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クマ出没は必然だった。ホンマでっか池田清彦教授が読み解く「クマが人里進出」の真相

今年ほど「またクマが出た」「今度は人里で襲われた」というニュースを頻繁に耳にした年も珍しいですよね。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、生物学者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授が、なぜクマは人の居住地に進出してきたのかという疑問に生物学的見地から答えています。

クマはなぜ人の居住地にまで進出してきたのか

今年はクマが人を襲ったり、人間の居住地に出現したり、といったニュースがことのほか多かった。

私が学生の頃は、クマは奥山に棲んでいて、人里に降りてくることはあまりなかったように記憶する。

環境省の発表によると、今年クマに襲われて死亡した人は12人、過去最多であった2023年度の6人から2倍に増えたとのことである。

2024年の交通事故による死者数2663人に比べれば微々たるもので、クマの恐怖は誇大に喧伝されていると思う。

人は未知のものには恐怖を抱くので、動物園以外でクマを見たことがない人が、クマを怖がるのも無理はない。

マスコミがクマの恐怖を必要以上に煽るのは、政権批判から目をそらせたいという思惑があるのかもしれないけれどもね。

そうは言っても市街地にしばしばクマが出現するとなると、そこで暮らしている人にとってはやはり恐怖であることは確かだろう。

そこで、今回は、なぜクマが人の居住地にまで進出してきたのだろうという話をしたい。

まず、第一にクマが絶滅した九州と棲息地が狭まってごく僅かになった四国を除いて、クマの個体数が増加していることが挙げられる。

北海道では1966年から「春グマ駆除」と称して、冬眠から覚めたヒグマを獲ることが行われていたが、生息数が減少してこのままでは絶滅の恐れがあるということで1990年に駆除は廃止され、クマの保護へと方向転換がなされた。

そのために、今度は逆にクマの個体数が増加して、30年間で、2倍に増えたと言われている。

もともとヒグマが暮らしていた奥山のCarrying capacity(環境収容力:その地域に生息できる個体数の上限、主としてエサの量で決まる)の範囲に個体数が収まっていれば、ヒグマは人間が住む近くまでやってこない。

しかし個体数がCarrying capacityを超えれば、あぶれた個体はエサを求めて奥山から、人間の居住域にやってくる。北海道で、クマの目撃情報が増えた一番の理由だろう。

本州以南に棲息するツキノワグマはヒグマに比べれば大きくはないが、それでも、いきなり出くわせば、恐ろしいことには変わりはない。

私は、50年近く前に、虫採りに行った山梨県の大菩薩峠で、ばったり出くわしたことがある。

夜行列車で、山梨県の塩山で降りて、バスで登山口の裂石まで行き、ここから虫を採りながら登って行ったのだが、長兵衛小屋近くで、林道脇の斜面からツキノワグマがドサッと林道に降りてきたのである。

私との距離は5mくらい。クマは驚いて私の方をじっと見ている。私は長い柄のついた捕虫網を持っていたのだが、手が震えていて、柄の先についた網がクマの鼻先でブンブン揺れている。

走って逃げてはいけないと教わっていたので、しばらく、にらめっこしていた。

えらく長い時間に感じたが、実際は数十秒程度だったのだろう。クマはすごい勢いで谷の方へ走って降りて行った。

助かったと思った瞬間膝がガクガクして、早々と下山してきてしまった。朝の5時頃で、周囲に人は誰もいなかった。

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そのツキノワグマが近年、しばしば人家の近くに現れるようになった。

自宅の近くの高尾山でも目撃情報がある。本州でも棲息域はこの15年で1.4倍に拡大したというが、個体数は増加傾向にあるものの、ヒグマほど増えてはいないようだ。

本来ツキノワグマが棲息していた奥山の多くは、太平洋戦争後、国内産の材木を量産するという名目で、補助金を出して広葉樹を伐採して杉や檜を植えたが、現状では手入れをされないまま放置されているところが多いのだ。

杉は植林から数十年経たないと、売り物にならないが、ちょうどその頃、外国から安い材木が入ってきて、国産の杉は外材に太刀打ちできなくなり、杉林は金にならなくなったのである。

当然のことだが、杉や檜の林にはクマの食べ物はほとんどない。

ツキノワグマは本来の棲息地の奥山に留まっていては飢えてしまうので、周辺に棲息域を拡大して、人家の近くまでやってきたわけである。

クマにとって都合がよかったのは、本州の田舎では、若者の離村が相次いで、限界集落が増え、中には廃村になった集落も多いことだ。

人がいなくなっても、集落の周りには栗や柿などの果樹は健在で、これらはクマにとってごちそうなのだ。

私は20年近く前に長野県の長谷村(現在は伊那市)の戸台で採れたカミキリムシが新種だったので、Tsujius itoi IKEDAと名づけて記載したことがあるが、この虫は珍品かつ美麗で、何頭も採りたくて毎年春になると戸台に通っていた。

戸台のはずれには廃村になった集落があり、その集落の栗の樹に、沢山のクマ棚がついているのを見たことがある。

春先だったので、クマを目撃したことはないが、栗が実っている頃来ればクマと出会っていたことだろう。

奥山から降りてきたツキノワグマは、こういった集落跡に棲みつくようになり、奥山には帰らなくなる。

奥山でエサが確保できるほど大きな縄張りを持っているクマは強いので、奥山にエサ探しに戻って行っても弱いクマは追い返されてしまう。

里で育った子どものクマは、もう本来の棲息地の奥山の環境を知らない。

子グマにとってはこの地が故郷なのだ。

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人家近くのクマは捕獲して、奥山に戻せばよいと主張する人もいるが、そういうわけで、それは無理なのである。

人がほとんどいない集落跡に棲息してそこから出なければ問題はなさそうだが、奥山に行けないクマはエサが足りなくなると、さらに人が住む人家近くまでエサ探しに来るようになる。

すると目撃情報が多くなる。小屋などに食べ物が貯蔵してあることがわかると、クマはそれを学習して、同じような小屋があると中に侵入してきて食べ物を漁るようになる。

たまたま小屋に人がいて、鉢合わせをすると、クマに襲われる恐れが高くなる。

クマには所有権という概念はないから、自分が見つけた食べ物を横取りされると思うのだろう。

かつて、大雪山からトムラウシ山にかけて縦走していたパーティーがヒグマに襲われたことがあった。

原因は缶詰などの食料をテントの外に放置したことだ。

近辺をうろつき回っていたヒグマが、これを見つけて食べたのに気づき、残りの缶詰を回収して次の露営地まで運んだところ、自分の見つけた食べ物を盗られたと思ったヒグマは、パーティーを追いかけてきて襲ったわけだ。

クマは本来、植食性か雑食性で、肉食性ではないが、腹が減っていれば、シカなども食べる。

狩りはあまり上手くないので、シカの個体数が少ない時は積極的にシカを獲ることは滅多にない。

しかし簡単に倒せるとなれば、話は別である。シカが激増すると、シカを獲るのが比較的容易くなり、シカを食べるクマが増えるという。

人家の近くに住んでいるクマは人に遭遇する確率が高く、人を襲ったクマが腹をすかしていれば、倒した人を食べるだろう。

クマは学習能力が高いので、人は弱くて簡単に倒せてしかも美味しい、ということがわかるはずだ。

かつて、クマが奥山で出会った人は猟師のことが多く、クマにとっては恐ろしい存在であり、余程びっくりしない限り、人を襲うことはなかった。

人の気配を察すれば、なるべくやり過ごすことが、奥山のクマの行動規範だったのである。

鈴をつけて歩くのも、歌を歌いながら歩くのも、ここに人がいるよ、とクマに知らせることが目的だったのである。

しかし人を襲って食べることを学習したクマは、今度は積極的に人を探して襲うようになる。

こうなると鈴をつけて歩くのは逆効果になる。人家周辺に出没するクマと共存することはほぼ不可能だ。

可哀そうだけれども、駆除せざるを得ないだろう。特に一度、人を襲ったクマは見つけ出して射殺する以外にない。

もう一つ、クマが人家周辺に降りてくる原因として大きいのはーーー(『池田清彦のやせ我慢日記』2025年11月14日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

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image by: Shutterstock.com

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