もう「ライフハック」は死んだのか?生き方を最適化したいという願いの本質を考える

 

■何を欲しているのか

ところで、ライフハックに宿っている”生きることの工夫”とは何なのでしょうか。そうした工夫を人類が綿々と営んできたとして、その精神性はどのように描写できるでしょうか。

先ほど挙げた本は、「仕事の効率化」「勉強」「ダイエット・健康」「コミュニケーション」「メンタル」といった章で構成されています。こうしたものをうまくやりたいというのがその精神性でしょう。

そもそも工夫とは何かを「うまくやる」ための方策です。

たとえば、「仕事をうまくやる」、ないしは「仕事をさぼることをうまくやる」。これらは、目指す成果は異なっていても、その成果への道行きを期待する方向へ寄せようとしている点では共通しています。

古代ギリシャから続くストア哲学も、日々起こる出来事に心をかき乱されないようにするための考え方を提示していて、包括的に言えば「よく生きる」ための工夫、具体的に言えば「理性をうまくつかう」ための工夫になっています。

私たちは古代からずっと「うまくやりたい」と願って生きているわけです。さまざまなテクノロジーの開発もそうした欲望に駆動された営みの結果でしょう。

仏教的な考えでは、そのように願う=欲望することが生きることの妨げになるのであり、それを手放すことが勧められるわけですが、そのようにして好ましい生を得ようとしている点は同じでしょう(そこでは「うまく」の定義が変化しているわけです)。

私たちはうまくやりたい。

ただ生きるのではなく「うまく」生きたい。

おそらくそれは、「好ましい成果を手にしたい」以上の願いです。言い換えれば、好ましい成果が入手できればそれだけでOKとはなりません。

たとえば、「仕事をうまくやりたい」と願っている人がいるとして、ある日突然悪魔が目の前に現れて「世界、変えておいたから」と言われたらどうでしょうか。その人がやっている仕事はまったく変わらないが、周囲の人間の認識が悪魔によって書き換えられていて、その人が仕事をうまくしているように感じられている。

こうしたとき、その人が持っていた「仕事をうまくやりたい」という願いは充足されたと言えるでしょうか。おそらく、「別に悪くはないけど、ちょっと違うんだよな」と思うのではないでしょうか。仮にその認識の書き換えが、社内だけでなく世界中にわたっていたとしてもきっと同様でしょう。

では、何が足りないのか。

それは「自分が関与した」という感覚でしょう。「うまくやりたい」という願いがあり、それに応じて行動した結果として、変化が生まれた。そのような関与の感覚は、生きることに対するコントロール感をもたらしてくれます。

慌てて補足しますが、ここでいう「コントロール感」とは、人生を自分の思い通りにできていることを意味していません。そうではなく、部分的であれ自分の「意思」(ひとまずはこう呼びましょう)が、人生に影響をもたらしたのだ、という感覚のことです。

ただ生きるのではなく「うまく」生きたい、という願いの中には、成果を手にすることだけでなく、そこに至るまでのプロセスがもたらす影響も含まれているはずです。

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