『はなちゃんのみそ汁』の母親がはなちゃんに本当に教えたかったこと

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ドラマや映画にもなり、多くの人の心に刻まれる作品となった「はなちゃんのみそ汁」。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、はなさんと父・信吾さんが今日まで何を感じて生きてきたのかを語ったインタビューを紹介しています。

はなちゃんのみそ汁~食べることは生きること~

母親をがんで失った5歳の女の子が父親のために毎朝みそ汁をつくり続ける姿を描いた実話『はなちゃんのみそ汁』は大きな感動を呼びました。

死別から15年以上の歳月が経過。はなさんと父・信吾さんは今日までどのような人生を生きてきたのだろうか。いじめや反抗期など様々な問題に直面しつつも絆を深めていった親子の歩み、貫いてきた妻・千恵さんの願いを信吾さんに語っていただいた。

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一人娘・はなが台所に立ち、みそ汁をつくり始めたのは2008年2月20日、5歳の誕生日でした。

妻の千恵は、はなの4歳の誕生日にエプロンと包丁をプレゼントし、それから1年間、包丁の使い方や調理の段取りを教え、一緒に朝食のみそ汁をつくりました。

しかし、5歳を迎えたのをきっかけとして、千恵は一切口出しすることをやめ、鰹節を削って出汁をとるところからすべてをはなに任せたのです。

末期がんだった千恵には「はなが一人でも生きていけるように」という思いがあったのでしょう。はなもまた、千恵との約束通りに毎朝、台所に立ち続けました。

千恵の乳がんが判明したのは2000年7月。手術や抗がん剤治療で一度はよくなったものの、はなが生まれて間もなく再発。やがて全身に転移し、主治医からも手術は不可能と言われる状態でした。

2008年春の大型連休を過ぎた頃から体調が急激に悪化したことを思うと、みそ汁づくりをすべてはなに任せたのは、すでに自分の死を予感していたからなのかもしれません。

6月には「もって1か月」と余命宣告を受け、翌7月11日、ちょうどがん宣告を受けた同じ日に33歳の生涯を閉じるのです。

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