2021年12月、カンニング指導を受けた後に自殺した当時大阪清風高校2年生だった男子生徒の両親が、今年4月に行き過ぎた指導を理由に同校を訴えたニュースがメディアで報じられ、ネットでも大きな話題となりました。この事案を取り上げているのは、現役探偵で「いじめSOS 特定非営利活動法人ユース・ガーディアン」の代表も務める阿部泰尚(あべ・ひろたか)さん。阿部さんはメルマガ『伝説の探偵』で今回、自死に追いやられた生徒に学校側が下した処分の異常さを指摘するとともに、同校が日常的に人権侵害を繰り返す組織である事実を白日の下に晒しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:指導死問題_大阪清風
行き過ぎた「卑怯者指導」。大阪清風高校生徒自殺事件
大阪清風高校で2021年当時17歳であった男子生徒が自死した事件。ニュースでは、カンニングをした男子生徒がその直後に亡くなったことから、「カンニング」ばかりが強いキーワードとして残っているように感じるが、ご遺族に詳しい話を聞くと、あまり注目されていないが、酷い実態が見えてきた。
事件はどのように報じられたか
まずは事件経緯を報道ソースから見てみよう。
2021年12月6日、倫理政経の教科で、カンニングが発覚する。同日中に学校は、別室で複数の教師から叱責を受け、保護者呼び出し、全科目0点、家庭謹慎処分8日、毎日反省文・反省日誌、写経80巻、心得書写という処分を受けている。
男子生徒はその2日後、自宅近くで倒れているのが見つかり、死亡が確認された。
各ニュースによると、男子生徒の両親は、教師らが「カンニングをする人間は卑怯者」と表現しており、心理的に追い詰めたと訴えている一方、カンニングはルール違反であり、指導・叱責を受けるのは当然としつつ、「卑怯者指導」が行き過ぎたものではなかったかと主張しているとある。
一方、学校は第三者委員会を設置し、委員会は「卑怯者という言葉は自死に一定影響した」としつつも、同様に処分を受けた生徒が自死していないことなどから、「自殺に追い込んだとまでは言えない」としている。
男子生徒がカンニングに追い込まれた事情
さて、まず、私が本件で気になったのは、同様にカンニングをした生徒が複数いたということである。そして、同様処分を受けている生徒も複数人いるということだ。
同校生徒らによれば、倫理政経の授業はわかりづらく、授業時間が守られないなど極めて評判が悪いものであるという意見があった。また、亡くなった男子生徒は担当教師から圧をかなりかけられていたようである。
あと少しで50歳になる私の経験では、もちろん自分自身カンニングをした経験がないし、カンニングが発覚するという場面には出会ったことがない。個人経験に過ぎないから、ごくごく一部のことであるが、カンニングをしたところで何らのメリットはない上にリスクしか増大しない。ゆえに、日常指導の中で、生徒がカンニングをせざるを得ない要因があったのではなかろうかとも思えるのだ。
この記事の著者・阿部泰尚さんのメルマガ
般若心経を「1日10巻も写経」という異常指導
また、処分であるが、これを見て「おいおいマジかよ」が私の第一声であった。
というのも、般若心経の写経は、私も精神統一や御供養のために私も行ったりするのだが、一巻作るのに、1時間から1時間半かかる。
もう一巻、と求められても、精神力がほぼ空になるから、しばらく休まないと写経はできない。
これを80巻書くというのは、驚くほどきついと言える。
仮に写経が1時間であるならば、1日10時間かかる計算となる。書き損じや墨にも気をつけなければならないとなれば、かなりの苦行になることは当然である。この量を「ちょっと多い」くらいで考えているならば、やってみるといいだろう。筆ペンは非常に優秀で、書き損じ予防などにもつながるが、毛筆・墨で書くとなれば、相当時間が掛かるはずだ。
私が思いつきで写経をやってみようと思い、毛筆に墨で半紙を使ってやってみたところ、綺麗に一巻を仕上げるまでに1日2時間ほどを使って20日間かかった。
今では筆ペンでなぞって書くが、それでも一巻1時間はかかる。
これを1日10巻仕上げるとなり、諸々チェックされ、雑だと思われたらやり直しになるとすれば、他の「行」を全てやらずであっても1ヶ月はかかるであろう。
学校はこれを「行」と呼んでいたようだが、かなりきつい罰だと間違いなく言える。これであれば、無期限停学処分の方がよっぽどマシだ。
本人が書いた写経(ご遺族ご提供)
例えば、いじめは被害者がいる。傍観の中にもその被害や対応を見て、不安になったり、心身の不調を訴える者も出る。つまり、必ずその加害に迷惑を被り、被害を受ける者がいるのだ。
一方、カンニングは、自らのリスクのみとの引き換えになる。仮に、カンニングを成功させたとしても、場当たり的であって、本来の成績が良くなる訳ではなく、いずれ勉強しなければならない。さらに言えば、これで下手に癖がつけば、そのうち、人生における取り返しのつかない大失態となりかねない。
つまり、カンニングという行為は、誰にも迷惑をかけるような性質のものではないが、自分のリスクを高める。発覚すればその場で処分は当然だし、発覚せずとも癖になれば取り返しがつかない道を行くことになる。
それでも、多くの学校の場合、いじめの加害者への処分はまず無く、こうした頭髪や服装などを含めた、生徒個人にリスクがある行為等の処分は積極的に行う傾向がある。反省して憔悴しきっている生徒を指導するのは容易に感じるだろうが、反省せず反発してくる場合は、指導せずに世に放つというわけだから始末が悪い。
浮かび上がる「日常的人権侵害校」という事実
本人が使っていたカバン(ご遺族ご提供)
2023年3月20日、大阪弁護士会は、大阪清風学園の校則などについて、複数の生徒からその運用が人権侵害に当たるとして申し立てがあったことに対し、人権擁護委員会が調査を行い、人権侵害がある事を確認したとの書面を発行している。
いわゆる人権侵害であることへの勧告と要望書である。
これによると、校則に頭髪規定があり、定期的に散髪検査をする。頭髪検査の際、「検査をする教員が前髪を触る、押さえる、つまんで引っ張るなどして眉毛に前髪に届くと不合格となる」「教師によって合否の判定に違いがあり、特定の教師が生徒によって対応を変える。」「教師がハサミを渡して生徒自身で切るように指示をする、生徒の前髪を教師自身によってはさみで切る行為」について教師らが行わないように大阪弁護士会は学校法人らに勧告している。
また、同校の校則には「携帯電話持ち込み禁止規定」があり、これに違反すると、生徒とその保護者に携帯電話の解約を求める慣習についても、人権侵害に当たるので、解約などを求めないように勧告している。
大阪弁護士会は清風学園に、「生徒や保護者の意見に耳を傾け、頭髪規定や携帯電話持ち込み禁止規定などの校則を協議し、検討するという柔軟な対応」「生徒と対話をする風通しの良い関係の構築」を要望している。
眉につけばアウトなど、虐待とも言える教師による酷い行為が、校則の検査という校内のみ、恰も正当性を帯びた形で常態化しているというのだ。
さらに酷いのは、髪を切るという行為に関しての記載である。
清風学園では上の通り、頭髪検査に引っ掛かると、髪を自ら切るか、教師が切るかを迫られることになるが、弁護士会の質問に関し、教師が生徒の髪をハサミで切ったものは、生徒が望んだものだと学校側は回答しているが、調べによればそのような事実はないという。つまり、人権侵害についての調査に関し、対応をしても嘘をついていたのだ。
このような記載は枚挙に暇がない。まさに、嘘つき学校、虐待学校、こどもの権利人権を侵害することが常態化していた学校と言えるのではないだろうか。
本人の生徒手帳(ご遺族ご提供)
このような環境の学校で起きた指導死事件である。報道の通りにはなかなか受け取れるものではないのだ。
結果的にご遺族は司法に訴え出るしか道がなくなったわけだが、これには私学の第三者委員会の中立公平性に問題が大きく絡む。第2弾は、この第三者委員会について深く切り込む。
憔悴しきった生徒を追い詰めるのが本当の教育か
前提として、私は不正に関しては嫌悪感を持っています。先日、私はあまりの睡眠不足と疲労で、目を覚まそうと寄ったコンビニで、カップのホットコーヒーを頼みました。いつもはMサイズを頼むのですが、トイレが近くなってはいけないという思いが頭を過り、Sサイズを頼みました。しかし、いつもの癖で、Mサイズの濃いめを押してしまったのです。
私はすぐに事情を店員さんに説明し、何度も謝罪をして、Mサイズの料金を払いました。
店員さんからは、あなたは正直すぎるよ。と言われてしまいましたが。
一方、人の欲などを起因としたトラブルを調べることを生業としている本業探偵であるがゆえに、人は弱い生き物であるということは嫌というほど見てきました。だからこそ、何かをきっかけに不正に手を染めてしまうことは誰にでもあろうと思うのです。
だから、私はカンニングという不正行為は許容できません。自分も絶対にしません。
ですが、本件で詳しい話を見て聞いていて、その経緯で本人がそこまで追い詰められていく様子もよく分かったし、カンニングをしてしまった本人が、本当に反省して後悔している様子は、よくわかりました。憔悴しきっている生徒を教師らがさらに追い詰めていく過程もよくわかりました。
誰かが被害を受けているわけではない中で、こういう場合にこそ、真に更生の可能性が高く、ただ単にスパルタに追い詰めるのではなく、自分を見つめ直す時間を与える方が、本当の教育だと私は思うのです。
人はよく間違えます。何かの後悔がない大人がいないように、誘惑に負けてしまったり、失敗してしまったり、間違えて悩んで人は成長するのではないでしょうか。それが人間らしいと私は思うのですが、皆さんはどうお考えでしょう。機会があれば教えてください。
この記事の著者・阿部泰尚さんのメルマガ
image by: 伝説の探偵