しかしその日暮らしはリスクも大きい。嵐が来たり大雪が降ったりして狩りに行けない日もある。運悪く獲物が全く獲れない日もある。こういう日が続くとバンドの人たちは飢えに直面する。実際、餓死した人もいたに違いない。幸か不幸か、1万年前から7000年前頃になって、人類は農耕を発明する。オーストラリアに暮らしていたアボリジニのように農耕を行わずに、狩猟採集生活を続けた人々もいた。
おそらく、農耕に適した作物が見つからなかったことと、野生生物が豊富で、飢餓に直面することが少なく、持続可能な人口を維持できたことが大きな原因だろう。一方、小麦、稲、トウモロコシといった穀物になる植物が分布していた土地では、これらを栽培して食料とする農耕が世界のあちこちで、同時多発的に起こった。穀物は貯蔵できるので、いきなり、飢えに襲われるという恐怖からは多少解放されたに違いない。かくして、世界の大勢は狩猟採集生活から農耕生活へと移っていった。
穀物は貯蔵できるし、新しく開墾することにより、収穫量を増やすことができる。野生動物の個体数は当時の人類の力では増やすことができない。穀物は労働力を注ぎ込めば注ぎ込むほど取れ高が増える。ここに、「労働は美徳」というイデオロギーが発生したのだ。豊作が続いて穀物の取れ高が増えると、それに合わせて人口が増える。人口が増えると食料が足りなくなる。すると新しく田畑を開墾して食物を生産する。この繰り返しで、人口は基本的に増大していったに違いない。
しかし、自然災害が起きて不作が続くと、増えた人口のすべてには食料が行き渡らなくなる。貯蔵されている穀物は均等に分配されずに、弱者の取り分は少なくなり、飢える人も出てきただろう。余剰穀物が貯蔵できることと、身分制度が発達することは相関しているのである。
社会の上層階級は自分では働かずに、下層階級や奴隷が働いて作った生産物を搾取するという構図は、この時代から現在に至るまでずっと続いている。下層階級や奴隷は自分たちの作った生産物の大半を召し上げられて、ギリギリの食料で生きていたのであるーーー(『池田清彦のやせ我慢日記』2025年1月24日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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