なぜ多くの日本人が7月5日の“大災害予言”を信じ込んだのか。今なお「終末論的世界観」が根強く残る社会とリテラシー能力の欠如

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7月30日朝にロシアのカムチャツカ半島付近で発生した地震に伴い日本各地に津波警報が発令されるや、SNSで「再び」トレンド状態となった漫画家たつき諒氏の災害予知夢。「7月中」に我が国が大災害に襲われるという予言は的中しない確率が大ですが、そもそもなぜこの言説を信じ込む人が続出したのでしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』では著者の伊東森さんが、その背景を考察するとともに、陰謀論やデマにあまりに無耐性とも言うべき日本社会の問題点をあぶり出しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:「2025年7月5日予言騒動」が映す日本社会の影 なぜ終末論が繰り返されるのか かつて19世紀末にもあった終末論 欧州はどう乗り越えた? 民主社会を守るために必要な「社会の免疫」とは何か?

「2025年7月5日予言騒動」が映す日本社会の影 なぜ終末論が繰り返されるのか

大きな災害が2025年7月5日に発生するという騒動は、日本社会において今なお、終末論的世界観が根強く残っていることを浮き彫りにした。

発端は、漫画家たつき諒氏の著書『私が見た未来 完全版』に記された「2025年7月に未曾有の大災害が起きる」という“予知夢”の記述であるが、こうした終末論が拡散する背景には、いくつかの構造的要因がある。

日本社会には仏教の「末法思想」など、終末的世界観が歴史的に根付いている。加えて、近代以降は、キリスト教的な黙示思想や、西洋オカルティズムに由来する終末予言が、エンターテインメントや大衆文化を通じて広く浸透してきた。

なかでも、1970年代以降の「ノストラダムスの大予言」ブームは象徴的であり、1999年の人類滅亡説を真剣に受け止める層まで登場した(*1)。

このような騒動に対しては、欧州諸国の取り組みを参考にした複合的アプローチが必要である。まずはメディアリテラシー教育の強化が不可欠。デマや陰謀論に対して冷静かつ批判的に対応できる市民的能力の強化は、民主社会の基盤でもある(*2)。

欧州では、情報の真偽を積極的に検討する教育が制度化され、フェイクニュース対策の専門的インフラも整備されている。第二に、行政や学術機関が、災害が予言されているというような情報を「科学的に不可能である」(再現不可)という見解を明確に、かつ継続的に発信する姿勢が重要だ。

終末観の歴史的展開:黙示録、末法、そしてノストラダムス

終末論とは、世界の終焉や人類の最終的運命についての宗教的・思想的観念であり、古代から現代に至るまで、さまざまな文化や宗教において形を変えながら語り継がれてきた。

キリスト教においては、『ヨハネの黙示録』に基づく黙示思想が終末観の中心を成し、とくに「千年王国」思想は、歴史の終わりにキリストが地上を統治する理想社会が訪れるという希望と救済のビジョンを提示する。

また、神の計画により終末が予め定められているとする預言思想は、プロテスタントの予定説とも結びつき、信仰と行動の指針として人々の倫理観や社会秩序に影響を与えてきた。

一方、仏教における終末観は「末法思想」として展開され、釈迦の教えが時代とともに衰退し、最終的に仏法の効力が失われるとされる。とくに日本では、平安時代末期にこの末法思想が浄土信仰や厭世観と融合し、人々の宗教的実践と社会意識に深く根を下ろした。

こうした宗教的終末観はいずれも、未来への不安と希望を同時に内包しながら、人々の生き方や歴史の捉え方に大きな影響を与えてきた。

しかし近代に入ると、終末論は宗教の枠を超えて世俗的・大衆的な現象として拡大していく。その象徴的事例が、1970年代から1990年代末にかけて日本で巻き起こった「ノストラダムスの大予言」ブームでもあった。

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