■知的作業をする際でも何も覚える必要はないのか
できちゃってますね。
どれもこれもそれっぽいです。そもそも「麻雀を人生にたとえると、運と実力、選択と偶然が絶妙に絡み合うゲームであることが共通点として挙げられます」という記述の時点で適切にパターンが把握されていることがわかります。
ただしここには問題があります。そもそもとして、私が「麻雀は運が関わるゲームでその点が人生と似ているのでこれを使っていい感じに言えるだろう」と思ってプロンプトを投げている点です。言い換えれば、私がパターンを抽出していたから、それっぽいものが生成できるプロンプトが考えられたというわけで、若干のバイアスがかかっています。
もしほとんど知識を持たない人が同種のプロンプトを書こうとしたら、そもそも何を挙げていいのかがわからないでしょう。それでも、もっと基礎的なことを確認するプロンプトから始めれば、適切な知識を見つけ出すことはできるでしょう。
同じように、アイデアの発想において組み合わせるべき二つの要素も、非常に基礎的なプロンプトから始め、ランダムな二つの要素を見つけ出し、その要素の組み合わせから導き出されることもプロンプトによって行う、ということも可能そうです。
であれば、私たちは知的作業をする際でも何も覚える必要はないのでしょうか。
おそらくその問いは、二つの変形を持ちます。
一つは「何も覚えていない人が生成AIを使って知的作業をすることができるか?」。これは上の思考実験からいってイエスです。最低限プロンプトの使い方=会話・対話の仕方さえ「覚えて」いれば、知的作業を進めることはできるでしょう。
もう一つの問いは、「生成AIを使って知的作業をするときに何かを覚えていることは役立つか?」。これもまたイエスであることは、キーボードショートカットを覚えることにメリットがあることからもわかります。
無知で使えるからといって、無知で使わなければならないわけではありません。また、二つの状態が同じ成果を出す保証はありません。毎回毎回、いちいち細かいことを尋ね、プロンプトを試行錯誤する代わりに、自分が知っていることを大幅なショートカットとして利用できます。
こうした点からも、人間の脳を鍛えていくことは多いに有効だとは言えそうです。
(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2025年5月26日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録上、5月分のバックナンバーをお求め下さい)
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