚職事件で逮捕されるのは異例です。
その後も国防省、ロシア軍の幹部が、次々と逮捕されています。「共同」8月6日。
ロシア連邦捜査委員会は6日、収賄容疑で国防省の元物資局長のウラジーミル・デムチク容疑者を逮捕したと発表した。ウクライナ侵攻を続ける主管官庁である国防省の現職や元職の幹部に対する刑事摘発が続いている。
そして、ショイグの後任で国防相に任命されたベロウソフは、経済学者。彼も、全然軍隊と関係ない人です。なぜ、プーチンは、経済学者ベロウソフを国防相にしたのでしょうか?「戦争で財政が苦しくなっているから、これ以上汚職を許すわけにはいかない」ということでしょう。面白いです。
ウクライナとの戦争の最中に、プーチンは、国防省とロシア軍幹部を、どんどん逮捕させている。
ロシア軍が越境攻撃にも「わざと動かなかった」ロジック
さて、フランスに亡命した元KGBの諜報員セルゲイ・ジルノフさんは、非常に興味深い話をしています。
ロシア国防省、ロシア軍の幹部が次々と逮捕されている。この状況は、ショイグ国防相の下で「汚職天国」だったロシア軍幹部にとって、「許しがたい状況」なのだそうです。彼らにとって、収入源(汚職)を絶たれるだけでなく、逮捕されるわけですから。まさに「天国から地獄に落ちる」状況。
ジルノフさんによると、ロシア国防省、ロシア軍幹部は、この件でうらみを抱いた。誰に?汚職の捜査をしている連邦保安局(FSB)に。それで、今回ウクライナ軍がロシア領内に進軍してきたとき、わざと動かなかった。これは、どういうロジックなのでしょうか?
ロシアの国境警備を担当する国境局は、FSBの一部なのです。
プーチンは、ウクライナ戦争を「戦争」と呼ぶことを禁じ、「特別軍事作戦」と呼ばせています。そして、ロシア領内に侵入してきたウクライナ正規軍は、「テロリスト扱い」なのです。
では、誰がテロリストを掃討するのでしょうか?これは、FSBの「憲法体制擁護・テロ対策局」なのです。しかし、FSBにウクライナ軍を倒すことができるでしょうか?もちろん無理でしょう。
ロシア国防省、軍は、ロシア領内に侵入してきたウクライナ軍とまじめに戦わないことで、何を求めているのでしょうか?
「FSBよ。おまえたちは、ウクライナ軍を撃退できるのか?俺たち(軍)にウクライナ軍を撃退して欲しいのなら、俺たちの利権(汚職)に手を出すのはやめろ!」
と。こんな感じで、プーチンの下で、ロシア国防省・ロシア軍とFSBの抗争が勃発しているというのが、セルゲイ・ジルノフの見解です。
それで、ロシアでクーデターが起きるとすれば、「ロシア軍の可能性が高くなっている」ということなのでしょう。
外からは盤石に見えるプーチン政権。しかし、今年に入ってから、「事実上のナンバー2」と言われていたパトルシェフ安全保障会議書記が失脚したり、いろいろ動きがあります。
中の動きが全部見えるわけではありませんが、はっきりしているのは、「みんな、バカな戦争をはじめたプーチンを恨んでいる」ということです。
独裁政権は、ある日突然倒れる。そして直前まで、「盤石だ」と思われているものです。それは、独裁政権の内部で起こっていることが、外から見えないからでしょう。
プーチン政権は、みんなが思っているほど盤石ではありません。
(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2024年8月18日号より一部抜粋)
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