戦争が当たり前に起きる今、ボブ・ディランが米国から背負わされた「役割」について考える

 

1965年、ニューポート・フォーク・フェスティバルの舞台に立った彼は、手にしていたのがエレキギターだったことから観客からのブーイングに包まれ、いったんステージを降りた事件があった。

エルビス・プレスリーやバディ・ホリーのロックンロールが米国で人気を得るまでには、清教徒(ピューリタン)の理想から始まった米国の成り立ちからの歴史がある。

「ニューイングランド植民地は、そもそも厳格で偏屈な原理主義者であったピューリタンが、聖書に描かれる神の国を建設するという目的で創ったもの。

そこでは文学のみならず、音楽、絵画、彫刻その他のあらゆる芸術表現において、現世的な娯楽は罪であった。ひたすら神の国の実現に貢献する思想や振る舞いが是とされたのだ」(『70年代ロックとアメリカの風景』長澤唯史、小鳥遊書館)。

この文脈からすれば、フォーク、そしてロックは原理主義からの解放を意味する。

彼は自分の言葉や歌をこう言う。

「我々の歌は生きている人たちの世界でこそ生きるものなのだ。でも歌は文学とは違う。歌は歌われるべきものであり、読むものではない」。

そしてホメロスの言葉を引用し締めくくる。

「詩神よ、私の中で歌い、私を通して物語を伝えてくれ」。

前述書が示しているボブ・ディランの役割とは「自由とそれに伴う孤独。これはアメリカ文学の重要なテーマである。ボブ・ディランは、まさにそのテーマを自ら引き受け体現しつづける存在としての『アメリカ詩人』の称号にふさわしい」もので、彼の歌は反戦にのみならず、自由を求めるすべての人々と共鳴する言葉が基本にある。

名曲「I Shall Be Released」(私は解放されるだろう)は、このテーマを正面から捉え、人々の解放を歌ったもの。

ここでの解放とは、すべての自由を求める人に向けられ、同時に様々な解釈から人を惹きつけるから面白い。

この歌詞の解釈をめぐっては、またの機会に記したい。

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障がいがある方でも学べる環境を提供する「みんなの大学校」学長として、ケアとメディアの融合を考える「ケアメディア」の理論と実践を目指す研究者としての視点で、ジャーナリスティックに社会の現象を考察します。

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