クマ出没は必然だった。ホンマでっか池田清彦教授が読み解く「クマが人里進出」の真相

 

そのツキノワグマが近年、しばしば人家の近くに現れるようになった。

自宅の近くの高尾山でも目撃情報がある。本州でも棲息域はこの15年で1.4倍に拡大したというが、個体数は増加傾向にあるものの、ヒグマほど増えてはいないようだ。

本来ツキノワグマが棲息していた奥山の多くは、太平洋戦争後、国内産の材木を量産するという名目で、補助金を出して広葉樹を伐採して杉や檜を植えたが、現状では手入れをされないまま放置されているところが多いのだ。

杉は植林から数十年経たないと、売り物にならないが、ちょうどその頃、外国から安い材木が入ってきて、国産の杉は外材に太刀打ちできなくなり、杉林は金にならなくなったのである。

当然のことだが、杉や檜の林にはクマの食べ物はほとんどない。

ツキノワグマは本来の棲息地の奥山に留まっていては飢えてしまうので、周辺に棲息域を拡大して、人家の近くまでやってきたわけである。

クマにとって都合がよかったのは、本州の田舎では、若者の離村が相次いで、限界集落が増え、中には廃村になった集落も多いことだ。

人がいなくなっても、集落の周りには栗や柿などの果樹は健在で、これらはクマにとってごちそうなのだ。

私は20年近く前に長野県の長谷村(現在は伊那市)の戸台で採れたカミキリムシが新種だったので、Tsujius itoi IKEDAと名づけて記載したことがあるが、この虫は珍品かつ美麗で、何頭も採りたくて毎年春になると戸台に通っていた。

戸台のはずれには廃村になった集落があり、その集落の栗の樹に、沢山のクマ棚がついているのを見たことがある。

春先だったので、クマを目撃したことはないが、栗が実っている頃来ればクマと出会っていたことだろう。

奥山から降りてきたツキノワグマは、こういった集落跡に棲みつくようになり、奥山には帰らなくなる。

奥山でエサが確保できるほど大きな縄張りを持っているクマは強いので、奥山にエサ探しに戻って行っても弱いクマは追い返されてしまう。

里で育った子どものクマは、もう本来の棲息地の奥山の環境を知らない。

子グマにとってはこの地が故郷なのだ。

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