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黒田日銀の白旗宣言inNY~異次元緩和の失敗を示すマイナス金利政策=吉田繁治

本稿は「日本の自然成長率の低下」をテーマにします。日銀の中曽副総裁は、2月12日にNYで講演し、マイナス金利をとった理由を述べています。講演内容は、「日銀の、日本経済に対する見解」と言えるものです。幸い、講演の全文と経済データが日銀のサイトに出ています。

これを採りあげる理由は、日銀の政策であるマイナス金利の理由を、日本の潜在成長率(自然成長率)の低下に求めるというように、日銀が宗旨替えをしているからです。2年9か月ほぼ200兆円分も行ってきた異次元緩和が効かないのは、日本の潜在成長率(自然成長率)が低いためだという言い訳がされているからです。

2015年11月に、NYタイムズ紙のコラムで、量的緩和が円安は生んでも、目的としていた物価と経済成長の面では効果を上げていないことを見て、クルーグマンが言っていた言い訳と同じ筋です。

日銀も、クルーグマンと同じ言い訳をし始めたと見ていいしょう。なぜ、国内でこの講演をせず、NYで行ったのか。「アベノミクスの本命だった量的緩和は失敗だった」と言われることを恐れたためでしょう。(『ビジネス知識源』吉田繁治)

異次元緩和を失敗させた黒田日銀の苦しい「言い訳」

マネー以外の事実をもち出した中曽副総裁

日本の潜在成長率(自然成長率)の低下を挙げる

わが国の潜在成長率は趨勢的に低下しており、日本銀行の推計によると、ゼロ%台前半ないしは半ば程度となっています。潜在成長率がこれくらい低くなると、経済にわずかな負のショックが生じるだけで、――これには、統計上の誤差の発生も含みますが――、計測上、GDPがマイナス成長に陥りやすくなってしまっています。ご承知のとおり、成長率は、労働投入の伸びと労働生産性の伸びに分けることができますが、長い目でみて、どちらの要因も成長率の押し下げに寄与しています。
出典:<中曽講演(1)>

潜在成長力は自然成長力とも言い、インフレにもデフレにもならない状態での、GDPの実質成長率を言います。この時の金利は、潜在成長率とほぼ一致します。

この潜在成長力は、1人当たりの労働生産性、労働者数の積です。

GDPの潜在成長率=労働生産性の成長率×労働者数の増加率、です。会社の売上が、[1人当たり売上×8時間換算社員数〕から成るのと同じです。

社員数が年率で5%増え、労働過程に、情報機器や機械の導入して技術革新(イノべーション)を計ることで1人当たり売上を4%増やすことができれば、会社の売上は9%増えます。

1人当たり売上が4%増えるなら、1人当たりの賃金も、3%は上げることができます。賃金が上がれば、需要(世帯消費)は増えます。賃金が上がることで増える需要に合わせて、生産も増えて行くというGDPの成長軌道に乗るのです。GDPとは、生産される商品の合計金額でもあります。このGDPは三面等価であり、生産=所得=需要です。

ほぼ100年前、世界ではじめてのテイラーイズムでの量産車T型フォードの時代に、創業者のヘンリー・フォードがビジョンとしたのは、「1人当たり生産性を高め賃金を上げることで、普通の人が車を買えるようにする」ことでした(『藁のハンドル』)。

テイラーイズム(当時の最新のイノベーション)とは、現代にまで続くベルトコンベア型生産を開発したフレデリック・テイラーによる生産方式です。

国のGDPが成長するには、
労働生産性の成長率(↑)×労働者数(↑)×就業率(↑)
での、全部またはいずれかの要素が、他の要素よりプラスでなければならない。

日銀が集計したわが国の潜在成長率は、以下でした。いずれも年率です。

【わが国の実質GDPの潜在成長率】

労働生産性上昇率 労働者数増加率 潜在成長率
1970年代 4.2% 0.8% 5.0%
1980年代 3.4% 1.0% 4.4%
1990年代 0.9% 0.5% 1.4%
2000年代 0.8% -0.2% 0.6%
2010年代 不明 -0.3%
2020年代 不明 -0.7%
2030年代 不明 -1.2%

(注)労働者数の将来推計は人口問題研究所の生産年齢人口(15歳~65歳)と、内閣府の就業率の推計による

1980年代までは、労働生産性の上昇は3%以上と高く、労働者数も増加していました。このためGDPの実質成長率(≒潜在成長力)も4%以上と高かった。
(注)現在の中国のような感じだったのが、1980年代までです

90年代には労働生産性の年率成長が0.9%に下がります。ついで00年代には、0.8%に下がっています。そして1997年以降は、生産年齢人口(15歳~64歳)も減り始めたのです。

2010年代(2010年から2019年)には就業者は年率で0.3%減り、東京オリンピック後の20年代には年率で0.7%減って、30年代になると減少は年率1.2%と大きくなっていきます。

わが国の、自営を含む就業者は、2015年で6360万人(総人口1億2673万人の50%)です。2010年代は、この就業者が年率で19万人減り、20年代には45万人、30年代には76万人ずつ減っていきます。これは人口構造に基づく変化であり、99%は確定しています。

2000年代に年率で0.8%に下がった労働生産性の上昇率を、1%、2%、3%と高めていかない限り、わが国の実質GDPが、今後増えることはない。

日銀が異次元緩和というマネーの増発策で目標にしたのは、GDPの実質成長率では2%付近でした。これは、働く人1人当たりの労働生産性の可能な上昇を、ほぼ3%と見ていたことを示します。

ところが1980年代のバブル経済期にも、わが国の労働生産性の上昇は3.4%/年でした。バブル期とほぼ同じ労働生産性の上昇を、今後、わが国が毎年続けるのは、ほぼ不可能に思えます。

政府・日銀は、マネーを増発するという手段で労働生産性の上昇3%付近が可能であるとしていたことになります。
(注)この3%上昇は1年だけではない。毎年、続くべきものです

マイナス金利を含む金融緩和により、企業が設備投資を増やし、それが労働者1人当たりの資本装備率(資本/労働者)を上げ、3%の労働生産性の上昇が可能になるとしていたことになります。

これは上位5%のグループでしかない成長企業では可能でしょう。しかし残り95%を含む260万社全体と一次産業を含む自営業の平均生産性上昇としては不可能です(断言します)。

日銀の中曽副総裁は、異次元緩和が目的としていたGDPの実質成長と2%の物価上昇の実現が不可能になってきたことから、「日本は、潜在成長率が0%台に下がっている」というマネー以外の事実をもち出したと思えます。

Next: 「これが可能かどうかは別として」中曽副総裁の机上の空論とは



「これが可能かどうかは別として」中曽副総裁の机上の空論

労働参加率を上げるという方法があるというが――

こうした潜在成長率の低下傾向は、いつまで続くのでしょうか。もし続くのであれば、これにどのように対処すればよいのでしょうか。ことの重要性について、だいたいの勘所を持っていただくために、ここで政府が目標とする2%の実質成長率を実現するに当たっての簡単な試算をお示ししたいと思います。
出典:<中曽講演(2)>

図表2では労働参加の前提が異なる2つのシナリオを示しています。ひとつは、「現状維持シナリオ」で、将来の労働参加率が現状のまま維持されると仮定しています。もうひとつは、「楽観シナリオ」です。「楽観シナリオ」では、(1)女性の労働参加率がスウェーデン並みに上昇する(88%:日本は72%)、(2)全ての健康な高齢者が、退職年齢を問わず働き続ける、との2つの仮定が設けられています。
出典:<中曽講演(3)>

このうち2つ目の仮定は、例えばわが国の80~84 歳の高齢者のうち約60%が「問題なく日常生活を送っている」と回答していることを踏まえたもので、ここでは、こうした健康な高齢者が皆働き続けることを仮定しています。
出典:<中曽講演(4)>

【実質2%成長に必要な労働生産性の上昇と就業者数の増加】

1990~14実績 2015~40目標 1990~14米国
実質GDP成長率 1.1% 2.0% 2.4%
労働生産性上昇率 0.9% 1.6% 1.5%
就業者数増加率 0.1% 0.4% 0.9%
人口構成からの傾向 -1.0%

日銀が、2015年から2040年に、実質GDP成長で2%を実現するために必要としている目標値は、

です。

就業者で0.4%の増加を今後25年続けると、〔1.004の25乗=1.10です。2015年時点での就業者数は6360万人であり、人口に対する就業率(働く人の割合)は50%です。

現在の就業者6360万人を1.1倍にするということは、6996万人です。しかし2040年の人口は、約2000万人(16%)減って、1億726万人です(国立人口問題研究所の推計)。6人が5人になるイメージです。現在30万人の都市が、人口では25万人に減ります。

現在の就業率50%のままなら働く人は人口減と同じ割合で減り、5363万人(84%)になります。この中で就業人口を6996万人へと10%増やすことは、従来は働きうことをやめていた人を、働くようにして1367万人増やさねばならない。

ことが必要です。
(注)戦争のときの、国家総動員令のようですね

以上によって実現するのが、今後25年間人口が平均で70万人減って行く中で、就業者を6996万(現在の+10%)に増やすことです。これが年率で0.4%の就業を増やすことの内容です。

0.4%はとても少ないように見えますが、実数で言えば、

ということです。

生活イメージで言うと、

です。

これが、実は、政府が言い始めた「1億総活躍社会」です。ただしこれによって実現するのは、就業人口の年率でわずか0.4%(約25万人/年)の増加でしかない。

講演した中曽副総裁も「これが可能かどうかは別として(机上の計算だけをすれば)」と加えています。実現しないという含意です。

以上のように、人口が減る中で就業者を増やした上に、1人当たりの労働生産性を年率1.6%(25年で1.49倍)増やさねば、実質GDPの2%成長にはなりません。

1994年から2015年までの20年間、年率の労働生産性の上昇は0.9%でした。00年代には多少高かったので、2010年代はほぼ0.5%付近に低下しています(日本生産性本部)。

これを、どうやって政府・日銀が、毎年1.6%高めるのか?しかも、向こう25年間、毎年です。

Next: 黒田日銀の敗北宣言~金融緩和ではなくイノベーションと中曽副総裁



黒田日銀の敗北宣言~金融緩和ではなくイノベーションと中曽副総裁

結論は、技術革新への期待の表明だった

しかしながら、バーナンキ前FRB議長が言うように、金融政策は決して万能薬ではありません。近年の経済成長理論などの発展をみますと、経済成長には、制度設計や経済システムといった視点が不可欠であることを認識させられます。最先端の企業がさらなるイノベーションを生み出し、生産性を引き上げることができるような制度設計が必要となっています。
出典:<中曽講演(5)>

先ほど、わが国にとってキャッチアップが引き続き重要と申し上げましたが、結局のところ、経済成長の究極のエンジンはイノベーションにほかなりません。ここで申し上げている「制度設計」とは、経済的な側面のみならず、法律や教育など、他の社会的な側面をも含んだ概念です。わが国の政府が、構造改革の継続を通じて、そうした制度設計面での役割を果たしていくことを強く願っている次第です。
出典:<中曽講演(6)>

労働生産性を上げるには、企業内の技術革新が必要です。会社での働き方の変更で、生産性(1人当たりの売上)を増やさねばならない。
(注)作業の手順変更と、機械化、情報化です

中曽講演の結論はこのイノベーションの必要でした。この結論は、日銀の金融政策では、実現が無理だということです。

ところが日銀は、デフレは貨幣現象であると間違って結論付け、この前提の上に、異次元緩和として現金の増発策を実行してきました(約200兆円)。

マネー量が増えれば、2年で物価目標2%は達成できる(消費税増税分は含まない)。2%のインフレになれば企業家は売上の増加を期待するように変わり、260万社が設備投資を増やすよう変わる。それによって、経済は成長すると説くのがリフレ論でした。

しかし実際は、2%のインフレも、2%の実質成長もなかった。

そこで、貨幣現象以外から、「人口構成と技術革新の停滞によるGDP長期停滞論」をもち出した。これが、NYでの2016年2月の中曽講演でしょう。

『流動性の罠』で、量的緩和を奨めたクルーグマンが、2016年11月に、NYタイムズ紙のコラムで認めた「人口構成と技術革新の停滞によるGDP長期停滞」なら、マネー量を増やす異次元緩和は、治療薬ではなかったのです。

Next: 中曽副総裁講演まとめ:日銀はそれとは言わず白旗を上げている



中曽副総裁講演まとめ:日銀はそれとは言わず白旗を上げている

剥がれ落ちた異次元緩和の幻想

人口構成と技術革新の停滞によるGDP長期停滞の場合、GDPを増やして同時にインフレにするには、「国債の増発による財政支出の増加」が必要でした。
(注)ただしこれは、財政破産の危機もはらみます

今後の日本で、実質GDPの2%成長という目標の達成は、副総裁の中曽氏が言うように、「最先端の企業がさらなるイノベーションを生み出し、生産性を引き上げることができること。他が、そのイノべーションを追うこと」が必要です。

これは日銀の金融緩和とマイナス金利で実現できることではない。ヘンリー・フォードの現代版のように、「自分が変える」というイノベーティブな精神をもつ企業家が行わねばならないことです。

政府・日銀が、民間企業のイノベーションを引き起こすことはできません。イノベーションの邪魔をしないこと、支援することしかできないのです。

中曽日銀副総裁のNY講演の、立論の構造とその素材を見て、日銀は、リフレ策の失敗として、それとは言わず白旗を上げています。異次元緩和とは無関係な、就業人口の増加と企業のイノべーションが必要という結論だったからです。

マイナス金利は、異次元緩和の延長ではなく失敗を示すものです。これを株式市場は、すでに見透かしています。このため、マイナス金利と同時に、将来の企業利益の増加が期待できなくなってきた株を売って下げているのです。

2013年当時は、異次元緩和が、GDPの実質成長とインフレをもたらすと期待していました。2年10か月が経ちました。予定額以上に、異次元緩和は実行されました。しかしGDPの実質成長率とインフレ率は高まらない。

あるかも知れないと思っていた幻想が、剥がれ落ちたのです。中曽氏の講演は、金融緩和以外の要素に、経済成長とインフレを求めたものです。

【関連】異次元緩和は失敗だった。クルーグマンの『Rethinking Japan』を読む=吉田繁治

ビジネス知識源:経営の成功原理と実践原則』(2016年2月22日号)より一部抜粋
※太字はMONEY VOICE編集部による

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