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国民が知らぬ間に…なぜ日本国はTPP拙速審議で「自殺」するのか?=施光恒

記事提供:『三橋貴明の「新」日本経済新聞』2016年10月28日号(TPP拙速審議は国家の自殺)より
※本記事のタイトル・リード・本文見出し・太字はMONEY VOICE編集部によるものです

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11/1に衆院通過か。日本社会を根底から変えるTPPの問題点3つ

審議不十分なのにTPP参加を急ぐ与党

TPPの国会審議が行われています。一部の報道によると、今日28日に衆院通過のための強行採決が行われるのではないかと言われていました。さすがにそれはなくなりましたが、与党は、今国会での承認を目指して、11月1日(火)の衆院通過を目指しているようです。

バカなことだと思います。周知のとおり、米国でもTPPに否定的な意見が多数を占め、大統領選の候補者であるトランプ氏もクリントン氏もTPP反対の立場を明らかにしています。

なぜ日本が急ぐ必要があるのでしょうか。TPPをめぐる国会審議は、十分に行われてきたとは全く言えません。TPPに関して、まずいと思われる個所は多々あります。

民主党政権時代に農林水産大臣を務めた山田正彦氏は、TPP反対派のリーダー格の弁護士ですが、今年8月末に、『アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』(サイゾー)という本を出版しています。山田氏をはじめ、弁護士や大学教員などで組織するTPP研究チームが、英文で6000ページにも及ぶ協定文を読み込んで、TPPへの懸念を様々な角度から指摘した本です。

この本を読むと、TPPのまずさがよくわかります。TPPの本質とは、グローバルな投資家や企業が儲けやすい世界を、各国庶民の犠牲の上に作り出そうとするものです。TPPが招きかねない望ましくない帰結が本書では数多く指摘されていますが、そのうち三つだけ紹介してみたいと思います。

(1)漁業権

一つは漁業権に関してです。つまり、ある海域で漁をする権利です。山田氏は、TPPの協定文では、日本は漁業権をきちんと守っていないのではないかと指摘しています。現在、漁業権は、各地域の漁協に優先的に割り当てられていますが、これを国際入札制度にせざるを得なくなるのではないかというのです。

こうなると、日本のある地域の漁業権が、地元の漁協ではなく外資系の水産会社によって落札される可能性が生じます。地元の漁民は、その外資系の会社に雇われない限り、先祖代々漁をしてきた海から締め出されてしまう事態が生じかねません。

実際、先例があります。宮城県の村井嘉浩知事は、東日本大震災ののち、「水産業復興特区」を設け、石巻市桃浦地区の漁業権を仙台市の大手水産会社に与えました。漁協以外で漁業権を得たのは初めてのケースだったそうです。

類似した事例は、今年6月の英国のEU離脱でも問題になりました。EUでも、漁業権はEUの管理下に置かれたため、英国では、漁師が、地元の海で漁ができない事態が生じました。そのため当然ながら、英国の漁業関係者は、9割がたがEU離脱を支持したそうです。
参考:「イギリスの漁師は90%がEU離脱支持――農家は半々 – ニューズウィーク日本版(2016年6月14日配信)

TPPが発効してしまえば、日本でも地元の漁師が目の前の海で漁ができない事態が生じる恐れがあります。これは直感的におかしなことだと、多くの日本人は思うでしょう。

ある地域の漁師の多くは、先祖代々その地域の海を大切にし、そこで暮らしてきました。子孫のことを考え、乱獲を控え、よその集落との様々な交渉や取り決めを通じて、苦心惨憺の末、漁業権を確保してきたわけです。

そういう「先祖伝来の海」で漁をする権利を、よそから来た企業にとられてしまう。これは、漁業に従事する多くの人々にとって、大変悲しくやりきれないことだと思います。そうなってしまえば、郷土愛もほとんど失われてしまうのではないでしょうか。

ある地域の漁協は、地域社会の存続や繁栄を願って、長期的観点から水産資源の保護を考えます。他方、外部の企業はそうとは限りません。漁業権が、よそから来る企業に落札されてしまえば、貴重な水産資源が枯渇してしまう恐れもあります。

Next: 「心配ない」は大ウソ。骨抜きにされる国民皆保険制度



(2)骨抜きにされる国民皆保険制度

次に、国民皆保険制度についてです。国民皆保険制度に関して、政府は、TPPの例外事項であるから心配ないと繰り返しています。つい先日の国会審議でも、塩崎厚労相はそのように答弁していました。

確かに、国民皆保険制度それ自体が、TPP発効後、ただちに解体されるということはなさそうです。TPP協定合意案文の第11章「金融サービス章」には、「公的年金計画又は社会保障制度に係る法律上の制度の一部を形成する活動やサービス」には適用しないとありますので。

ですが、それで本当に国民皆保険制度が守られたのかというと、どうもそうとは言えないようです。協定文には次のような但し書きもあるからです。「ただし、締約国が自国の金融機関に対し…、公的機関または金融機関との競争を行うことを認める場合には、当該活動又はサービスについて適用する」。山田氏によれば、ここにある「金融機関」には、例えば、アフラックのような民間保険会社も含まれます

いわゆる混合診療は、一部すでに始まっています。つまり、保険適用の治療については保険で賄い、保険外の先端医療を受けた場合は、その保険外の部分は自己負担するというやり方です。

例えば、今年4月に「患者申出療養制度」が始まりました。これは、患者側が希望して、手続きをとれば、保険適用外の先進医療も受けることが可能になるという制度です。すでに外資系の保険会社は、この自己負担分の先進医療を受ける費用を対象とする保険商品を販売し始めています。

従来、日本の国民皆保険制度は、国民が平等に医療を受ける権利の確保という観点から、保険外の先端治療についても、その効果や安全性が確認されれば、順次、保険が適用される治療法や薬品のリストに加えていくことが前提となっていました。そうでなければ、公的医療保険で賄える治療法は、次第に古い、時代遅れのものとなってしまうからです。

しかし、TPPが発効すれば、現在、保険外の先端医療を、保険適用の治療法のリストに加えていくことが難しくなってしまうと、山田氏は指摘します。というのは、周知のとおり、TPPには、外国へ投資するグローバル企業の利益保全のため、ISD条項が含まれているからです。

外資系企業や外国の投資家は、投資対象国の政策変更などの措置のため、期待していた利益が得られなくなってしまった場合、その国の政府を訴えることができます。ISD条項は、公的医療保険の問題にも大いにかかわってくる可能性があります。

将来のある時点で、ある先進医療の安全性や有効性を厚労省が確認し、公的医療保険が適用されるリストに収載したとします。例えばその場合、先進医療を対象とした保険商品をすでに販売している外資系保険会社が「期待していた利益が得られなかった」と言い出す可能性は否定できません。そのため、山田氏は、「『患者申出療養制度』によって公的医療保険の対象外となる先進医療は、事実上これから先も公的医療保険として収載することはできなくなる」というのです。

もしそうだとしたらこの話、大問題でしょう。国民皆保険制度で賄える治療法や医薬品は、現状のものにとどまり、時を経るとともにだんだんと陳腐化し、時代遅れのものだけになってしまうということです。

TPPが発効すれば、新しい治療法の恩恵を被ることができるのは、高額な民間保険を購入できる金持ちだけに限られ、お金のない庶民は時代遅れの治療法だけしか受けられないという悪夢のような状態が、現実化するかもしれません。

Next: 日本国や地方自治体が外国企業から訴えられ「がんじがらめ」に



(3)国や自治体が法人税を上げたら外国企業から訴えられる恐れがある

これも悪夢のような話ですが、山田氏の著書の指摘によれば、TPP発効後、政府や自治体が法人税率を引き上げたら、ISD条項に基づき外国企業から訴えられるようになるかもしれません。

TPPでは、投資受け入れ国は、「間接収容」をしてはならないことになっています。この「間接収容」とは、大変わかりにくい概念です。一般に「収容(直接収容)」とは、ある国の政府や地方自治体が、公の目的のために、個人や企業から私有財産(土地や建物など)を取り上げてしまうことを指します。TPPなどの国際投資協定では、近年、この「直接収容」だけでなく「間接収容」という概念も使われており、これは、「所有権等の移動を伴わなくとも、裁量的な許認可の剥奪や生産上限の規定など、投資財産の利用やそこから得られる収益を侵害するような措置も収容に含まれる」と説明されるものです。
(「間接収容」の概念については、岩月浩二弁護士のブログ『街の弁護士日記』が参考になります)。

TPP協定の条文では、一応、「公共の目的のためのもの」であれば「間接収容」に当たらないとされているようですが(第九章八条)、実際は、何が「公共の目的」に当てはまり、何がそうでないかの線引きは極めて曖昧なようです。

例えば、地方に工場を誘致したとき、排水や排ガスなどから有毒物質が出されて、住民に健康被害が生じてきたような場合、その地域の自治体が条例を設けて環境基準値を引き上げたとします。そうなると、工場を有する企業は、それだけ余分の環境対策費を支払わなければならないことになります。このような場合も、「間接収容」の一つだと認識され、企業や投資家が政府や自治体に損害賠償を求めることがありうるのです。

山田氏は、例えば、政府や自治体が法人税を引き上げたり、工場などに対する固定資産税を引き上げたりした場合でも、「間接収容」だとしてISD条項に基づく訴訟を起こされ、莫大な損害賠償を求められる可能性があると論じています。

ISD条項に基づく訴訟への懸念については、昨日(27日)の衆議院のTPP特別委員会参考人質疑でもいろいろと議論されていました。参考人の一人である内田聖子氏(アジア太平洋資料センター事務局長)によれば、ISD条項は、もともと発展途上国に対する投資の安全性を確保するためのものだったが、近年は、先進国でも訴えられることが普通になっているそうです。

(『衆議院TV インターネット審議中継ビデオライブラリ』2016年10月27日。リンク先のページの中ほどの斉藤和子議員の質問(11時15分から)に対する内田参考人の回答。※19分45秒あたりからISD条項について語られています)

例えば、NAFTA加盟以降、カナダ政府は26件も訴訟を起こされています。一例としては、カナダ政府が、石油に含まれる有害物質を規制したため、米国の石油会社に訴えられた事例があります。このとき、カナダ政府は、結果的に莫大な和解金を石油会社に支払っています。

他にも、昨日の国会質疑でも内田氏が言及していましたが、驚くべきことにエジプトでは、政府が最低賃金を引き上げたために、エジプトの産業廃棄物処理関連に投資していたフランス企業からISD条項に基づき政府が訴えられた例もあるそうです。

そうした事例を考慮すれば、山田氏が懸念するように、TPP発効後、政府や自治体による法人税の引き上げもISD条項に基づき訴訟を起こされる対象になりうるということもなきにしもあらずではないでしょうか。

自国の税制も自分たちでは決められなくなる――もしそういう事態に陥ってしまえば、日本はもはや民主主義の国とは言えないでしょう。

なんかだらだら書いていたら長くなってしまいました…。

以上、山田正彦氏の著書を主に参照しながら、三つの点(1)漁業権、(2)国民皆保険制度、(3)法人税引き上げとISD条項など、について触れてきました。

確かに山田氏はTPP反対派の急先鋒ですので、TPP協定の条文解釈が少々厳しすぎるということもあるのかもしれません。しかし、TPPがもし発効してしまえば、それは我々の生活の多くの場面を拘束してきます。日本社会を根底から変えてしまう可能性があります。そういう重大なものですので、山田氏が提起しているような懸念がある限り、時間をかけて慎重に審議し、何が本当に日本国民のためになるのかを真剣に吟味していく必要があるはずです。拙速に国会承認してしまえば、将来、子孫から恨まれかねません。

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