グリーンスパン元連銀議長は、今も昔も金本位制信奉者です。ところが連銀在職中には率先して金融緩和を行いました。その理由を探ると、彼の興味深い過去が見えてきます。(『いつも感謝している高年の独り言(有料版)』)
※本記事は、『いつも感謝している高年の独り言(有料版)』2017年3月1日号の抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
世界初の「金融市場操作プログラム」作成者はグリーンスパンだった?
今も昔も「金本位制信奉者」
グリーンスパン元連銀議長は、若き日はゴリゴリの金本位制信奉者でした。その考えは彼の著書『ゴールドと経済的な自由』に述べられています。
※下記のサイトで読めます。
http://www.constitution.org/mon/greenspan_gold.htm
※重要部分の抜書きは下記で読めます。
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2012/09/alan-greenspans-gold-and-economic-freedom.html
ところが、グリーンスパンは、連銀に職を得て以降、変節して FIAT Money の推進・垂れ流し政策を率先して行ってきました。
連銀を辞めた後、彼は「過去に書いた著書(ゴールドと経済的な自由)の内容を一行たりとも書き直すつもりはない」と明言しています。彼の言動からわかることは、現在でも、彼は金本位制信奉者だということです。
なぜグリーンスパンは変節したのか?
私の疑問は、なぜ彼は変節したのかということです。最近、それに対する1つのヒントを知りました。
下記のインターネットラジオで、彼の若き日の話が出てきたのです。もちろん真偽のほどはわかりませんが、興味深い内容でしたので、ウワサ話として紹介します。
※参考(ラジオ音声ファイル)
http://radio.goldseek.com/shows/2017/02.17.2017/GSR-02.17.17-cc.mp3
要点をまとめると、「グリーンスパンが連銀内部で最初のRoot言語によるプログラムを書いた」というのです。このグリーンスパンのプログラムが、PPT(価格下落防止チーム)の基礎となっている、とラジオの語り手 Bix Weir は語っています。
Next: グリーンスパンのプログラムは本当に「PPT(価格下落防止チーム)」の基礎となったのか?
グリーンスパンのプログラムは本当に「PPT(価格下落防止チーム)」の基礎となったのか?
これだけでは、よくわかりませんので、他の資料も漁りました。それらから得られた情報の要点を以下に羅列します(ただし、ほとんど裏が取れない話もあります)。
情報1
グリーンスパンの恩師と言えば、アーサー・バーンズ元連銀議長。
情報2
グリーンスパンは1960~70年代、まだコンピューターがパンチカードで動いていた時代に、経済モデルプログラムを書いていたそうです。JFK, Lyndon Johnson, Richard Nixon と3代の大統領の経済顧問を務めた Pierre Andre Rinfret は、次のように証言しています。
「グリーンスパンのグループの仕事は、今で言えば、経済予測を数学モデルで求める経済モデルシステムに特化したものだった。私が記憶しているグリーンスパンの印象は、誰かが何かを発言すると、コンピューターを走らせて、スプレッドシートに印刷されて出てきた数字を見ていた姿だ」
情報3
興味深いのはグリーンスパンの幼馴染の John Kemeny。彼こそがBASIC言語の開発者の一人であるということ。グリーンスパンは著書の中で、John Kemeny について次のように記述しています。
「John Kemenyと一緒に数学の教室に座ったことを憶えている。彼はハンガリーからの避難民で、後に Thomas Kurts とともにBASIC言語を共同開発した人物だ。Thomas Kurts は後にダートマス大学の学長になった。John Kemeny は、まだ英語が下手で訛りが酷かったが、数学では超優秀だった」
「私は、John Kemeny が数学で優秀なのはハンガリーで受けた学校教育が素晴らしかったからだと思い込み、もしそうだったら数学的才能は後天的に得られると考え、彼に『数学が強いのは欧州から来たからかい?』と聞いたのだ。ところが、彼は私の真意がわからず、『みんな欧州からの移民じゃないか!』と答えたのだった」
情報4
連銀内部での、このプログラム開発グループの主要メンバーは グリーンスパン元議長, Arthur Burns, Stephen Devaux だったのではないかと言われています。この Stephen Devaux は、連銀のゴールドコミッションに9年間勤務。この時に、市場を管理する取引プログラムを作成したとされています。
この後、Citicorp に1985年から1986年にかけて勤務。Citiでは、同行の銀行ソフトウェアを開発。その後、1986年から1987年に掛かけて Fidelity で、彼のソフトを株式市場でどう使うのかを教育しました。さらに、コンサルティング会社PSDI社(1987年から1991年)を立ち上げ、Maximo というソフトを米国造幣局からあらゆる有名な資産管理会社へ供給しました。
※PSDI社は現在IBM社の傘下に入り、Maximoは全世界の顧客に販売されている
情報5
グリーンスパン元議長の父親はユダヤ人移民。母もユダヤ人移民。父はニューヨークで株のブローカー及び市場アナリストをしていました。
グリーンスパン元議長は、ジョージ・ワシントン高校出身で John Kemeny とクラスメートでした。同じく級友のスタン・ゲッツ(誰もが知っているジャズ・ジャイアント)と一緒に、元議長自身もクラリネットやサックスを演奏しています。
その後ジュリアード音楽院に進学したグリーンスパン元議長は、一時は本気でクラリネットを学びます。その後、ウディ・ハーマン楽団に在籍し、そこでサックスを吹いていたLeonard Garment と知り合いました。この人物は、後にニクソン大統領の特別顧問に就任しています。
この二人、ウディ・ハーマン楽団にいたというのですから、決して下手ではなかったはずでしょう。グリーンスパン元議長は、1945年にニューヨーク大学に入学して経済学を学んでいます。
Next: グリーンスパンは実際に市場でテストをしたかったのではないか?
私の妄想
元議長としては、世界初の金融市場を操作できるプログラムを自分が作り上げたのだから、実際に市場でテストをしたかったのでしょう。
それが、PPT(価格下落防止チーム)の初期段階の土台になって、楽しくて仕方がなかったのだと思います。ある種、独裁者の快感に近いものがあったのでしょう。金本位制信奉者という元々の信念よりも、新しい自分の権力パワーの方が楽しくて仕方がなかったのではないでしょうか。私はそのように妄想します。
グリーンスパン元議長の重要発言や考え方については、下記の過去メルマガで解説していますので、ご興味を持たれた方はご購読ください。
●驚かないで下さい。本音ですから 2011年1月27日 木曜日 配信
http://www.mag2.com/archives/P0007958/2011/
また、元議長の著作や考え方について、最近では下記の過去メルマガで解説していますので、ご興味を持たれた方はご購読ください。
●重要人物の講演内容 2014年11月6日 木曜日 配信
http://www.mag2.com/archives/P0007958/2014/
●重要:元議長発言 2014年10月15日 水曜日 配信
http://www.mag2.com/archives/P0007958/2014/
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※太字はMONEY VOICE編集部による