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マスコミに私怨?安倍首相が報道に求める「公正・中立」の呆れた中身=不破利晴

テレビ朝日系『報道ステーション』の古舘伊知郎氏が来年3月末日をもって番組を去ることを公表し、TBS系『NEWS23』の岸井成格氏も番組を降板すると一部で報道されている。これら著名な“アンカーマン”らの降板劇は、現政権による番組への介入抜きにして考えるのは困難であるように思われる。(『インターネット政党が日本を変える!』不破利晴)

自民党議員に聞かせたい、報道に公正・中立を求めることの勘違い

古舘伊知郎『報ステ』降板は、安倍首相の復讐なのか?

ことに安倍首相に関してはマスコミに対するルサンチマン(憤り・怨恨・憎悪・非難)が甚だしく、第一次安倍内閣はマスコミによって潰されたという感情をいまだ引きずっているようにも見える。

第一次安倍内閣は2007年9月26日に終焉を迎えたのだが、2007年2月20日の朝日新聞に次のような記事が掲載されている。

「風雲 安倍官邸 党内の不満 抑えきかず」
「安倍官邸」に対する自民党の不満や批判が公然化してきた。安倍首相が部屋に入っても閣僚らが起立しないといった裏話を中川秀直幹事長が暴露するなど、官邸不信は募るばかり。朝日新聞の世論調査では内閣不支持がついに支持率を上回った。くすぶる内閣改造論の矛先は勢い大番頭の塩崎官房長官に向かっており、首相官邸は防戦に追われる日々だ。

出典:2007年2月20日 朝日新聞朝刊 3面

これは同年2月19日の衆議院予算委員会の席上、民主党の岡田克也代表が塩崎官房長官に問いただしたことで明らかになった。当時の安倍首相は自ら任命した閣僚らに軽んじられ、閣議で安倍首相がやって来ても私語や雑談をしている者が後を絶たなかったという。そんな首相官邸の内情をマスコミが面白おかしく書き叩いている構図である。

官邸崩壊というよりも学級崩壊のような低レベルの話だが、問題は安倍首相のみならず、批判の矛先は当時官房長官だった塩崎恭久官房長官にも向けられた。

山本一太議員に面と向かって「あなたには永田町的人望がない」と言われ、官邸に乱立する政策会議について中川昭一政調会長に「似たようなものをたくさんつくると、マスコミに叩かれるよ」と釘を刺されもした。

当時の安倍政権は、上記の朝日新聞記事に代表されるようにマスコミの餌食となり、そんなマスコミに牽引されるように国民の批判も噴出し、終には瓦解したと言える。

安倍首相の“トラウマ”

現在の安倍首相がマスコミを時に懐柔し、時に目の敵のように圧力を掛けるのは当時の経験がトラウマとなっているからであろう。

そして、昨年の12月にNHKや在京民放テレビ局に対し出した「中立・公正を求める要望書」によって安倍政権によるマスコミ統制は頂点を極め、以降、テレビや新聞は安倍政権違反に対してすっかり牙を抜かれたようになってしまった。2007年当時と比べれば、その論調には隔世の感がある。

Next: 本来、報道に「公正・中立」など存在しないし、する必要もない



本来、報道に「公正・中立」など存在しないし、する必要もない

安倍政権によるマスコミへの圧力は、同じ轍を踏みたくない安倍首相の強い要望によるところが大きいのだが、とはいってもマスコミに「公正・中立」を求めることなど、政治家による詭弁も甚だしいと言わざるを得ない。

これは、マスコミに「公正・中立」など存在するのだろうか、ひいてはマスコミに「公正・中立」など必要なのだろうか、といった根源的な問題でもある。

テレビや新聞が「公正・中立」であることは望ましい姿であるとする考えは、実は幻想に過ぎない。

それは、そもそもマスコミの役割が究極的には「権力の監視」にあるからである。実は、この本分を忘れてしまったマスコミがあまりにも多いために、日本のマスコミはかくも無残な体たらくを晒していると言っても過言ではない。

例えばアメリカなどを例にとると、政治に多少の関わりを持つ者ならば一般市民でさえ保守かリベラルかを明確にすることが求められるし、ジャーナリストも例外ではなく、保守orリベラル、政権寄りか反政権側なのかを鮮明にするのが常識となっている。

これは客観報道、つまり「公正・中立」などあり得ないという考えが前提になっているためである。

一方で、日本の記者の多くはいまだに「客観報道」を標榜している。権力が発表したものを「客観だ」とする感性は論外だが、真剣に「うちの新聞は客観的だ」と信じている記者が多いのには驚きを禁じ得ない。
この世の森羅万象の出来事を、また他人の営みを客観的に報じることができるのならば、それはもはや神の領域である。

出典: 上杉隆『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)

よって、アメリカの新聞などは大統領選があれば事前に社説で支持政党や候補者を掲げ、旗色を鮮明にする伝統を持っている。

こうした主張に対して、読者から「偏っている」という批判は皆無だ。なぜなら、支持を社説で明確にするにあたって、新聞は、各党、各候補者のマニフェストや政策、実現可能性を取材などによって仔細に検討した上で、支持を決定するからだ。しかも支持を明確にするのは社説だけで、いくら支持であろうと通常の記事や他のオピニオン面で、その政党や候補者に対して批判を取り下げるわけではない。むしろ自ら指示した政党や候補者だからこそ逆に厳しい目が注がれることもあるのだ。

出典: 上杉隆『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)

こうしてみると、アメリカの新聞各紙は政治についても客観性というよりは、むしろどの政党、候補者が望ましいか考えを述べ、それがマスコミ報道として上手くワークしているように思われる。

そのような事がなぜ可能なのだろうかと言えば、一重にマスコミがアメリカ国民のメディア・リテラシー(情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力)を信じているからではなかろうか。

Next: 100%出来レース!政権意向の忖度に余念がない日本の新聞各紙



100%出来レース!政権意向の忖度に余念がない日本の新聞各紙

その一方で、日本の新聞各紙は政権の圧力を受け、政権の意向を忖度(そんたく)するような紙面づくりに余念がない。これでは新聞は面白いはずもなく、益々新聞離れを加速させている。

さらに安倍政権に関しては実に興味深い動画が公開されている。

ビデオジャーナリスト・神保哲生氏が主宰するvideonews.comによる「記者会見は首相の独演会ではない」がそれである。

この動画は9月に自民党総裁に再任された際、安倍首相によって開催された記者会見の模様を収めたものである。23分49秒の動画の内、問題となるシーンは17分が経過した時に始まる。

「それでは最後に一問だけ(質問を)お受けしますので、いかがですか?」と司会が記者たちに質問の挙手を促す。勿論、フリーのジャーナリストを始め何人か手を挙げる者がいるのだが、司会が指名したのは挙手をしてもいないNHKの「ハラ記者」なのである。

それではハラさん、どうぞ。いかがです?手を挙げてませんでしたか?」などと言いながらNHKの記者に質問をさせている。他の記者は完全に無視されている!

これこそ、出来レースの記者会見であり、安倍政権のメディア戦略を見事に象徴している。ここにはメディア・リテラシーのかけらもなく、また報道の「公正・中立」の影も形もない。

安倍政権は手なずけた特権的な身内相手に記者会見を開いているようなものであり、そんな身内にしか質問を許さない。

「学級崩壊」とも言うべき低レベルなマスコミ環境の中に、安倍政権は立っている。これでは「裸の王様」そのものではないか?

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インターネット政党が日本を変える!』(2015年12月29日号)より
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「あなたにとってハッピーな世の中とは、どのようなものですか?」驚かせてすみません。私は不破利晴と申します。私は、元駐レバノン特命全権大使・天木直人氏と共に、「インターネット政党」の成功に向けて活動しています。インターネット政党『新党憲法9条』のWebサイトをつくり、日々の運用管理をしています。想像して欲しいことがあります。→「毎日働き詰めで辛くありませんか?」→「生きることに目的を見失って辛くありませんか?」→「あなたにとってハッピーな世の中とは、どのようなものですか?」インターネット政党の主役は「あなた」です。

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