今一度、日本全国の教師が自分自身に問うて欲しいこと
私がこどもであった頃、先生から色々な言葉をかけてもらいました。そうした言葉は今でも心の中に残っています。とても扱いづらいこともであったと思いますが、粘り強く指導してもらいました。
一方で理不尽な暴力を受けた事は今でも忘れません。小学生のとき、隣のクラスの担任が「神様棒」という30センチほどの木製の棒を持っていて、何かあるたびに男女構わず棒で殴るのです。私は隣クラスでその棒で殴られはしませんでしたが、友人が殴られているのを見て何度も抗議しました。でも小学生低学年でうまく抵抗できなかった。でもこどもながらに隣のクラスの自分は殴られないのだと知って、何度も友人の前に立って殴らせないようにしていました。
そういう記憶は50歳を手前にした今でもはっきりと残っています。まあ、中学生になってその先生を探して、目の前で棒を叩き折ってやったのですが、考えれば今と、さほどやっていることは変わりません。成長しませんね…。
教師の言葉というのは、生徒の心に結構響きますし、しっかり残ります。何気ない一言が、その先の原動力になることもあるし、立ち直れないほど心を傷つけることもある。だから、私のような者でも、良き先生の事は忘れないし、尊敬し続けている、教師とはそういう仕事だから不祥事がニュースにもなってしまうのだと思います。とても大切な仕事であり職業なのです。
仲間同士助け合うのは結構なことですが、事実を歪めてまで助け合うのは醜態としか言えません。だから、指導死やいじめ、不登校の問題を同様原因で繰り返すのではないでしょうか。生徒にどういう言葉をかけて指導しているか?今一度、自分に問うて欲しいと思います。
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