遠野は内陸の盆地にあるが、今回の舞台の題材となった99話は、津波で亡くなった妻が海辺に夫の前に現れる話である。
東日本大震災と太平洋戦争の2つの日本の悲劇が交差する世界、踊りは、時には特攻機のように、時には波のように、舞台を縦横無尽、儚く舞う。
プロデューサーの高野泰樹さんは、「災害の前でもなく後でもなく、その“あいだ”をどう生きるか」を記した赤坂憲雄さん著「災間に生かされて」に影響を受けたという。
「震災のあとマテリアリスティックになった社会の中で、幽霊の話や“この世ならざるもの”への感覚もふっと露わになった」ことが遠野物語に行き着いた。
多くの命が亡くなった東日本大震災で、被災地で活動していた私の耳にも津波で亡くなった人に関する幻想的であり、かつ不思議な物語を耳にした。
私自身、震災直後、まだ電気が復旧していない沿岸部の波打ち際付近には漆黒の闇の中に何かを見たような気もしている。
東日本大震災が発生したのが遠野物語から101年目、と公演の案内に示されているように、震災を意識し、また「災間」にいる私たちにも向けられている作品である。
そして、この舞台は振付家・森山開次が、バレエ・舞踏・歌舞伎の美しさを凝縮し、また融合させ、刹那的な感情を昇華させた。
舞台に関する見識を持たない私ではあるが、舞台を構成する断片に多少触れている観客の一人として、親近感のあるものでもあった。
そして、河童を演じる森山開次さんを見ながら、高校生の時に、いるはずのいない河童がいないかとのぞきこんだ、あの河童淵と自分の心境を思い出していた。
そして目が覚めるような麿赤兒さんの存在感は、いるだけで、もう踊り、であった。
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