「子どものため」と言いながら、実は大人自身の安心のために指導していることはありませんか?子どもをすぐに助けることが、かえってその子の「生きる力」を奪ってしまうことがあります。本当の教育とは何か、教師はどうあるべきか。今回のメルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では、著者の松尾英明さんが、「不安を引き受ける」ことの大切さを鋭く問い直します。
「子どものため」が、子どもを苦しめるとき
結論から言います。
多くの指導は、 子どものためではありません。
大人の安心のためです。
静かにしてほしい。 ちゃんとしてほしい。 失敗しないでほしい。
これらはすべて、 大人の神経を安定させるための言葉です。
もちろん、 それ自体が悪いわけではありません。
問題は、 それを「子どものため」と 言い換えてしまうことです。
ここで、教育は歪みます。
不安を引き受けることが第一歩
では、どうすればよいか。
答えはシンプルです。
「不安を引き受ける」
これだけです。
子どもが騒ぐかもしれない。 失敗するかもしれない。 うまくいかないかもしれない。
その不安を、 大人が引き受ける。
これができるかどうかで、 指導はまったく変わります。
「待つ」ことが育む生きる力
例えば、
・すぐに教えるか ・少し待つか
この違い。
一見、 教える方が「親切」です。
しかし実際は、
待つことの方が、 子どもにとっては価値がある場合が多い。
なぜか。
考えるからです。 迷うからです。 選ぶからです。
つまり、 生きる力を使うからです。
教育とは、
短期の痛みと 長期の平和の交換です。
すぐに助ければ、 その場はうまくいきます。
しかし、 その代わりに
「自分でできる力」
を奪っている可能性があります。
教師の役割は整えること
では、教師の役割とは何か。
動かすことではありません。
整えることです。
境界を引き、 余白をつくり、 安心を用意する。
その中で、
子どもが自分で動く。
これが本来の姿です。
最後に。
「この子のため」と思ったとき、
一度立ち止まってください。
それは本当に、
子どものためですか。
それとも、
自分の安心のためですか。
この問いを持つだけで、 何かが変わります。
【実行チェックリスト】
・すぐに口を出していないか
・「待つ」場面を意図的に作っているか
・自分の不安を子どもにぶつけていないか
・安心と境界はセットで提示できているか
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