■圧倒的強者との比較
苦手と感じること、つまり苦手意識を持つことは、愚かなことではないにせよ、該当の行為との心理的な距離感を生んでしまう弊害はあります。
たとえば本を読むのが好き、あるいは本が好きという気持ちがある。でも、本を読むのが苦手だと感じていたら、その行為をやろうとは思いにくいのではないでしょうか。もちろん、反骨精神の持ち主ならば「苦手だからこそ、やる」という姿勢を持てるでしょうが、そうでなければ行為と疎遠になる可能性の方が高いでしょう。
好きなことではない、あるいは関心を1mmも持っていない領域ならば、それでもぜんぜん構いません。でも、思わず手が伸びてしまうような行為であれば、苦手意識が行為を邪魔しているのは実にもったいないものです。
にもかかわらず。
現代は、比較するのがとても簡単です。というよりも、意識しなくても比較を押しつけられます。SNSのフラットな世界では、地方予選などはなくいきなり全国大会、いや世界大会です。猛者たちの集合に放り込まれてしまいます。
もし生活の中で、世界レベルの読書の猛者が身の回りにいたとしたら?
きっと苦手意識を感じるのではないでしょうか。これはSNSに限ったことではありません。各種メディアが「達人の方法」を積極的に教えてくれています。当然、それと比較したら、ほとんど大半の人が下手であり、苦手と感じてしまうでしょう。
ある人の行為を促進する情報ではなく、むしろ阻害しかねない情報が流通している状況です。
■さいごに
ちなみにですが、私は読書を苦手だと思ったことはありませんが、だからといって本を読むことに苦労していないわけではありません。うまくいかないことなんてたくさんあります。でも、その状態を持って「苦手」だとは思っていないだけです。
苦労はある。されど苦手ではない。
言い換えれば、何もかもがスムーズにうまくまっている状態を「得意」として、その状態以外を否定し、近づかないようにすることはもったいないと感じるのです。
たくさん本を読んでいる人でも、苦労はしている。いろいろな人が、いろいろな形の苦労を経験している。それでも、それをやっている。
その認識をベースラインにした上で、行為を助ける「ノウハウ」といったものを考えていけたらいいと思います。
(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2025年7月28日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録上、7月分のバックナンバーをお求め下さい)
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