昔から「働きすぎ」と言われる日本ですが、その働き方や給与面で様々な変化も起きています。最近では、昨年10月から東京の最低賃金の引き上げ、さらに「103万円の壁」の引き上げ検討も大きな話題となりました。こうした変化が起きている中、生活していくうえで欠かせない「働く」ということは、ヨーロッパ文明と日本文明では違うと指摘するのは、『武田邦彦メールマガジン『テレビが伝えない真実』』の著者・武田邦彦さん。日本文明において「働く」とは、どういうことなのでしょうか?
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:2025年の夜明け(2) 満足した人生へ
ヨーロッパ文明とは違う。日本文明における「働く」とはどういうことか
今まで、「人生」は日本文明とヨーロッパ文明で大きく違いました。ヨーロッパ文明ではほとんどの人が生きるために自分の人生の時間を売ってその対価としてのお金をもらい、それで生活をするというのが原則でした。そして、その自分が売るお金は、時には1日16時間働くということになり、その頃の工場に働く女の人の労働環境が悲惨だったので「女工哀史」というものが書かれたこともありました。
1日16時間という勤務時間ですと、後は食事をしたり、お風呂に入ったりする時間がありますので、ほとんどの自分の人生の時間を売ってしまうということになっていたからです。このことから現在でも「時短」、いわゆる労働時間を縮めるということが法律で議論されたりしております。
しかし、それは基本的には間違った方向で、日本文明のように労働が「恩返し」という概念では「時間売り」ではないので、その後、ある程度遊んでから風呂に入って寝るという文明があったわけです。
ですから、日本人には基本的には時短という概念はなかったわけです。つまり自分の一生は自分のものであってその時間を他人に売るという概念がなかったからです。これは文明が未発達であるとかではなく、実は日本文明の方がはるかに優れていたと考えるべきでしょうーーー。(『武田邦彦メールマガジン『テレビが伝えない真実』』2025年1月15日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)
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