冬季オリンピック開催地のなかで最も“悲劇に満ち足りた”場所。サラエボという「喜」と「悲」の舞台

 

メディアによってもたらされたサラエボ冬季五輪の記憶は、その後のユーゴスラビアの解体と内戦、殺戮、虐殺というおぞましい言葉と共に、遠い過去へと消え去ってしまったように儚い夢物語に思えてくる。

五輪開催当時、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は6つの構成共和国で構成されたが、現在はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアにそれぞれ独立している。

この過程での内戦に伴う悲劇は数えきれないが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でのサラエボ包囲は、近代の戦争において最も長期にわたる都市包囲とされる。

盆地に位置するサラエボは周囲の山から、セルビア人勢力(スルプスカ共和国)のスルプスカ共和国軍 (VRS) と、ユーゴスラビア人民軍 (JNA) に包囲され、その期間は1992年4月5日から1996年2月29日まで続いた。

この間、市民は山からの銃撃にさらされ、無防備の人たちが路上で撃たれ、死んでいった。その数は12,000人、85%は一般市民だったとされる。

冬季五輪の開会式が行われたスタジアムは墓場となり、トラックには墓標がひしめくようにたてられている。

町の中心部は通ると丘から狙撃される「スナイパー通り」があり、市民は命がけで通勤した。

最近になって、このスナイパーの中には、セルビア人勢力の案内で高額なお金を払って人を狙撃するために招き入れられた外国からの観光客がいたことも、調査によって伝えられた。

五輪開催地でこれほどまでに悲劇に満ち足りた場所はない。

ミラノ・コルティナの眩さに目を細めながら、サラエボの現実に目を向けてみる。

その記憶は同じく地続きのウクライナでの戦闘も想像させる。

今、私がちょうどサラエボに向かっている往路にあることが、こんな思いをさせているのは言うまでもない。

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障がいがある方でも学べる環境を提供する「みんなの大学校」学長として、ケアとメディアの融合を考える「ケアメディア」の理論と実践を目指す研究者としての視点で、ジャーナリスティックに社会の現象を考察します。

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