知識や発想、文章や画像の生成までAIが担うようになる一方で、人間の尊厳や感情、そして「愛」はAIには持ち得ないものなのでしょうか。ローマ教皇レオ14世の発言をきっかけに、AIと人間の境界について改めて考える議論が広がっています。『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、著者で健康社会学者の河合薫さんがAIをめぐる教皇とテクノロジー企業の異なる視点を手がかりに、AI時代において人間に残される「愛」の意味について考えます。
レオ14世が伝えたかったこと。
「AI」という言葉を、テレビや新聞などの大手メディアで見ない日がない時代になりました。
AIは人間を超えるのか?
AIは人間の職業を奪うのか?
人類の脅威となるのか
・・・などなど、連日連夜「AI」だらけです。
そんな中、ローマ教皇レオ14世の見解が話題になっています。
レオ14世は2日、Xの投稿で「(AIが回答を導く)アルゴリズムには人間ならではの輝きがない」と投稿。人間とAIは根本的に異なる存在であり人間の芸術とAIの生成物を区別すべきだと訴えたのです。
この「人間の尊厳」を守ろうとするカトリックの最高権威に対し、真っ向から異なる視点を示しているのが、米AI大手のアンソロピックです。
同社は、AIが進化の果てに人間のような「意識」や「人格」を持つ可能性を排除していません。高度なAIを単なる機械ではなく、どこか意識に近いものを宿し得る存在として捉える同社の姿勢と、「人間とAIには明確な境界線がある」とする教皇の立場は、今や真っ向から対立しています。
なかなか興味深い「対立」ですが、これは決して遠い世界の議論ではありません。
職場でも、AIを相談相手とし、仕事の進め方から生き方までをAIの意見に委ねる若い世代と、それに苦悩するアナログ世代との間で、小さな「対立」や戸惑いが広がっています。
講演会などでも、こんな切実な声をよく耳にします。 「AIを盲信する若い部下の扱いに困っている」 「AIに頼るのではなく、自分の頭で考えてほしいのだが伝わらない」 「そもそも『AIは間違える前提』に立てない部下が多い」――。
さらに最近では、採用面接にAIを導入する企業が増える一方で、就活生の側もAIを使って面接対策を練るという「AIを介した化かし合い」まで起きており、嘆く声も少なくありません。
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