現在、スーパーからお米が消えています。コロナ禍でもトイレットペーパーやマスクが買い占められたことを覚えている人も多いと思います。教科書にも載っている第一次オイルショック時のトイレットペーパー不足も「日本人の買い占め」があったことで有名です。今回の『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』では時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが、オイルショックの時期に日本経済を救った日銀総裁のお話を紹介しています。
日銀総裁 前川春雄
先頃、日銀の政策金利上げが話題になりましたね。かつては公定歩合によって景気調整が行われていました。
話はそれますが、新型コロナウイルス禍でトイレットペイパーが不足しました。トイレットペイパーがなくなるというデマに踊らされ、我も我もと買い占めに奔る者が後を絶たず、マスクと共に一時、店頭から姿が消えました。
その頃、某ラジオ番組に寄せられたリスナーのメールに印象的なものがありました。リスナーは農家の方で、御自宅母屋の天井裏に大量のトイレットペーパーが備蓄してあるそうです。祖父様が第一次オイルショック時のトイレットペイパー不足の際、四トントラック一杯分のトーレットペイパーを購入なさり、それが未だに残っているのだとか。
第一次オイルショックが起きたのは1973年の十月、高度成長を続けていた日本経済はたちまちにして不況に陥りました。石油不足は家庭生活に深刻なダメージを与えます。時の通産大臣中曽根康弘がテレビで電気使用の節約を国民に訴えかける事態となりました。盛り場の深夜営業はなくなり、ネオンが消えました。戦後、平和を謳歌し、右肩上がりの成長を続けてきた日本の国民一人一人が耐久生活を強いられ、資源のない日本の危うさを改めて実感したのでした。
その記憶が国民の脳裏に鮮明に残っていた1979年、第二次オイルショックが世界を襲います。国民誰もが六年前の悪夢を思い出しました。またも物不足、買い占め、物価高、電気節約の生活を強いられるのか、不安で一杯になります。そんな暗いムードの中、オイルショックの影響を最小限に留め、インフレなき経済成長の舵取りをしたのが時の日本銀行総裁前川春雄でした。
前川の金融政策により、第一次オイルショックの轍を踏まず、日本は世界で最も早く経済危機を乗り越えます。
世界各国が第二次オイルショックのインフレで苦しむ中、前川春雄はいかにして日本経済を逆転させたのでしょうか。
次回、それを記します。(つづく)
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