地域の安定のための仲介役を積極的に引き受けてきたカタールへのイスラエルによる空爆により、また1つ解決の糸口を失ったかに見えるガザ紛争。そんな状況の中で元国連紛争調停官の島田久仁彦さんは、中東には「私たちの目には届かない隠れた紛争」が存在すると指摘します。島田さんはメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』で今回、中東各国の政府が頭を悩ます「国際社会に可視化されていない紛争」を詳しく解説。さらにそれらを含む「すべての中東問題」の解決を阻んでいる要因を紹介しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:封じ込められる市民の声と力が支配する国際政治の現実
いつ何時爆発してもおかしくない怒りと恐怖のマグマ。封じ込められる市民の声と力が支配する国際政治の現実
「イスラエルとハマスに戦争終結のための案を提示した。すべての人質の解放と戦闘の終結を求める。応じられない場合には(ハマスは)重大な結果に直面することになるだろう」
トランプ大統領がそう発言し、ハマスは「トランプ大統領からの提案を受け取り、真剣に検討している」と応じ、イスラエルも「真剣に検討する」と発言したため、「これは停戦が近いのではないか」と淡い期待を抱いた矢先、イスラエルがカタールに向けての攻撃を行いました。
攻撃自体は、ネタニエフ首相の説明によると「カタール国内に潜伏しているハマスの幹部をターゲットにしたもの」とのことですが、同時に「作戦はイスラエルによって立案され、イスラエルによって実行された」とイスラエルによる仕業であることを認め、状況は非常に緊迫しています。
皆さんもご存じの通り、カタールはイスラエルとハマスの間を取り持ち、停戦実現と人質解放、そして恒久平和の実現に向けた協議を仲介してきた国ですが、ターゲットがカタールそのものではないとしても、カタール領内に向けた攻撃を加えたことは、和平プロセスの終焉をもイメージさせる蛮行です。
以前にも触れましたが、カタールは国内からの反対もあって一度は仲介の任から降りたことがありましたが、ムハンマド首相は「中東和平の実現のために尽力するのがカタールの使命」と訴えて仲介のプロセスに復帰しています。
今回の攻撃(首都ドーハ)に対する激しい非難を行い、アラブ諸国と共に、イスラエルに警告を突き付けていますが、それでもムハンマド首相は「カタールは中東の安定のために尽力することを誓う。中東アラブの国々からもサポートする旨、伝達があった」と決意を述べています。
中東アラブ地域で起こっているイスラエルとアラブ諸国の緊張の高まりと、すれすれの線で直接的な交戦が避けられている状況を間近に見せられているものとしては、カタールのムハンマド首相の姿勢はひとまず胸をなでおろすことができる英断だと感じています。
イスラエル寄りのトランプ政権もさすがに今回のカタール・ドーハへの攻撃はいかがなものかと大きな懸念を持っているようで、その懸念は即時にトランプ大統領からネタニエフ首相に対して伝えられ、一刻も早くトランプ和平案の実行を促しています。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
国民の訴えに真正面から答えられていない中東各国の政府
イスラエルによるドーハへの攻撃から時を少し遡ると、パレスチナ・ヨルダン川西岸地区出身の若者2人がエルサレムで一般市民を無差別に殺害するというテロが起き、これに対してはアラブ首長国連邦なども激しく非難していますが、これは裏を返せば、国際社会の目がガザに向けられている裏で、イスラエルの極右勢力が推すヨルダン川西岸地区におけるユダヤ人入植地拡大とパレスチナの東西を分断する企てに対するヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の叫びを無視したことに対する怒りと、そして恐怖が引き起こした事件であるとも言えるかと思います。
決してこのようなテロ攻撃を支持することも許容することもありませんが、一般市民が抱える怒りと恐怖のマグマがいつ何時暴力という形で爆発するかわからないという脅威を想起させます。
パレスチナ全域における一般市民の蜂起や攻撃については、イスラエルがいろいろな理由をつけて鎮圧にあたっていますが(鎮圧というと正義みたいに誤解されるかもしれませんので、抑圧と言い換えます)、他のアラブ諸国ではどうなのでしょうか?
中東地域の問題というとどうしても私たちはイランやイスラエルの問題ばかりが目につき、イスラエル・イラン絡みでイエメンのフーシー派の攻撃を思い起こしてしまいますが、アラブ諸国を悩ませる問題として、どの国も国内における一般市民からの訴えに真正面から答えられていないというものがあります。
その背後には王室の正統性を死守しないといけないという使命との戦い、国内における均衡勢力間の争いの存在、イスラムの教義に沿った統治と国民の声を聴く政治、イスラム教の宗派間の作られた対立…などいろいろとありますが、その基盤には「非常に手厚い福祉と報酬の見返りに政治的な発言・行動を控える」という不文律の存在があると考えます。
今回のドイツ出張で扱う内容の一つに「気候変動問題に対する危機と国際安全保障の連携」というものがありますが、世界的なトレンドを見るという題材の他に、アラブ諸国における国家安全保障とガバナンスに影響を与える気候変動危機というものがあり、そこではイエメンやイラクにおけるClimate Activismに対する政府からの弾圧の有無について議論が行われました。
Climate Activismとして真っ先に思い浮かぶのはグレタさん(Ms. Greta Thunberg)の活動かもしれませんが、自分たちの日常生活に危機的な影響を与え続ける気候変動の危機に対して、中東地域においてもここ数年、市民運動が非常に活発化しており、それが各国政府を悩ませているとのことです(会議に参加したサウジアラビア王国の専門家など)。
とはいえ、政府がそれに真正面から対応し、対策を練っているかといえばそうではなく、どちらかというと言論の抑制や活動家の収監、活動家に対する脅し(silencing)という負の対策が目立つように思われます(これについては、もちろん中東各国の政府関係者は否定するのですが、怒って離席するようなことはなく、議論には付き合ってくれたのがとても印象的で、かつ口には出せない苦悩を感じます)。
Climate Activismの側も、水不足や干ばつ、洪水、農業の崩壊、地下水への海水の浸食といった環境・食料・水問題を訴えかけてはいるのですが、それに交じって政府の腐敗や汚職、そして王族への非難などを行っているため、どうもそれが政府による弾圧の対象になってしまっているようです(一部には欧米の環境活動家や組織からのサボタージュとの批判もあるようです)。
これらは私たちの目には届かない隠れた紛争といえます。
注目すべき中東アラブ諸国の民衆が蜂起した理由
2023年10月7日のハマスによるテロ攻撃を機に、イスラエルとハマスの戦いが始まり、それがレバノンやシリア、そしてイランやイエメンにまで影響が及ぶことになりましたが、それは軍事的な衝突や緊張の高まりというハードコアな安全保障上の脅威だけではなく、エネルギー安全保障、環境破壊、気候変動の悪影響の激化など、私たちの日常生活にも損害を与えています。
イランが支援する武装組織(ハマス、ヒズボラ、フーシー派、イスラム同胞団など)とアメリカ・イスラエルの間での軍事的な衝突は、イラクやイエメンにおける政治的な不安の程度を増し、政府の統治(ガバナンス)の失敗の状況が色濃くなってきていますが、その混乱に乗じてイラクの水資源をトルコとイランが横取りし、イラク国内ではこれまでに増して深刻な水不足が引き起こされているという情報が入ってきました。
それが2025年5月にイラク北部バスラにおける民衆蜂起に繋がりましたが、その背景には、単なる水資源の枯渇という危機のみならず、環境基準を無視した原油生産が引き起こした水資源の深刻な汚染(飲み水としても農業用水としては使えない)と市民の重大な健康被害が起きていたことがありましたが、これらが報じられることはなく、このデモもAl-Madina地区(バスラ市)の当局によって制圧されました。
いろいろな意味で重大なインシデントと言えますが、注目すべきは環境問題、特に気候変動関連の被害の是正に向けた声が、言論統制が行われている中東アラブ諸国で民衆蜂起に繋がったという点です。
この現象は環境保全に対する民衆の意識の高まりという評価もできますが、その背後にはイラク政府に対して環境の保護を国家安全保障の一つの軸に据えるべきだという要求の強まりが存在します。今後、イラク政府が(とはいえ、ガバナンスとしては未だに実態がない)どう民衆の声に“前向きに”応えることができるか注目です。
目をイエメンに移すと、安全保障上の懸念と言えば、主にイランに支援されているフーシー派による紅海の船舶に対する攻撃行為が思い浮かびますが、世界銀行や国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)によると、イエメンと言えば実は世界で最も水不足に苦しむ国の一つで、長年の国内外での戦闘行為による疲弊も手伝って、年々状況は悪化の一途を辿っているとのことです。
また2024年夏(ちょうど1年前くらい)には経験したことがない大雨に見舞われましたが、元々灌漑設備が脆弱であるため、深刻な洪水が発生し、結果、数万に上る家が流され、6万人超が亡くなり、農業と酪農のインフラを崩壊させるという事態が起きました。
しかし、深刻な被害を目の当たりにしても、サナアを拠点するフーシー派、アデンを拠点とする政府、南部移行委員会(Southern Transitional Council)、そしてアラブ湾岸諸国が後押しするサラフィスト武装組織などに分かれた政治・統治形態の乱立ゆえに、誰も何ら効果的な対応が出来ず、オマーンなどを中心とした国際的な組織に依存するしかなく、それがまた国内のリソースの海外流出という悪循環を生み出していますが、これについても特段対策が行われていないだけでなく、国際的な関心も向けられていないのが実情です。
ゆえに世銀やUNDP、UNEPなどが緊急支援プログラムを起草し、それぞれの総会などで協議したか、する予定だったようですが、昨今の財政難の煽りを受けて、実現には至っていないようです(UN-OCHAのディレクターが嘆いていました)。
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問題解決を阻む欧米の無知と相手を理解しようとしない姿勢
そして状況をより難しくしている要因が当該国政府の消極的な姿勢か、統治機能の不在です。
国際的な支援・援助を行うにあたっては、受け入れ国の要請の存在が前提になっており、一般的にアラブ諸国(サウジアラビア王国やアラブ首長国連邦、カタールなど)は財政的な問題はなく(潤沢な原油・天然ガス資源のおかげ)、支援を要請する必要がないのですが、何よりも「これは国内の問題である」という、堅く言えば内政不干渉の原則を盾に、他国および国際機関からの介入を拒む姿勢が存在します。
それはまた“人権”絡みの問題にもつながり、欧米諸国および国連から再三指摘される人権侵害の問題に対しても対立しており、状況の改善が期待できません。
環境問題については、エネルギーセクターにおける懸念については、自国の経済と直結することもあって、比較的よく認知しているものの、現在、顕在化してきている環境の悪化と被害の拡大はそもそも欧米諸国に代表される先進国の身勝手な態度と政策、そして向こう見ずな開発戦略であるとの立場から、支援を拒むだけでなく、真正面からの議論も拒む姿勢が目立ちます。
気候変動問題をはじめとする環境問題についての国際的な協調の議論においても、そして現在、進行中のイスラエルと中東諸国(アラブ諸国)との刮目に絡む地域安全保障問題においても、独自の立場を貫き、時にはいわゆる“国際合意”に対しても挑戦的は姿勢を取ります。
私も以前、気候変動問題の交渉に携わっていた際、よくサウジアラビア王国を筆頭に、さまざまな中東諸国との交渉において調整に苦慮していましたが、気候変動交渉官を退き、中立な第3者(Third Party Neutral)の立場で仕事をするようになってからサウジアラビア王国やアラブ首長国連邦政府の交渉官たちと意見交換した際、その理由についていろいろと教えてもらいました。
理由としては「なんでも自分たちの方がよく知っているから、正しいやり方を教えてやるという、欧米、特に欧州各国の一貫した中東諸国に対する姿勢が受け入れられない」ことがあるようですが、加えて「諸悪の根源は自分たちの政策や態度であることを理解していない。このような姿勢で臨んでくる限り、私たちが納得することはできないし、彼ら・彼女たちが考える“問題”は一切解決しないだろう」という考えが強くあるようです。
よく意見交換をするサウジアラビア王国の長年の友人曰く、「それは欧米人の純粋な無知と相手を理解しようとしない姿勢の表れ」とのことでした。
この姿勢および認識が、現在のイスラエルを巡る様々な対応の間違いに繋がり(これはアメリカに対しても同じと言えるでしょう)、アラブ諸国の心情や複雑に絡み合う背景事情をくみ取ることなく、頭ごなしに停戦案の受け入れとそれへの追随を迫ってくるがために、地域における協力関係の基盤を一切築けないことに繋がっていると考えられます。
仲介の労を担うカタール政府は、アメリカとの協力を前面に打ち出すものの、国内政治の現場では頭ごなしに指示してくるアメリカの姿勢に苛立っており、かつ何もしないのに口出しだけしてくる欧州に嫌気が差し、信用して一緒に行動を共にすることができない心情がどうしても拭えないようです(これは同じく仲介の労を担うエジプト政府も、サウジアラビア王国なども同じのようです)。
そこに歴史的な反イスラエル思想が加わり、アラブ諸国がパレスチナに抱く複雑な心情(かつてパレスチナ人に自国を荒らされた歴史に基づく心情)とアラブの連帯の重要性との微妙なバランスがまだ取り切れないために、なかなか統一した立場が示せなくなっているとのことです。
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「生存のための脅威の除去」という根本理由を解決に導く端緒
しかし、イスラエルの蛮行が過激化し、それをアメリカも欧州も止めにかからない状況を見て、サウジアラビア王国はイランとの歴史的な敵対関係を棚上げし、いろいろと思うところのあるシリアにも手を差し伸べて、アラブ連盟や沿岸協力会議(Gulf Cooperation Council)などに招待して、広域アラブとしての対応を模索し始めています。
アラブ連盟もGCCも最近は非常に頻繁に会合を続けていますが、そう遠くないうちに地域としての立場が統一されたら、何か大きな動きが中東地域でおこるものと思われます。
これは、安全保障面ではもちろん、環境問題でも同じで、エネルギー問題については、すでにOPECを通じた協力関係があるほか、ロシアも巻き込んだOPECプラスの枠組みも確立していることから、一つの大きく強力な勢力圏が出来るものと思われます。
そのような前向きな動きの影で、恐らく取り残されているのが人権擁護の問題と、climate activismへの対応の余裕なのだと思いますが、今回の協議において、これらの問題を頭痛の種として放置する、または無視するのではなく、きちんと目を向け、知恵を出し合って“適切”な対応について協力していくことが確認されました。
そのための資金繰りはあまり問題にはならないようですが、いろいろとアイデア出しが必要なのが「地域の環境問題に合ったカスタムメイドの対策づくり」であり、そのための地域センターをUAEに置くことで合意しました。
そして英国のチャタムハウスやドイツの複数のファンデーション、アメリカの中東センターやカーネギーなどを協力組織として、相互に学び合いの機会を創出することになりました。議論のファシリテーションをさせていただきましたが、久々に“よい”合意が作れたと喜んでおります。
この関係の基盤づくりは、紛争調停を進めるにあたってもポジティブに役立つものと思われるため、武力紛争のみならず、あらゆる種類のソフトコアな紛争・安全保障案件も盛り込み、総合的な対策パッケージづくりをすることが目指されることになり、次のステップとして、イスラエルにも声をかけてみることで同意を得ました。
「どのような中東地域を作りたいのか?そのためには何が必要なのか?」
このような内容について、今後、アラブ諸国とイスラエルを交えた協議が出来れば、もしかしたら長年火種としてくすぶり続け、ここ2年ほどの間、激しい対立と殺戮に繋がっている“生存のための脅威の除去”という根本理由を解決に導くきっかけになるかもしれないと期待しています。
同じようなことがロシアとウクライナとの間の様々な問題とわだかまりを解決するために行えるといいのですが、あまりにも複雑かつ多くの関心と思惑が絡み、解決の糸口が見えてこないため、こちらはまだまだ工夫が必要そうです。
この内容を話し合うために久々にスタン系の国々との協議が予定されていますが、それ以外の“関係者”としてどの国を、誰を交えるかはクリエイティブな思考が必要かと思います(日本にぜひ入ってもらいたいなあと個人的には願っております)。
いろいろな内容が混じり、もしかしたら分かりづらい内容になってしまったかもしれませんが、どうぞご了承ください。
以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年9月12日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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