未成年者に対する性的人身売買や暴行の罪で起訴され、拘置所内で自殺した米国の資産家ジェフリー・エプスタイン氏。この「エプスタイン事件」を巡り彼と親交があったトランプ大統領が窮地に陥っているという事実は、メディアの報道を通じて世界中の多くの人々の知るところとなっています。しかし「なぜトランプ氏のコア支持層が大統領に対して大きく反発しているのか理解不能」とするのは、作家で米国在住の冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で今回、彼らがここまでの怒りを見せる背景を考察するとともに、この問題を誌面で詳しく取り上げた2つの理由を解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:トランプ醜聞と陰謀論の溶解
「エプスタイン問題」で激怒MAGA派。のトランプ醜聞と陰謀論の溶解
いわゆる「エプスタイン問題」の扱いで、トランプ大統領は窮地に陥っています。先週後半からはその大統領は訪欧して、ファミリーの経営するスコットランドの新ゴルフ場に立ち寄ったり、EUとの関税合意セレモニーに自身が出席したりしていますが、多くのメディアはスキャンダルから逃亡していると評価しています。
この問題ですが、事件を最初から見てきたニュース通には、どうにも解せないものがあります。というのは、あれほど親密だったトランプ氏のコア支持者、いわゆる「MAGA派」が、どうしてこの問題で、ここまで怒っているのかが理解不能だからです。
とにかく、このスキャンダルですが、現在、騒動になっている材料はその全てが既報であり既知のものです。いわば、誰でも知っている話なのです。簡単に整理すれば、
「ドナルド・トランプと、死亡した富豪のジェフリー・エプスタインは親友だった。エプスタインは、フロリダのトランプ邸で開かれていたパーティーの常連だった」
「そのパーティーは、ある種の『いかがわしい』ものだったが、当時のトランプは後に結婚するミレニア・クナウスと親密な関係にあり、2人で楽しくパーティーを主催していた」
「エプスタインは、未成年の少女に対する人身売買や性的暴行を繰り返しており、愛人のジスレーヌ・マックスウェルは彼に洗脳されるがままに、自分の代わりに若い女性を探してきて『手なづけて』エプスタインの餌食にさせていた」
「現在のトランプ夫妻は、恐らくエプスタインとマックスウェルのやっていたことは、知っていただろうが、トランプ本人は大人の女性にしか興味がない人物なので、トラフィッキングや暴行に関与はしていなかったと考えられる」
というようなストーリーです。こうしたニュースに関してですが、例えばMAGA派というのは、トランプ氏が東ヨーロッパのモデルの女性が好きで、3回の結婚を繰り返したことには、別に何とも思っていないようです。
この点に関して言えば、元ニューヨーク市長のルディ・ジュリアーニは、2008年の大統領選で一旦は有力とされていましたが、南部諸州では「離婚歴がある」とか「前の奥さんとの婚姻が続いている期間に不倫した」として批判されて失速していまいました。
結果的に離婚歴があったことで、大統領候補になれなかったと恐らく本人は恨んでいたでしょう。そのような過去を抱えているために、そうした批判を「完全に吹き飛ばした」トランプ氏の世界観に近づいていったことは想像に難くありません。
2016年の大統領選で暴露されたトランプのスキャンダル
トランプ氏に関しては、それこそ2016年の大統領選で、投票日の直前に「ミスコン主催者」だった当時のスキャンダルが暴露されました。それは、TVのインタビュー映像で、「自分はミスコンの主催者だから、女性の楽屋に入りたい放題」だという極めて下品な放談でした。調子に乗ってペラペラ喋っていた内容からは性暴力のニュアンスも感じられる内容だったのでした。
当時のリベラル側のメディアは、これでトランプへの支持は下がる、という予測を立てて発言に対する集中的な批判を展開しました。少なくとも女性票は逃げるだろうし、性的な問題にはとても真面目な福音派も「ついていけなく」なる、そんな読みがあったのでした。
ですが、結果的にはこの「暴露動画」の効果は限定的で、その後は就任したトランプ大統領の言動に世界が騒ぐ中で忘れられて行ったのです。但し、反対派の方はしっかり覚えていて、大統領の就任式に際しては「女性の権利を侵害する大統領への反対デモ」が起きました。つまり、この動画をいつまでも覚えていたのは反対派であり、支持層は忘れてしまったようでした。
アメリカではこの種の性的な問題に関する倫理意識は結構厳しいのがデフォルトですが、支持者は気にしていないようでした。恐らく当時の支持者の間では、トランプ氏の「庶民性」が心に刺さる中では、この種の「傷」も一種の庶民性として理解される、そのぐらいトランプ支持者は「偽善的なエリートが嫌い」という理解がされていたのです。
では、どうしてそのトランプ支持者、特にコアの支持層と言われる「MAGA派」は、この「エプスタイン問題」を気にしているのでしょうか?特にトランプ氏とエプスタインの親密ぶりが具体的に描かれているとか、エプスタインが人身売買した少女たちを「提供」していた「顧客リスト」があるという「エプスタイン・ファイル」の公開を強く叫んでいるのはどうしてなのでしょう?
決定的な理由というのは絞り込むことはできません。恐らくは以下の様々な要素が重なり合う中で、これだけ大きな反発になっている、そのように考えられます。
1)トランプ氏が真剣に大統領選への選挙運動を始め、これに対する反対派の「人格が疑問」という批判が起きたのは2015年から16年。それからほぼ10年が経過する中で、当時の議論を知らない世代が有権者になっている。とりわけ、24年の選挙で初めて投票し、2期目のトランプ氏しか知らない世代には、暗殺未遂を生き延び、果敢な攻撃を仕掛けてイランを抑え、更に関税戦争で世界中を屈服させている「強いトランプ」しか知らない。
2)エプスタインがトランプ邸を舞台に女性を食い物にし、トランプはそれを後に夫人となるモデルのメラニア・クナウスと一緒に「恐らくは悪事を知りながら」面白がってパーティーを繰り広げていたのは2003年頃。そしてエプスタインのスキャンダルが騒動となって彼が逮捕されたのは2019年で、この時は既に1期目の大統領だったトランプ氏は、かなりの権威と権力を手にしており、あまり批判を浴びなかった。
3)逮捕から約1ヶ月後の2019年8月に、エプスタインが獄中で自殺した際には、陰謀論が渦巻いた。その陰謀論とは、エプスタインの「顧客ファイル」にはビル・クリントン、ビル・ゲイツ、アンドリュー王子など「左の要人」が名前を連ねており、エプスタインの口を封じるために殺したというものだった。陰謀論者はこの説を強く信じており、今回、トランプ夫妻とエプスタインの関係が報じられるに及んで動揺している。
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「トランプのカリスマ性に傷がつくのは好都合」と考える人々
4)そもそも、若い女性を食い物にするトラフィッキングについての陰謀論というのは、「Qアノン」が好んで語っていたネタである。その場合は、必ずと言っていいほど悪者にされるのは、クリントン夫妻やオバマであり、漠然と「そういう悪行をやるのは、リベラルだ」という独特の思い込みというか、そのようなカルチャーがあった。そこへ、トランプはエプスタインの親友だったという話題が突如降って湧いたので、右派の陰謀論者は動揺している。
5)考えてみれば、トランプには「次」はない。つまり、ポスト・トランプという動きは、いつ始まってもおかしくない。その場合に「次」の人にとっては、トランプが強いカリスマを維持しているのは、都合が悪い。保守的なイデオロギーは真似できるが、暗殺を乗り越え、存在そのものがアンチ・エリートであるトランプのカリスマは真似できない。そうした「次」のグループに取っては、トランプのカリスマに傷がつくのは、それはそれで好都合だ。
6)2期目のトランプは移民にしても、通商にしても「やりたい放題」であり、いわゆるクリントン=オバマ路線のグローバリズムを完全に破壊しているように見える。けれども、トランプが破壊しているのは、同時にレーガン=ブッシュ父子の共和党本流の資本主義でもある。また、関税戦争による製造業回帰は、その成果が出るにしても時間がかかり、当面は副作用として物価高と商業の低迷を招く。
そんな中で、FRBに圧力をかけて利下げを強要して、更に景気を加熱させインフレを爆発させる危険も出てきた。また、移民狩りを容赦なく農場や工場でも実施する中では、オーナー階層の離反を招く危険も大きい。何よりも、生活苦、雇用難に直面した中で、現状打破を期待したZ世代などには既に反発はある。その意味で、現在のトランプの過剰な権力を抑えることは、共和党の支持者の中にも利害がある。
7)そんな中で、中間選挙まで15ヶ月という時点まで来た。以前は、敵は民主党であり、共和党が団結すれば上下両院を制圧するのは簡単だったかもしれない。けれども、ここまで過激な2期目が進行する中では、無党派層のトランプからの離反というのは懸念される。そんな中で、「いつものように」トランプが各候補に忠誠を誓わせ、そうでなければ予備選でMAGA派にスイッチするという手法が、必ずしも得策ではなくなっている。
中間選挙で浮足立つ中で、共和党政治家は自分たちとトランプとの距離を測りかねている。今回の騒動は、自分と支持者が「トランプ的なるもの」から自由になれるか、また適切な距離を取れるかの試金石と思って各自が動き始めているのかもしれない。
というわけで、今回の「エプスタイン騒動」については、様々な力学、様々なグループの思惑がカオスのように動いているのを感じます。とりあえず、民主党は一致団結しているものの、少数派なので影響力はありません。これに対して共和党議員団が、どのように振る舞うのかが注目されています。焦点は2つあります。
「俗に言う『エプスタイン・ファイル』が公開されるのか、されるとして、どこまで公開されるのか?」
「禁錮20年の刑で収監中のジスレーヌ・マクスウェルに議会証言をさせるべきか、その場合に彼女に恩赦をすべきか?」
という問題です。この問題から離れて訪欧中の大統領ですが、特に彼女への恩赦については、毎日のように番記者から質問が出ており、かなり悩んでいるようです。というのは、恩赦ができるのは大統領だけであり、仮に禁錮20年の刑から救ってもらえるのなら、彼女は大統領に不利な証言はしないという考え方ができるからです。
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トランプが警戒する「新しい証言」「新しい写真や動画」の暴露
一方で、マックスウェルというのは、メディア王ロバート・マックスウェルの愛娘であり、大富豪の家に生まれつつ複雑な生い立ちをしてきた人物でもあります。教養人でもあり、その一方で愛したエプスタインに洗脳されて、女性として未成年の女性を愛する男性に貢ぐという迷路に落ち込んだ人物でもあります。
その彼女について言われているのは「議会証言をさせるのなら、恩赦をして新たな事実が出ても訴追されないようにすべき」という意見もあります。先程申し上げたように、恩赦すれば大統領に不利な証言はしないという説もある中で、どうなるかは分かりません。
それよりも何よりも、例えばこの間、WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)紙などは、「エプスタインに対してトランプが送った誕生日レター」なるものを暴露していますが、トランプ氏本人は激怒したようです。
最初に申し上げたように、トランプ夫妻がエプスタインと親密であったことは、周知の事実だと思いますし、動かぬ証拠は山のようにあります。ですから、仮に「ファイル」が公開されたとして、またマクスウェルが議会証言したとして、エプスタインとトランプ夫妻の交友関係が改めて確認されたとしても、特にそれで大統領の権威が失墜するとは、通常は考えられません。
仮に、トランプ夫妻が「エプスタイン=マックスウェルの未成年者に対するトラフィッキング行為を明らかに知っていた」とか「行為を幇助していた動かぬ証拠が出た」ということになれば、話は別です。
特に、大統領が頑強に否定しているエプスタインの所有する島の別荘に行ったという事実が出れば、そして、その島で行われていた口に出すのも憚られるような行動にトランプ夫妻が参加していたとなれば、かなりの問題になるとは思います。
ですが、さすがに違法行為への幇助や参加、隠蔽への加担ということはなく、あくまで交友関係だけだった、となれば常識的にはこれだけ支持者には持ち上げられていた大統領ですから、問題はないはずです。
そうなのですが、大統領はたとえ「交友関係の確認」だけにとどまったとしても、「新しい証言」「新しい写真や動画」が表に出るのは、非常に警戒しており、それが疑心暗鬼を生んでいるというのが現状です。
今回の問題ですが、とりあえず大統領が危機を脱する可能性は相当にあるとは思います。問題が過去形であり、2015年以前の倫理観ではアウトでも、トランプ氏自身が作り上げた「やんちゃで庶民的な倫理基準」からすれば、恐らく今でもセーフとなる可能性が強いと思います。
そうではあるのですが、大統領としては、仮に問題のファイルを公開した場合、しない場合、そしてマクスウェルが証言した場合、しない場合、そのマクスウェルを恩赦する場合、しない場合など、選択肢は複数あります。そのいずれに関しても、カリスマ性が「全く傷つかない」で済むことは少ないように思います。
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日本の政治状況においても極めて重要な「2つの観点」
さて、一連の問題について、ここまで詳しく取り上げたのは、政治的な現象として実は新しい問題を感じたからです。2つ大きな問題があります。
1つは、陰謀論やポピュリズム的な政治運動は、一見すると人々の感情に訴える強力な手法のように見えます。ですが、反面、極めて限られた情報、しかも真偽の怪しい情報を材料に善悪の判断を行う傾向があります。
一般論として、陰謀論については対象に関する関心が異様に高い反面でその問題に対する知識や情報が乏しい場合に発生しやすいとされています。今回の「エプスタインの問題は全てリベラルが悪い」的な陰謀論はまさにこれです。
ここ10年の政治現象として、陰謀論に関しては、本能的な感情論と同じような本質的な強さを感じている向きが多いのは事実です。ですが、今回の現象を見ていると、感情論と陰謀論は少し異なるのを感じます。国家に自身を投影してしまうとか、格差にこだわって富裕層を悪としてしまう、あるいは貧者に絶対的な正義を付与するなどの感情論は、確かに根が深いものがあり、説得は困難です。
ですが、陰謀論の方はもしかしたら違うのではないか、そう感じたのは事実です。事実を丁寧に積み重ねていけば、陰謀論を「溶解」することは可能なのかもしれない、そんな感触です。今回の騒動における、MAGA派の動揺があるレベルを超えていくかどうかは、まだまだ分かりません。ですが、思い込みから始まった陰謀論であれば、ある条件下では「溶解」に持っていけるかもしれない、というのは現代政治を考えるうえで重要な問題だと思います。
2つ目は、世代が異なることによる認知の相違です。アメリカの場合はここ10年ぐらいで出生率の低迷が明らかになってきましたが、基本的に若年人口が分厚く、1年刻みで300万人以上がいます。ですから、その厚さは団塊にも、団塊二世にも負けません。ですから、より顕著な格好で、世代の相違が認知の違いとして出てくるのだと思います。
トランプ氏への支持ということで言えば、2015年から16年に熱狂した人々は、その多くがクリントン=オバマ路線への反発を抱えていたわけです。ですが、2023年から24年に経済社会の現状に行き詰まりを感じで「冷静にトランプを選択した」世代というのは、8年前とは現状認識が異なると考えられます。
2016年には「クソ真面目で学者風のオバマ」への反発が、「やんちゃで庶民的」なトランプへの支持になっていたかもしれません。ですが、2024年から現在にかけてZ世代の抱えている問題はかなり異なるとも考えられます。AIが雇用を大規模な格好で奪っている現状、グローバリズムが多くのアメリカの雇用を奪っている現状に対して、「余りにも無自覚な民主党」が否定されたのです。
勿論、オバマへの反発の中にも「リーマンショックからの景気回復」を最優先とする中で、各企業の進めていた空洞化と自動化には全く問題を感じなかった、という政権への反発はありました。今から考えれば、占拠デモであるとか、サンダース躍進というのは、その反映だったのだと思います。ですが、現在動いているのは全く別の論理です。
つまり、Z世代は実は「現状否定のギャンブル」だとか「既成の権威のぶっ壊し」ではなく、冷静な選択としてトランプを選んだのかもしれません。そして、そのような世代、そのような層は、「エプスタイン事件」については、今回始めて向き合い、その上で極めて常識的に疑念を抱いたのかもしれないのです。
いずれにしても、このエプスタイン問題というのは、現在進行形ですので、今後の展開は全く持って予断を許しません。ですが、とりあえず「陰謀論の溶解」ということと、「世代による認知の相違」という問題から、見てゆくのがいいと思います。
そして、この陰謀論の問題、そして世代の問題は、現在の日本の政治状況においても極めて重要な観点となっていると思われます。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年7月29日号「トランプ醜聞と陰謀論の溶解」の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「遂に野球殿堂表彰式を迎えたイチロー氏、3つの感慨」や人気連載「フラッシュバック80」、読者Q&Aコーナー(日本の右派ポピュリズムについて)もすぐに読めます。
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