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“証券マンのセールストーク”が誕生させた、群馬の大投資家・Fさんの話

投資歴54年の山崎和邦氏が思い出の投機家を振り返る本連載、今回は群馬県のFさんです。大投資家・Fさんが巨額の売買を繰り返す裏には、山崎氏との「二人三脚」がありました。

「100万株単位のペロを切れ!」大投資家・Fさんの誕生

私が野村証券の高崎支店(群馬県)で課長代理を務めていた昭和46(1971)年、当時の顧客にFさんという大投資家がおられた。

おられた、というのは実は正確ではない。僭越な表現になってしまうが「大投資家Fさん」は、Fさん自身と証券マンたる私との「合作」によってこの世に生まれたと自負している。

そしてFさんの存在が、その後の野村内における私のポジション、昇進・昇格の帰趨も決定づけた。

事のはじまりは高崎支店に転入直後、法人部出身の支店長による、こんな鶴の一声だった。

いま当店で最大の大手客の売買が3万株単位だ。そこで、1回の売買で100万株単位のペロを切る社内コンペをやろうではないか

当時の野村では、売買伝票を「ペロ」と呼び、売買伝票を成立させることを「ペロを切る」と表現した。よく働く仕事の虫がいれば「ペロイング・マシーン」などと呼んで畏敬したし、「あいつはタダのペロイング・マシーンではないぞ」と言えば「彼は仕事だけでなく一見識ある人物だ」の意味になった。

私は「100万株単位のペロ」を切るべく、支店長に頼んでロータリークラブの名簿を閲覧し、片端から面会アポを取っては訪問を繰り返した。

そこで出会ったのが群馬のFさんである。当時42歳のFさんは、だいたい3千株ずつ5~6銘柄に分散投資をしておられた。

私は、Fさんに持ち株すべてを売らせて2千万円を現金化し、それを担保に新たに信用取引で6千万円のポジションを建てる作戦を考えた。

田中角栄『日本列島改造論』を手に、いまこそ60円の新日鐵株を100万株買うべし、を当然の理屈を説く風で淡々と主張した。

「これを読めば鉄鋼株がこれから2倍になることが分かる、読んでください。じきに出遅れた連中が先を争って90円、100円を買いに来る、そこを売れば1回の投資で3千万円儲かります。2千万円の担保金は5千万になるはずです。信用取引の期限は6ヶ月だから充分に期間はあります」

かくして、Fさんは60円で買った新日鐵100万株を82円で売り抜けることに成功し、正味2千万円を儲けた。証拠金は4千万円に増え、より大きな建玉が可能となった。

Next: 狙いは三菱重工。信用建玉15億円、往復600万株のペロを切りまくる

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狙いは三菱重工。信用建玉15億円、往復600万株のペロを切りまくる

新日鐵株の売却益により証拠金は4千万円に増えたが、私はその信頼をベースにFさんを口説き、さらに新規資金1億6千万円を融通していただいた。

総額2億円の証拠金を担保に、300円までの株を200万株単位で売買する計画である。これで約6億円の建玉になる。

ターゲットとした銘柄は三菱重工だ。私はこういうとき、利回りがどうとか、PERがどうとか、そういったチマチマした話は一切しない。

三菱重工業は、かつて零式艦上戦闘機を開発し、大和型戦艦の武蔵を建造し、世界を震え上がらせた企業です。それに零戦の『栄』エンジンは当地・群馬県太田市にある富士重工、昔の中島飛行機製ですよ。だから当地の名士たるFさんにこそ、世界を震撼させた三菱重工でひと儲けする資格がある。どうですか、あたりまえでしょう

と気宇壮大な話を持ちかける。果たして、Fさんの食指は動いた。

三菱重工200万株の商内は、200万株買いの200万株売り、往復400万株になる。これは当時としては並みの営業マンが1ヶ月かけてこなす仕事量より多かった。それを私は一瞬にして済ませることに成功したのだ。

その後、Fさんは利益を重ねて証拠金を5億円にまで増やし、15億円の信用建玉を持って、300万株レベルの売買を常時執行するようになった。売り買い往復で600万株。これほどの投資家は、野村の北関東東北営業本部内、個人・法人合わせても、Fさんたった一人しかいなかった。

おかげで私は、並みの営業マンの半年分の仕事を30分でこなすようになった。当時、300万株単位の売買伝票は「伝説のペロ」と言われた。もう半世紀近く前のことである。

Next: 鉄火場だからこそ結実した「野村流リーダーシップ」私論

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鉄火場だからこそ結実した「野村流リーダーシップ」私論

実際に往復600万株のペロを切って見せ、株の商内とはこうするものだ、と常日頃から言い続けるうち、野村の後輩連はみな私に従うようになった。

「俺について来い、俺を超えて行け」「山崎さんに続け、山崎さんを越えよう」を合言葉に若者たちが熱狂的に頑張りはじめた。北関東東北ブロックに北海道3支店を併せた20支店で、株式商内は高崎支店が毎月断然のトップになった。もはや他とはケタが違った。

彼らの全員が「山崎さんは野村の星だ。あの星に届かねば俺たちの青春はない。俺たちの行く先を星につなげ」と言ってくれるまでになり、50万株単位の「ペロ」が続出した。

高崎支店は若者養成の名門校だ、と言われて研修部に呼ばれ、一席ぶったのはこの頃である。いま思えば随分と僭越だったが、当時は本気だった。

「吉田松陰は松下村塾で若者に魂を吹き込み、緒方洪庵は適塾で実践的技能知識を授けた。高崎支店は松下村塾と適塾を兼備する。すなわち哲学と技能の両刀だ、根性とセールスノウハウの両刀だ」などと威勢よく演説したものである。

課長代理から課長に昇進したこの頃、私は、集団統率の要諦は、まず自分が部下の目の前でやって見せて、「俺みたいにやってみろ」と言い続け、それから若者の憧れの星になった自分を「俺を超えて行け」「俺を倒してみろ」と刺激することだと考えていた。

やがて私が同期350人中で第1選抜の支店長になり、高崎支店を転出する折には、若き戦士たちが文字通り声涙ともに下る送別会を設けてくれた。

若者代表が、きっと泣いてしまってロクに話せないだろうからと、あらかじめ用意した送辞。その冒頭は「僕たちに人生を教えてくれた厳しい山崎さん」であった。

ここの文言を「厳しい」にするか「優しい」にするか、彼らは野村の独身寮で一晩議論したそうだ。その上で「厳しい」にするほうが私は喜ぶはずだ、という結論になったと、10年後の彼らに聞いた。まさに我が意を得たり、である。

だがその送辞の中に「山崎さんと我々との関係は、まさしく、あの伝説的劇画『あしたのジョー』における丹下段平と矢吹ジョーとの子弟関係であった」という箇所があり、こちらはてんで意味が分からなかった。

それで正直に分からないよと伝えたら、1週間後、支店長宛に『あしたのジョー』全20巻がドサッと送られてきた。山崎よ、黙ってこれを読むのだと。

だから、というわけではないが、私が彼ら若者から学ばされることも――とりわけリーダシップとは何ぞや?に関して――また多かったのである。

Next: “大投資家を生み出す”セールストーク、そしてリーダーの条件とは?

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“大投資家を生み出す”セールストーク、そしてリーダーの条件とは?

「大投資家Fさん」は、Fさん自身と証券マンたる私との「合作」だと言った。私のセールストークがなければ、投資家としてのFさんは金融資産のうちわずか数パーセントを分散投資する、手堅い人物のままだったろう。

ここで私が強調したいのは、セールストークはその内容にもまして、語り口や雰囲気こそ重要だということだ。Fさんはすぐに乗ってきて、60円の新日鐵株を100万株、信用取引で買うことになった。

社内コンペのルールに「信用取引不可」の文字はない。当然、100万株コンペは私が一番乗りになった。

私は幼少のころから話が大きかった。それは家庭環境によったと思っている。

まだ7~8歳の頃、母が「和邦の話は大きすぎる。話は3分の1で聞いておきましょう」と笑い、それに兄が「いや、5分の1でいいよ」と応じていたのを覚えている。

ちょうどそのころ、私は学校で九九を習ったばかりだったから、「母は3分の1と言い、兄は5分の1と言う。ならば、サンゴ・ジュウゴの15倍で話さなければ」と決めた。それが始まりだった。

だからこそ、長じて後、顧客にたかが株を薦めるのにも、零戦だとか戦艦だとか世界が震撼した企業だとか、希有壮大に演説できたのだ。決算内容がどうだとかいうチマチマした話はまずしない。それは目先に惑わされない長期視点の相場観醸成にも繋がっていった。

それから、リ-ダーシップの定義とは何か?これを私は課長代理になった時から自分のテーマとして毎日考え続けてきた。

織田信長や徳川家康を読むときも、ナポレオンやプルターク英雄伝や新撰組を読むときも、常に途中でページを伏せては「俺なら、こういう時にはどうする?」を考えた。

もちろん、ドラッカーをはじめリーダーシップ関連の書籍も、目に触れるものは片端から読破した。だが、それらを読んでも所詮「ものしり」になるだけで、「鉄火場のリーダーシップの本質」は学べなかった。ガルブレイスも私の疑問に答えてはくれなかった。

私が一番多くを学んだのは新撰組と古代ギリシャのプルターク英雄伝だった。それらを通して、リーダーシップの定義は次のとおりだと確信した。今でもこれが最も正しいと考えている。

定義は全ての場合に当てはまらねばならない。軍団長にも、会社社長にも、暴走族のリーダーにも当てはまらねば定義と言えない。そこでリーダーシップを、

  1. ある状況の下で
  2. 特定の目的を達するために
  3. 行使される
  4. 対人間の
  5. 影響力である

と定義した。各項それぞれ、

ことが肝要である。

リーダーは状況に応じてパワーを使い分け目的を達成する。ジョン・コッターの分類が実践的だからこれを採ると、人柄のパワー / 専門的技能・知識のパワー / 情報力のパワー / 脅威・強制力のパワー / 人脈・コネクションのパワー / 制度上正当と認められる地位によるパワー / 報償・評価を与えるパワー の7つになる。

どれが良いパワーで、どれが悪いパワーかは問うところではない。目的に対して効果があるならすべて良いパワーだし、効果がないならすべて悪い。ここが大切なところだ。

例えば「人柄」や「専門的技能・知識」は良いパワーだとか、「脅威」は悪いパワーだとか、そういった道徳学的なにおいのするリーダシップ論は幼稚なニセモノである。

「大投資家Fさん」をFさんと「合作」した期間で、私は課長代理から課長になり、5人の先輩を飛び越えて支店次席になり、ウォール街視察組として全国4人のうちの1人に選抜され、その翌々年には全国最若年で第一選抜の支店長になって高崎支店を転出することになった。

野村では第一選抜の支店長は歴代、副社長以上になるか、在職中に死ぬか、あるいは“中途退学”するか、この3つのうちいずれかで、例外はないと言われていた。私は故あって3番目のケースを取ったが、その経緯は別稿としたい。

私の証券マン人生を決定づけたFさんはその後、先代から引き継いだF社を充実拡大し、あっぱれ二代目社長として自社を東証に上場させ、経済同友会の幹部になられた。

Fさんは今もご健在で、個人的なお付き合いは続いているが、当時のような株式投資で切った張ったの話を伺うことはなくなった。半世紀近く前、二人三脚でペロを切りまくった「大投資家Fさん」の記憶が残るのみである。

山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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