日本が失ってしまった「日中間で高まる緊張」を冷ます術
だが、中国に近づく政治家を大衆世論に迎合し「親中派」と排除しパイプも消失させてしまった日本に何ができるだろうか。中国と話をしようにも、どこから手を付けたらよいのか、分からない状態なのではないだろうか。
研究者もジャーナリストも、「危ない」という免罪符を得て、中国には行かなくなったし、取材は専らインターネットという体たらくだ。
そのツケが全部回って来て、大混乱が起きるのではないだろうか。
だが翻ってもしこれが、キッシンジャーが実際に計略を仕掛けようとした74年当時であったら、どうだろう。
日中はおそらく、即座にお互いが腹を割って話し合い、アメリカの思惑通りに事が運ぶことはなかっただろう。
なにせ強いパイプが存在したのだ。
日本のトップは日中国交正常化に道を開いた田中角栄であり、外務大臣は、これも中国が信を置く大平正芳(後の首相)だ。そして官房長官は二階堂進である。
中国には毛沢東も周恩来も健在であり、どこからどんな話し合いもできた。
現在と比べたら、何とも頼もしい政治家たちではないか。
その後の日中関係を考えても、いまよりは何倍もマシだ。80年代から90年代にかけての時代、ときには中国のトップがふらりと日本大使館に訪ねてくるような蜜月関係もあった。日本の駐中国大使が請えば、中国共産党の指導層に直接会うことも難しくなかった。
翻って今の日本はどうか。日中間で高まる緊張に対して、日本側にはその熱を冷ます術はない。まるでブレーキの壊れた車だが、それを放置したまま、勇ましいことばかり言って誤魔化している。それのどこが安全保障なのか。日本の政治家にきちんと問いたいのは、その点だ。
(『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』2025年10月5日号より。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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