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「生まれて後悔」若者急増のなぜ。反出生主義者が嫌悪する“リアル人生ゲーム”の悦び、ダイスを転がす意義をあらためて考えた=午堂登紀雄

人間の誕生・出産を否定的にとらえる反出生主義に賛同できない理由を前回コラムで書いたところ、たくさんの反論と批判が届きました。そこから「なぜ反出生主義を主張するようになったのか」という動機や彼らの思考パターンの傾向が見えてきます。今回は反出生主義に行き着く人の特徴10個と、人生を楽しむためのヒントを考察したいと思います。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)

【関連】誕生・出産を全否定する“反出生主義”が間違っている7つの理由。「なぜ貧乏なのに僕を産んだの?」にどう答えるか=午堂登紀雄

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プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。

「反出生主義」肯定派からの反論が続々

人間の誕生・出産を否定的にとらえる「反出生主義」に賛同できない理由を書いた前回の記事は、いろいろな反響があり、私のツイッターにも多数の反出生主義肯定派と思われる人たちからのコメントをいただきました。よく見ると「#反出生主義」のハッシュタグもあり、この主義の信奉者は意外にも多いものだと少し驚きました。

興味があれば私のツイッターアカウント(@tokiogodo)を覗いていただければと思います。なかなかの盛り上がりぶりですよ。

そして彼らとのやりとりの中で、「なぜ反出生主義を主張するようになったのか」という動機や彼らの思考パターンの傾向が見えてきました。

そこで今回は、彼らの特徴と、そこから抜け出し人生を楽しむためのヒントを考察したいと思います。

「少数派に合わせるべき」に違和感

反出生主義の人たちからツイッターでたくさんの意見をいただいたのですが、それを読んで、今でも腑に落ちない点があります。

それは、「生まれたくなかったという人は少数派なのに、なぜ少数派に合わせて多数派が犠牲になる必要があるのか?」という点です。

実際にこんなやりとりがありました。

「苦しむ人が一定数出るというのはわかるのですが、それで死にたいと思う人は少数派でしょう。なのに、なぜ人類全体が産むべきでないなどと、少数派の主張に多数派が合わせないといけないのですか?私は少数派の価値観を否定はしませんが、なぜ少数派のために多数派の価値観が否定されなければならないのですか?そのロジックが見えないので教えてもらえますか?」

こう聞いても、答えが返ってきません。せいぜい、「誰が不幸になるかはわからないから。それはギャンブルになる。だったら最初から生まれなければギャンブルにはならないから」というくらいです。これまた、論理的でありません。

たとえば、台風や洪水などで家を失い、避難所での生活を余儀なくされている人たちに、「こんな悲惨な目に遭って、生まれてこなければ良かったと思いますか?親を恨みますか?やっぱ出産は否定されるべきですよね?」と聞いてみると、どういう答えが返ってくるでしょうか。

おそらく、「とにかく生きていてよかった」「命が助かっただけ儲けもの」という人が多数ではないでしょうか。

あるいはシリアの内戦から逃げて難民になる人は、なぜ逃げるのか。それはやはり「生きたい」という意志があるからでしょう。「死んでもいい」という人は逃げたりしないでしょうから。

つまり、逆境に直面して「生まれなければよかった」というのは少数派で、多くの人は生きることを肯定する。ここにも多数派の考えが否定されるべき合理的な理由が見つからない。人類全体に強制すべき正当性が見えない。

そもそも人生は何が起こるかわからないギャンブルであり、それを人は知性によってギャンブルに勝つ確率(苦難を予防する、避ける、解決することを通じ、予測力や想像力を磨き、より適切な意志決定ができるようになり、より満足度の高い人生を獲得すること)を高めようとするものです。

それが知性であるはずなのですが、反出生主義者はその知性すら信じないということなのでしょう。

Next: ツイッターに届いた批判から感じた、反出生主義に行き着く人の特徴



現状は「生きたい」「生まれてきてよかった」と思う人がマジョリティ

余談ですが、民主主義の原則は「多数決」です。これは確かに不公平や不平等をもたらすこともあるのですが、現状ではこれ以外の方法(たとえば独裁など)の方がもっと悲惨でしょう。中国の新疆ウイグル自治区やチベット自治区、香港で行われている共産党による人権蹂躙を見れば明らかなように。

多数決であるがゆえに、たとえば社会のインフラ・制度などはまず多数派である健常者ありきで作られていきます。しかし、それでは障害者といったマイノリティが生きづらい。そこで彼らを救済すべく、たとえば建物をバリアフリー構造にしたり、障害者支援の枠組みを作ったりします。

これを逆に、マイノリティありきで社会を整備しようとすると、お金もかかるし議論が複雑化するし、時間もかかるなど、社会的コストが大きすぎる。「多数派が正義で少数派は迫害されるのか」ということではなく、社会の効率性の話です。

たとえば、昭和の時代に「すべての駅にエレベーターを設置する」のは財政的にも技術的にも難しいだろうなあというのは想像に難くないと思います。だからまずはマジョリティの健常者がしっかり活動できる基盤を作って、税収がうるおい、法律や規制といった全体の諸制度ができてから、次のステップとしてそれらの課題を洗い出し、解決をしていく方が効率的なリソース投下が可能でしょう。やってみて初めて課題が浮き彫りになるということも多いですし。

そして現状は「生きたい」「生まれてきてよかった」と思う人がマジョリティで、「生まれてこない方がよかった」と思う人がマイノリティだと思います。

では、どこにマジョリティが否定される正当性があるのでしょうか。

そのマジョリティの人たちが、「それはそうだよね」と納得するような論理展開が見られない。そもそも説得力のある思想であれば、誰かがあれこれ主張しなくても、皆が自然にやると思うのですが。そう思えないから、多くの人はやらないのでしょう。

確かに社会が成熟化した昨今では、最初からマジョリティとマイノリティの共存を前提に様々な議論が行われているわけですが、反出生主義はそれすら否定し、「誰も生まれない方がいい」と言う。

とはいえ、日本では思想の自由があるので、個人がどういう思想を発表しても自由です。

しかし、「全ての人は子を産むべきではない」と他人に押し付ける主張を続けた先に、ご本人の人生において何が実現されるのか。将来は選挙に打って出てその思想を実現する、書いたものをまとめて出版する、同じ人たちとつながりコミュニティを作る……そういう動機があるなら、生産的に思います。

しかしそうでなければ、世界的な同意が得られるとはご本人も思っていないでしょうから、得られるものは何か?溜飲が下がる?ああ、それはあると思いますね……。

反出生主義者の特徴その1:自己肯定感が低い

反出生主義者の発言を見ていると、「自分が嫌い」「世の中が嫌い」などと自分を否定し社会を敵視する傾向があるなど、自己肯定感の低さが目立ちます。

自己肯定感が低くなる原因として、幼少期の家庭環境が複雑とか、保護者に問題があり適切な愛情を受けずに育ったきたことが挙げられます。

両親の不和、離婚、虐待やネグレクトといった問題だけでなく、たとえば高圧的な親・過保護な親のもとで自分の意見が抑圧される、自分の考えが尊重されないとかで、思考力を奪われて育った子、親の顔色を伺って自分を押し殺して育った子も、やはり自己肯定感が低くなりがちです。

また、親が見栄っ張りで他人や兄弟と比較したり、テストの点数や成績でガミガミ言うなどすれば、子もやはり他人と比較しては劣等感を抱いたりマウントしたりするようになります。

このように自己肯定感が毀損・破壊されて育った人は、自分に自信がなく、「自分は自分で大丈夫」という自尊感情を持てません。だから「自分のことが嫌い」であり、だから「生まれてこなければよかった」になりがちです。

そうした生育歴の問題から起こる自己肯定感の低さから抜け出すには、本人の自覚と意志が必要です。しかしこの呪縛は強固で、虐待されて育った子が再び自分の子に虐待をするように、負の連鎖に陥りやすいことがわかっています。

だから、自分のいきづらさや不遇な人生だと感じている元凶は、自己肯定感の低さに由来しているのかもしれないと自覚してみること、そしてそれは意識すれば変えられるのだという希望を持つことです。

Next: なぜ生まれてきたことを悔やむのか?1つの仮説



反出生主義者の特徴その2:打ち込めるものがない(不完全燃焼感と焦り)

これはひとつの仮説ですが、反出生主義者は、「打ち込めるもの、夢中になれるものがなく、その不完全燃焼感にイラ立っている」「やりたいことがわからないことへの焦り」があるのではないか、と私は考えています。

たとえば「志望校合格に向けて受験勉強に打ち込んでいる」「夏の大会を目指して練習に打ち込んでいる」という人が、「生まれてこなければよかった」などとは考えないでしょう。

人は夢中になれるものがあると、希望を見出すことができます。それは自分への挑戦だったり記録への挑戦だったりしますが、抽象的な表現を使うと「自分とつながっている一体感覚」であり、これは充足感につながり、自尊感情を呼び起こしてくれます。

そこでたとえば努力が嫌いという人には何かに「挑戦」することをおススメしています。なぜなら、挑戦しているときは人は努力しているとは感じないものだからです。すると「挑戦そのものが嫌い」という答えが返ってくるのですが、挑戦とは「自分がやる価値がある、やりがいを感じる」対象に向かうことです。よほど必要性が高い理由やメリットがなければ、嫌いなことにあえて飛び込んだりはしないですよね。

しかし反出生主義者は、それに対しても無気力なようです。

それも仕方ないことなのかもしれません。何かに打ち込んできたことがないから、没頭して得られる充足感がわからないからです。何かに挑戦したことがないのに、「挑戦も嫌い」「挑戦を楽しめなかったらどうするのか」などと言います。これは自分への防御反応のひとつだと思いますが、意地でも前向きな方向を徹底的に否定するのは、やはり自己肯定感の低さでしょう。

ただし「やりたいことがない」「やりたいことがわからない」というのは悲観するような材料ではありません。大人でも好きなことを仕事にしている人は少数派だし、やりたいことだけやって生きられるほど単純でもない。やりたいことなんてそう簡単にわかるものではないのです。「中学から医者になると決めていた」などという人はレアケースで、私自身も就職や転職や起業などいろいろやってはあきらめ、方向を変え、フラフラしながら生きてきました。

でも、だからといって何もしなければあとあと不利になる。やりたいことがないなら、自分がいまやるべきこと、たとえば勉強なり仕事なり、「それは必要なことだから自分が責任を持ってやる」というぐらいのノリでいいと思います。

反出生主義者の特徴その3:自分の苦しさの明確な理由を言語化できていない

また、彼らは、本人の生きづらさの原因を特定できておらず、だから解決策も見つからない、だからどうしようもない、生きていてもつらい、というネガティブなループに陥っているのではないかと推測します。

そして、それを言語化できていない。「勉強が嫌い、嫌いなことはやりたくない」だから苦しいという人も、なぜ嫌いなのか、どうすれば嫌いでなくなるのか、考えたこともないし考えようともしない。自己肯定感の低さの裏返しで過剰な自己愛に満ちていることから、ちょっとでもイヤだ、苦しい、つらいと感じる場面の直面したら、とにかくそこから逃げ出したくなる。言語化ができず、じっくり考えられないから「全否定」という極論に走ってしまうのでしょう。

よくある「クソ記事」という批判(というか難癖?)が典型例で、何がどうクソなのかすら考えていないから説明もできない。ただムカつくから感情で反発しているだけです。

「お前が言っていることはおかしい」「読む価値がない」「お前は何もわかっていない」などと、ただ相手を否定するだけで、本人は「自説をより強化するような根拠ある論理展開」ができない。論理的に考えていないから、意見と人格とを区別できず、自分の意見が否定されると自分の人格を否定されたかのように感じ、感情的に反発するしかない。

それで余計に思うのです。ツイッターのような140文字の中ではなく、ブログやメルマガなどでしっかり自分の意見や主義主張を展開することが重要であると。最初は愚痴や不満の吐き出しでもいい。自分の考えを脳内から引き剥がし、文字という現実世界に落としていく。それは自分の偏った考えを客観視し、やがては論理的思考力を高め、より自信が持てる考え、自信が持てる生き方につながるんだと。

むろん、時には独りよがりになることもあると思います。私の主張なんて、独りよがりそのものですし(笑)。それでもいいのです。他人に押し付けたり、特定の対象を誹謗中傷などしなければ、それは自分内部のこと。そして仮に独りよがりでも、「だからこう考える」という根拠を集めていく作業を惜しまなければ、様々に直面する状況でも、自分が納得できる判断につながります。

私のコラムや書籍を押しつけのように感じる人もいるかもしれませんが、私は「するべき」「しなければならない」という表現は極力避け、「おススメ」「必要だと思う」「してみてはどうでしょうか」という提案レベルにとどめるようにしています。処方箋は提示しますが、判断はあくまで読者であると、読者の意志を尊重するからです。

Next: 「生まれてくる子が不幸にならない保証はない」に対する反論



反出生主義者の特徴その4:環境は誰かから与えられるものだと思っている

「おまえは生まれてくる子どもが不幸にならない保証ができるのか?できないなら無責任だ」などという意見もありました。

そんなふうに誰かに幸せにしてもらいたい。守られていたい。強固な他力本願。自分の人生なのに、他人からの保証を求めるという、徹底的に受け身で依存的な傾向があります。

そうやって「与えてもらう」という発想だから、全身に被害者意が浸透してしまう。それでイヤなことがあると、自分は被害者であると叫ぶ。自分は悪くない、悪いのは周囲だ、もっというと自分を産んだ親だ。という他責の思想になるわけです。

「頼んでもいないのに子に人生を強要しているエゴ」「勝手に産んで勝手に苦痛の人生を歩ませる身勝手」という意見もやはり、「自分は強要されている」「苦痛を味あわされている」という被害者的発想が根底にあるからでしょう。

それはつまり「主体性の欠如」「自己責任意識の欠如」です。

これも若者に特有の思考パターンで、それも仕方がないのです。自分で環境を変えたり自分で選んだり、自分の力で掴み取ったという経験が少ないからです。

子どもはイヤだと思っても当たり前のように学校に行かされます。制服も文房具も与えられます。自分のお小遣いで買ったといっても、そのお小遣いも親からもらったもの。学校の学費も親が出している。進学で一人暮らしをしても、学生なら家賃ぐらいは親が払っているでしょう。すべて大人から守られていて、大人が作った枠組みの中だけで生きている。人間関係も自分で選んだわけではなく、たまたま同じ年に生まれ、たまたま同じ地域に住んでいたとか同じくらいの学力だったとか、たまたま偶然そこに集まった人たちの集団です。だから自分とは違う人がいるわけですが、合わない人とでも「仲良くしなさい」などと無茶を言われる。

そうやって与えられ、自分の自由意志があまり通らない環境にいるので、「自分の環境は誰かから与えられていて、そのなかでもがいているけどうまくいかない。それは自分のせいではない。親や先生や大人や社会が悪いんだ」という発想になっても仕方がない側面があります。自分の力で自分の環境を変えた経験がないですから、そういう選択肢があることすら想像できない。変えられないから不運だと嘆いてしまう。

私も高校まで実家暮らしで、高校は自転車で片道50分くらいかけて通っていました。遠いなとは思いましたが、当時「住む場所を変えることができる」という発想はまるでありませんでした。自分の意志で「学校を変える」ことができるなどとも思ったことはなかった。

しかし社会に出てみると、不満や不利な状況があれば、自分の意志で環境は変えられるということがわかり、自分の世界がいかに小さかったかを理解するようになりました。

やはり「自分の意志で選ぶ」「自己責任で判断する」という経験が必要ですが、これは社会に出てみないとなかなか理解できるものではないのかもしれません。

反出生主義者の特徴その5:思い込み・固定観念が強い

反出生主義者は、「世の中は苦痛で満ちている」「苦痛があるのはいけないことだ」という強い思い込みがあります。

それも仕方がないことなのかもしれません。若い彼らは、それまでの短い人生のほとんどを「やらされて」生きてきたからです。勉強したくないのにさせられる。運動なんてイヤなのに走らされる。塾に生かされる、受験も進学もしたくないのにさせられる。これは大人でも同じく、やらされ仕事は面白くないですよね。やはり自分から手を挙げて自ら創り出した仕事は、嬉々としてやるものです。

前述の「自発的に自分の意志で決めてきた」という経験が少ないこと、受け身で生きていて、自分で何かを成したことがほとんどない。また、「人の役に立った」「人から感謝された」という貢献実感を得られた経験が少ないという点もあると思います。

「わあ、ありがとう!」「あなたのおかげです!」「助かりました!」という周囲からの声は、「自分はここにいていいんだ」という所属欲求が満たされますが、そういう経験が少ない。ほかにも、部活などでチームメイトと苦楽を共にする経験がない、悩みを打ち明けられる友人がいない、恋人がいないなどで、人間が持つ様々な感情の経験値が圧倒的に低い。

一方で、イヤなことは明確に認識できる。だからその感情が絶対だという発想になってしまう。彼らはさらに「どんなにいいことがあっても、苦痛が1つでもあったらダメだ」とこだわります。
これもやはり、自分が何かに打ち込み、壁にぶつかり、それを乗り越えて成長したという経験とその実感に乏しいからでしょう。

しかしこれも、若さゆえに仕方がない側面があります。たとえば、会社のプロジェクトに抜擢された。しかし、深夜までの残業が続いたり、メンバー間の確執があったり、仕様にバグがあったり、役員プレゼンでダメ出しを食らったり、しんどかった。正直、辞めたいと思ったことが何度もある。

それでも何とかいいものにしようとがんばったら、ようやく役員からOKをもらった。取引先に提案したらすごく喜ばれ、ついに採用された。苦労はあったけれど、すっごく充実している。わだかまりがあったメンバーとも、いまはねぎらい合えるまで関係が良くなった。仕事したなーという感じ。

こういう達成感や充足感は、学生や新卒程度ではなかなか味わえないと思います(むろん、学園祭や体育祭などでそういう体験ができる人もいますが、ほんの一握り)。仮にそういうチャンスがあったとしても、彼らは腰が引けて手を挙げない。だからこそ苦痛をより巨大に感じ、苦痛が1つでもあるとすべてダメ、という発想になってしまう。

また、彼らは世の中を「加害者と被害者」「倫理的に正しいか正しくないか」などという二項対立で捉える傾向があるのですが、これは抽象的思考が苦手な人が陥りやすい発想で、これもやはり10代・20代といった若者特有です。

子どもは抽象的思考力がまだ発達しておらず、「具体」でしか物事を認識できません。だからはっきり白黒つけたがる。そのため、たとえば「善か悪か」「正しいか間違っているか」という単純な発想をしがちです(もちろんこういう人は大人でも多いですね)。そのため、「こういう例がありますよ」と紹介しても、「それは自分には当てはまらない」「そうじゃない人もいる」などと具体に引きずられて俯瞰できない。

さらに抽象的思考の1つの例として「自分の人生の構想を描くこと」が挙げられますが、反出生主義者はこういう発想が苦手です。だから目の前の具体的な出来事で、感情が左右されてしまう。

「自分はどのような人生の展開を望んでいて、そのために必要なことは何か」という具体と抽象の往復をつねに繰り返す必要があります。しかし、職業や社会のことをよく知らない若者には難しい話で、これも仕方がないことなのでしょう。

Next: なぜ失敗を過度に恐れるのか?不幸に敏感で、幸福に鈍感な人たち



反出生主義者の特徴その6:人からどう思われるかを過剰に気にしている

冒頭の自己肯定感が低いことによる1つの問題は、「他人からどう思われるかを過剰に気にしている」「なのにプライドが高い」こと。そして彼らは、あるべき姿に対して強すぎる想念というか、強固な固定観念に縛られています。

たとえば、勉強ができなければならない、運動ができなければならない、友達は多くなければならない、容姿が優れていなければならない、尊敬される人気者でなければならない、モテなければならない、コミュニケーション上手でなければならない、何でもスマートにこなせなければならない、苦手なことにも立ち向かわないといけない、周囲の期待に応えなければならない。そういった思いが強烈なのです。おそらくマジメなのでしょう。

でも現実はそうではない。だから理想とは違う自分に幻滅してしまう。どうにかなるとも思えない。それはそうです。そもそもその、「〇〇でなければならない」「〇〇すべき」というのが勝手な思い込みなのですから。他人の価値観に引きずられた価値観なのですから。

それらは本人の周囲の人が勝手に言っているだけ。そして本人がそういうノイズに洗脳されているだけ。たとえば「孤独死はみじめだ。だから孤独死を防がないといけない」という主張があります。でも本当にそうでしょうか?亡くなった本人は実は満足してこの世を去ったのかもしれないのに?むろん、寂しさと無念の中で孤独に亡くなる人もいるとは思います。遺品整理や特殊清掃の仕事をしている人の話を聞くと壮絶なケースもあるようですが、全員ではないでしょう。

実際はそう言っているその人が「人は家族などに見守られながら死ぬべきだ」という固定観念に縛られていて、「だから孤独死はかわいそう」などと感じているだけです。1人で死ぬことが最初からみじめとかかわいそうなどと決まっているわけではない。

結局、生きている外野の価値観で勝手に意味付けしていることがほとんど。だからまずは自分の思い込みや固定観念に気づき、それを外すこと。周囲の凡人たちの洗脳支配から逃れること。完璧な人間を目指さないこと。自己愛の基準をもっと下げることです。

勉強ができない人はいっぱいいますが、では彼らが全員不幸かというとそうではないでしょう。勉強ができないなら、できなくても許される環境を探せばいい。そもそも社会に出たら学力も偏差値も関係ない。学歴で影響を受けるのは新卒のときぐらいで、そのあとは完全な実力勝負。かけっこが速くても、社会に出れば1円にもならない。友達なんていなくても何も困ることはない。モテないことはそんなに悲惨なのか。モテるのは気分がいいけれど、ただそれだけ。20代後半になれば1人だけからモテればいいし、結婚すればモテることはかえってリスクになる。

大人になると、人間を評価する指標が増えて複雑になり、容姿の美醜という評価の重要性は大きく下がるから、悩むほどではなくなる。そんなにイヤならお金を貯めて整形すればいい。全員が陽気で人気者だったら、騒がしくてしょうがない。私も陰キャで人見知りの引っ込み思案ですが、問題なく生きられる。

「できること」「できないこと」は人によって違う。できないことや足りないことに注目して卑屈になるのではなく、自分ができることにフォーカスし、そこを伸ばしていけばいい。人は周囲の期待に応えるために存在するわけではなく、自分が納得する人生を歩めばいいのですから。

反出生主義者の特徴その7:不幸に敏感で、幸福に鈍感

反出生主義者は「世の中は苦痛だらけ」「生きていれば絶対に苦痛がある」などというのですが、実は他人から見れば、「別に何不自由なく暮らしている普通の人」だったりします。

ツイッターに書き込んでくるくらいですから、スマホくらいは持っている。病院にも行けるしコンビニでおにぎりも買える。自殺願望があるわけでもなく、環境的には普通に恵まれている。でも、彼らは苦痛と不安と不満と怒りに満ちている。

おそらく不幸に敏感で、幸福に鈍感なのでしょう。

自分の身の回りにほんのりと浮かぶ小さな幸福の数々に、目を向ける精神的な余裕がない。上昇する水面から顔を出してあっぷあっぷしているようなもので、精神的に追い詰められていて(というか誰も追い詰めていないのに、自分で自分を勝手に追い詰めている)、周囲への感謝、満たされていること、日常の幸福に気づかない。そういう感受性を失っている。

そして、普通の人が「1」つらいと思うことを、自分で勝手に重石を追加して「10」つらいように仕向けている。誰も頼んでいないし、誰からも頼まれていないに、よりつらく受け止めている。つまり、自分で自分をつらい方へ追いやっている。それで「人生は苦痛だらけ」と悲観している。

問題は、物事を悲観的に捉える本人の思考のクセなのですが、そこに気が付かない。気がつけない(気づきたくもない?)。自分が実はどんなに恵まれているのかは、生まれたときからあるから空気のようなものだから、その存在に気づかない。「当たり前」だと思っているから感謝もしない。

そこで一度、「自分が得られている、当たり前の幸福」を見つめ直してみることです。1日3食ごはんが食べられることは幸せ。学校に行けることは幸せ。スマホを持てることは幸せ。病気になったら病院に行けることは幸せ。戦争や内戦が起こらないことは幸せ。電車が時間通りに動くことは幸せ。タクシーに乗って料金をぼったくられないことは幸せ。水道水がそのまま飲めることは幸せ。パスポートを持てることは幸せ。トイレットペーパーが使えることは幸せ。毎日お風呂に入れることは幸せ。電気ガス水道がほとんど止まらないことは幸せ……これらが当たり前でない国もあるのですから。

そして、日常の小さなことに対して「ありがとう」と言ってみる。反出生主義者は社会を敵視し、他人や周囲に感謝の気持ちをあまり持たない印象ですが、意識して「ありがとう」を口にするようにすると、実は世の中は、自分が思っているほど悪意だけらけではなく、むしろ善意に満ちていることに気が付くのではないでしょうか。

ただ、反出生主義者は前向きな解釈が苦手で、物事をネガティブに受け止めたくて仕方がないようですが。

Next: 変わらないのではなく「変えたくない」?人生は自分次第で好転する



反出生主義者の特徴その8:自分の主義主張にしがみついている

「自分の考えは変わらない」という人もいましたが、変わらないのではなく「変えたくない」のでしょう。なぜなら、変えることは、それまでの自分の考えを否定することになるからです。

それは、今までの苦労はなんだったんだ、これまで悩んできた自分はなんだったんだと、自分が悩んできた時間が無意味になるような気がする。自分の思いや存在が軽くあしらわれてしまうような、自分の価値観や人格までも否定されるような耐え難い屈辱であり、到底受け入れられない。だから意固地になって反発するしかない。もはやプライドが邪魔してしまっている。こういう人は大人でもいますよね。もはや理屈ではなく「意地」です。

自分の考えに頑なにしがみつき、他人の話に耳を貸さない。「それはできない」「それはしたくない」「そう考えたくない」……自分とは違う考えを徹底的に拒否する姿勢は「学習できない人」の典型例ですが、問題はそれが「本人の意志で選んだ生き方」なのに、「苦痛だ」などと不満をこぼしている点です。

苦痛であるならその苦痛を解消できるように、あるいは苦痛を感じずに済むような発想に転換すればいいはずですが、それはしたくない。かといって他人のアドバイスを受け入れるのは、どこか自分が負けたかのように感じてしまい、それもイヤ。苦痛はイヤなのに、そこから抜け出すのはもっとイヤ、という矛盾を抱えてしまっているのですが、本人はそれすら気が付かない。

まあ、私も他人の話に耳を貸さない方ですが、それは、その他人よりも自由で楽しく生きているから、相手の話を取り入れる必然性がないからです(むろん、もっと自由で儲かって楽しいというアイデアには興味津々で話を聞きます)。

それにしても「自分を絶対に曲げない」といのは、実は非常にもろい。環境変化や状況の変化に適応できないからです。しがみつくからこそ、そうではない周囲との乖離が大きくなり、苦しさから逃れられない。

「一貫性」とか「ブレない」というのは、これからの時代は息苦しくなるだけです。時代環境に応じて自分の考えを変えていく、そういう柔軟性を身に着けることこそ、この不確実で窮屈な世界を軽やかに生きていくコツの1つではないかと思います。つまり「節操なく生きていい」のです。

そして、「こんな自分ではいけない」「こんな世界はおかしい」などと逆らうのではなく、流されて生きればいい。どうせ行きつく先は全員「老後」「余生」なんですから。「これは苦痛だ」「これはしんどい」という物事の見方をやめて、「しょーがねーから勉強してやるか」「しょーがねーから進学するか」「しょーがねーから就職するか」などと「必要だからしょうがない」と抵抗することをあきらめ、淡々と生きる方が気持ちはラクではないでしょうか。

反出生主義者の特徴その9:思考の時間軸が短く、心の成長が見えていない

反出生主義者はいま生きづらさや苦痛を抱えているから全人生を否定したいわけですが、これは「今しか見えておらず、今がすべて」という、若さゆえのナイーブな心理状態が見て取れます。そういえば私も子どもの頃、学校でイヤなイベントがある前日、「学校に隕石が落ちないかなあ」などと夢想したことがありましたよ(笑)。

しかしそれは、思考の時間軸があまりにも短すぎるから。本人がいま20歳なら、人生はあと70年くらいもあるわけで、状況が変われば考え方も価値観も変わる可能性があるのに、そこに想像が及んでいない。人生全体の数分の1しか生きていないのに、人生全てを評価することはできないはずですが、今しか見えないから、その視座で評価を下してしまう。自分の考えが変わる可能性から目を背けていると、視野まで狭くなります。

実際、「若い頃は反出生主義だったけど、好きな人ができて結婚し、自分の愛する人が子を欲しがるようになったらその主義も変わった」という話を聞いたことがあります。

しかし、経験していないから想像できない。自分の考えや価値観が変わることも想像できない。だから今の心理状態にロックインされてしまう。それもまた若さゆえで仕方がない。ひとつ言えるのは、「つらいことがあっても結構なんとかなるものだ」という現実と、自分の心が成長すれば、物事の受け止め方が変わるのだと信じることでしょうか。あるいはもっと成熟した大人との接点を増やしてみるとか。

たとえば、いまの私には悩みなどなく、社会の閉塞感や生きづらさといったものもまったく感じません。コロナで多くの人が自粛生活を余儀なくされていますが、私はそんなのは気にせず、普通に外出しています。私にとって、人生は楽勝、未来はとんでもなく明るく、毎日が楽しくて仕方ありません。なんと素晴らしい時代だろうと感じています。

そんなふうに今はお気楽な考えの持ち主ですが、もちろんこれまで無風で生きてきたわけではありません。たとえば、こういう経験があります。

・中学生の頃、顔がニキビだらけで恥ずかしかった
・暴力教師に殴られていたことがある
・バレーボール強豪高校へ進学したいと思ったが、才能はないとあきらめた
・父親と進路への意見が合わず、高校を卒業して家を出るまで確執状態が続いていた
・学費援助も仕送りもなく、奨学金とバイトで進学したため、極貧の学生時代だった
・大学がつまらなく行くのがイヤになって学費を払わず除籍寸前になった
・日本の公認会計士を目指したが、試験直前で心が折れ不合格になった
・付き合っていた彼女にフラれて自暴自棄になったことがある
・大卒時に就職が決まらず、半年間フリーターだった
・最初に就職した会社でミスばかりして叱責攻撃を受け、ウツ寸前になった
・その会社も結局クビ同然で自主退職することになった
・外資コンサルでは朝9時~深夜3時まで土日祝祭日もなく360日働いた
・離婚したことがある
・裁判で訴えられたことがある
・作った会社のうち3社を役員間のトラブルで廃業した
・従業員の集団退職に遭った
・経営していた会社の資金繰りが悪化し最後は空中分解した
・株主と事業方針をめぐってトラブルになった
・税務調査が入り、500万円以上の追徴課税を受けた
・再婚してできた子どもは発達障害だった

ね、結構グダグダな人間でしょう?(笑)。それでも、お気楽に生きられるんです。

こうやって書けばそれなりに波乱があり、それなりにしんどい思いもしたなあとは思いますが、あとになって「どうでもいいことだった」「なんであんなことでクヨクヨしていたんだろう」などと思えることもまた多いものです。

Next: どうすれば悩みから開放される?誰にでも変えられる「意識」の問題



どうすれば悩みから開放されるのか?

そして現在は日常生活で直面するほとんどの出来事・状況において、「そもそも悩まない」「悩みに感じない」自分になっています。

では、なぜ今の私には悩みがないのかというと、経験や知識、そして経済力がついてきたことも大きいですが、大きな理由は2つ。「悩むような状況に直面しても、それを課題として認識し解決できるようになった」「物事の受け止め方を自在に制御できるようになった」ことだと捉えています。

これは「自分自身の生存戦略として獲得した思考法」です。物質面、環境面、そしてメンタル面を含め、「自分が快適に生きるには、どういう戦略が必要か」を考えれば、絶望を希望に、オセロのように(とはいかないまでも)、少しずつひっくり返せるものです。むろんそれは程度問題で、人にもよるのですが。

そしてそれは「おまえだからできるんだろ」ということではなく、「意識」の問題です。

意識を持てばアンテナが立つ(マンションが欲しいと思ったらマンションの広告が目に入るようになるというアレです)。アンテナが立てば、自分に必要な情報が入ってくるようになる。認識の仕方が変わってくる。そうやって完璧ではなくても快適な状態に近づけるのであれば、意識してみる価値はあると思います。

反出生主義者の特徴その10:自分の生きづらさの原因を特定できいてない

彼らとやりとりしていて不思議に感じたのは、そこまで「生まれたくなかった」と思うほどの経験は何か気になり、「何があったのですか?」と聞いても、誰も答えてくれない点です。答えがあったとしても、「努力は嫌い」とか「自分の容姿が嫌い」といった好き嫌いの感情だけで、そこまで壮絶な不幸体験ではない。

言いたいくないだけかもしれませんが、反出生主義者の多くは、実は絶望するほどの苦難に遭遇したことがない可能性があります。

もちろん中にはいると思いますが、実際には逆境をした人ほど、生きていることに感謝し、生きることを切望するような気がします(気がするだけです)。

つまり、おそらく漠然とした窮屈さ、不満、生きづらさから来るものだと思いますが、それでは反出生を主張する根拠としては弱い。だから、それを他人の不幸、たとえば誰か知らない人の事故や病気、貧困などで代弁しようとしているのではないか。

ちなみに私の息子が発達障害であることもあり、その流れで私自身も発達障害やいじめ・虐待問題に関与しており、当事者の苦痛が理解できないわけではありません。知人が自殺した経験もあります。しかし、他人の状態だけを表面的に見て不幸だと決めつけるのは、一方的過ぎるように思います。

それで10年ほど前、当時私が親交があった女性起業家の話を紹介します。彼女は20歳の時に病気で全身麻痺が起こって植物状態になったことがあり、医者からは回復する見込みがないと言われていたそうです。頭はしっかりしていて目も見えるのに、腕も足も、指すらピクリとも動かない。もちろん何も話せないし起き上がれないし歩けない。自分で食事もできない。排泄すら誰かにやってもらわなければらない。何もできない、どこにも行けない長い長い1日が繰り返される日々。

彼女は冗談交じりにこう言っていました。「ああ、私はこのまま、何もしないで死んでいくんだろうか。恋人もできず、誰とも一度もセックスすることなく、結婚も出産もできず、病院のベッドの上で一生を終えるのかと思ったら、絶望で何度も泣いたわ」

その後、彼女は奇跡的に回復し、数年のリハビリを経て日常生活を取り戻したそうですが、こうも言っていました。

「手が動く、足も動く。これって何て素晴らしいこと、何て恵まれていることかと思うの。だから失敗したらどうしようとか、他人にどう思われるとか、イヤなことがあったとか、小さなことでウジウジ悩んでいる場合じゃない。やろうと思えば何だってできる。あの時より怖いことなんて何もない。いま生きていること、身体が自由に動く幸せを噛みしめて、毎日を精一杯生きたい」。

彼女の話を聞いて、私もかつてカンボジアのゴミ収集所で働く孤児たち(病院にも行けず、裸足でケガして雑菌が入って成人まで生きられないという、15年ほど前の当時のプノンペン郊外の出来事)を見たときに同じように感じたことを思い出しました。

そして、そんな植物状態という絶望を味わった彼女の言葉の重みと比べたら、それほどの体験をせずして「人生は苦痛だらけ」などという反出生主義者の言葉のなんと軽いことか……と感じないでしょうか。

Next: ネガティブ思考が苦痛を呼びよせている可能性も



ネガティブ思考は予言的思考である

という感じで、彼らとのやりとりで感じたことは、人生経験が浅く視野が狭く、それでいて生きづらい自分のつらさに共感してほしい、それを誰かと分かち合いたいし広めたいという、若さゆえに陥りやすい「中二病」的な思想かもしれないな、ということです。そして根はマジメな人たちなのでしょう。

しかしそれも、本来は成長の途上で、何かに夢中になる、夢や使命感を持つ、責任感を持つ、自分で自分の環境を変える、自分の力で何かを達成する、愛する人ができて愛されている実感が得られる、といった多様な人生経験を通じ、考えは変わってくものです。

もっとも、これも程度問題で、やはり大人でも変わらない人はいます。が、そういう人は大人になっても自分の人生を呪っていますから、幸福ではないでしょう。その極端な例が、無差別殺人事件を起こしたり、建物にガソリンをまいて火を付けたりする人です。

そして、自分の不遇を呪うこと、つまりネガティブな思考は予言的性格を持っており、実際に不幸を呼び寄せ不幸を実現してしまうという、わりと恐ろしい思考パターンであるということに敏感になっておきたいものです。

たとえば「失敗するかもしれない、失敗したらどうしよう」などと思いながら何かをやれば、それは失敗する可能性が高くなる。なぜなら、ヒビって腰が引けてしまい、実力が発揮できないからです。

この場合、「ええい、周囲の評価なんてどうだっていい!全力でやり切ってやるさ!」と割り切った方がうまくいく可能性が高い。同様に、イヤだイヤだと思いながら生きていると、どうしてもイヤな面ばかり見えてしまう。すると、本当に自分の人生がイヤになってしまう。そうやって不幸が現実のものとなる。「思考は現実化する」とはそういうことです。

たとえば名作「赤毛のアン」の主人公アンは、孤児の自分が引き取られるとき、待ち合わせ場所に里親がなかなか来ない不安をこう述懐しています。「もし今夜いらしてくださなかったら、線路をおりて行って、あのまがり角のところの、あの大きな桜にのぼって、一晩暮らそうかと思ってたんです。あたし、ちっともこわくないし、月の光をあびて一面に白く咲いた桜の花の中で眠るなんて、すてきでしょうからね」。

ここでネガティブに考えれば、もし来てくれなかったどうしよう、この先どうやって生きようかと絶望するかもしれません。しかしアンは、不幸な状況でも肯定的に解釈することで、自分の存在を支えている。

これはポジティブになれなどという単純な問題ではなく、物事をどう受け止めることが自分にとって最適なのかという、自己の生存戦略の問題です。そして繰り返しになりますが、アンのように幸福に敏感になるか、あるいは不幸に敏感になるか、本人がどちらを志向するかという話です。

反出生主義を支持するのも自由。そして、自由とは自己責任

さて、私は自由をこよなく愛する人間ですが、考え方やそれに伴う選択はひとそれぞれです。だから辛い人がいる、不幸な人がいる、それで悲観して絶望している人がいる、という現実を否定はしません。それをSNSなどで吐き出すことで、気持ちに整理ができたり、誰かに共感してもらって気持ちが落ち着くということはあるでしょう。

また、私はお気楽で能天気ですから、発信する情報も「どうすればお気楽で能天気でいられるか、そうなれるか」という方法を紹介することになります。そしてそれでムカつく人がいるのも事実。「考え方を変えればもっとラクになるのにな」と思って提案してみるものの、それができない(したくない)という人がいるのも事実でしょう。

そして、それも個人の自由。そもそも成熟した人間は、自分の考えを他人に押し付けたりはしない。人は人、という、他人の意志を尊重する寛容さを持っています。

たとえば一流のビジネスパーソンほど、そういう鷹揚さというか、どっしりとした落ち着きを持っているものです。いちいち悲観してたら仕事が進まないし、イヤだからと逃げていたら目標は達成できないし、自分の考えを押し付けては交渉になりませんから。

しかし未熟で不寛容だからこそ、本人だけに飽き足らず「人類は滅ぶべき」などと押し付けようとする。「無になればいい」などと悲観的・退廃的な思想に陥ってしまう。

まあ、これは大人でも多く、自分の考えに固執している人は他人にも不寛容で、他人に強制したくなるようです。コロナでのマスク警察しかり、自粛警察しかり、です。

ほかにもいますよね。「あなたのためを思って言っているのよ」という人。そういう人は結局自分が安心したいだけの押し付けであり、本当は「自分のため」です。「あなたらしくない」「高校生らしくない」という人も同じく、「自分はそういうの気に入らないから」という本人の好みの押し付けなのです。

とはいえ、私に限らず強制されるのは誰でもイヤなものです。たとえば「仕事しろ」「宿題しろ」などと言われれば、イラっとくるでしょう。「進学しろ」「就職しろ」「結婚しろ」という押しつけもイラっとくる。「子を産むべきだ」と言われるのも余計なお世話でイラっとくるはずです。
反出生主義であっても、他人から「あれをしろ、これをしろ」「あれをするな、これをするな」などと言われてうれしいですか?ウザイでしょう?

それと同じく、本人が「産む」「産まない」というだけならそれは本人の問題であり、その意志は尊重しますが、なのに周囲に「産むべきでない」などと強制するから賛同できないわけです。

そこで再び自己矛盾劇場ですが、「それは余計なお世話ですよ」という余計なお世話で締めくくりたいと思います(笑)。

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本記事は『マネーボイス』のための書き下ろしです(2021年7月18日)
※太字はMONEY VOICE編集部による

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